気付きを与える

木鉦という仏具がある。
日蓮宗で使用する木魚のような仏具。

叩くとカンカンと甲高い音を立てる。
力強い日蓮宗の勤行にさらに拍車をかけるハイな音が売りの仏具である。

数日前にお買い上げくださったお得意さんのkさんが、音がおかしいよ。
と、お持ちになられた。

Kさんは、「木目の向きがおかしくない?」という。

よくよく見ると、音のよい木鉦は打つ面に対し木目が平行方向になっている。
なのに音の悪いものは、木目が直角方向になっているのだ。

つまり、木目を打っているようなものである。
木場を叩いても音は出るわけがない。

明らかに木取りの製作ミスだ。

「ごめんなさい。お取替えします。」
担当者と僕がKさんに謝ると、思いの外の答えが返ってきた。

Kさん曰く。
「ぼく自身、当たり前なことを当たり前なこととして押し通しているかもしれない。
きっとそれを教えてくださる反省材料なんでしょう」と、自戒を促すため出あわせてもらったと喜んでおられる。取り替えるなんてとんでもないということなのだ。
新たなものは持っていってもらいはしたが、自戒の木鉦はKさんの宝物となった。

さらに、
「これは叩く木鉦ではなく、見る木鉦なのです」
ともおっしゃった。

気付きを与える仏具・・・

腑に落ちた。

ベビーブーム

蓮が主役の店頭の鉢だったのですが、
いいところまで芽が出るのに、花が開くまでいかない・・・クー

いつか、ボウフラよけに飼いはじめためだかに主役交代。

舌をまく

お客様のMさん作、念珠直し読本。
ぼくが「こうやって、ああやって直すんですよ」と説明したことを
逐一記憶されていて、海外にいる同門の修行者のために
お直しセットを作ってしまった。

元来、英語に堪能な方だからちょちょいのちょいっという感じで
簡単にこさえたかと聞くと、
「いやいや結構こういう翻訳はめんどくさかった」と、同情を求められた。

「それは大変でしたね」と見え透いた反応をし、
ありがたく試作品を頂戴した。

これで海外の仏教者の方に
こうやるんですよと念珠作りを気安く説明できると言うものである。

あ。その前に読まないといけなかった・・・

目黒の若旦那の来店で小一時間話し込む。
この方とは実に稀有な縁を感じるところ。

支障があるのでこまかな説明はできないのだが
様々な部分で共通するところがあって話が弾みつい引き止めてしまう。

お客様との縁ってとても不思議だ。
常々思う。

「友達の友達は友達だ・・・♪」
なんて歌が昔あった。

若い人には全く関知しない曲だろうけれど、
「人はひとりぽっちじゃないよ」という内容の歌なのだ。

自分は孤独のように見えても、どれだけの人と繋がっているか
友人がいるか気が付かないだけなんだ。
ということなのだ。

今世にあっては、初めて会うような顔をしているのだけれど
何処でか知り合いであったのではないだろうか。
どこかで繋がっているのではないだろうかと感じて止まない。

縦位置の孤独。
社会の中ではつい横の人間関係ばかりを見てしまう。

それだけだとくもの巣のようにネットが張り巡らされているのみで
どこかふわふわした感じである。

忘れてならないもう一つの糸がある。縦の糸だ。
時系列の中での人間関係。

過去には父母がいる、祖父母、曽祖父母、・・・がいる。
そして子供、孫、曾孫・・・

それも人間関係だ。
しかもしっかりDNAで未来に受け渡しすらする。

縦と横の人間関係の中心点に自分が位置している。
それらがすべて関わり続けているのだ。
時々考えてしまう・・・

いや、
頭で「考える」と言うより肌で「感じる」と言うほうが正しい。
ややもすると縦の糸は忘れやすいのだが
しっかり、ネットを張っていて関わりあっているのだ。
おろそかにできなくなる。

さて、
今日は誰と逢えるだろうか。

書いてる人が慈愛心。

十年来お付き合いしていただいているkさんに頂戴した。

TONはすこぶる気に入っている。
ご本人は80の齢をとうに超えているが

足の速さと、肝っ玉には誰もが圧倒される。

そのkさんが心をこめて描いてくださった。

心が伝わってくるのである。

カムフローム四国

昼過ぎ店に戻ると大きなみかん箱がどーんと置いてある。
「ん?なんだろう。」

文旦

ぶんたん?ブンタン?
グレープフルーツのような絵が描いてある。

これは・・・
高校の修学旅行で初めて見た、
たたわわに実っていたボンタンのことかあ。

四国を巡っていたTKさんのお名前が書き添えてあった。
花粉症で一時帰省しているのだとか店の者から聞く。

思わず四国の香りを吸ってみた。

忘却

今日は急用で何人か休んだ為に、
精鋭での店番だった。

フラフラと出かけることもなくまじめに店に張り付いていた。

おかげで、いくつもの出逢いをさせてもらえた。

昼過ぎに来店された仲の良い母娘のお客様。
小一時間店内でゆっくりされていた。

年頃のお嬢さんと友人のように何でも相談しながら買い物を楽しんでいらっしゃる。
(よほど仲がいいんだ)そう思いながら、話の輪に入った。

北海道北見の方だった。
和気藹々に話しておられたと思っていたお嬢さんは、
一年前の北見のガス事故で一酸化炭素中毒の後遺症に苦しんでいる一人だった。
生きていたのが不思議なくらいなのだという。

外見からは全くわからない、年頃のお嬢さんなのに、
中枢神経がやられてしまって通常の受け答えができない。

「北見市の事故?」
伺っても、
初めは何のことか頭に浮ばなかった。

都市ガスの事故・・・」とさらに聞いて、
当時マスコミを賑わした。
ようやくはっきり思い出すことができた。

次から次に起こる事件事故に、去年1月の事故と言うのに・・・
もう忘れかけようとしている自分にあきれた。

しかし当事者は、こうして、
現在進行形で生き地獄を味合わなければならないのだ。

考えさせられた。

手作り正信偈

最近、手作りの正信偈(正信念佛偈)を見せていただいた。

とたんに、
魅せられてしまった。

小型の納経帖を利用して手書きされた正信偈
ああこういう作り方があるのか・・・
白骨の御文も合わせて綴られている。

へ~へ~とページを捲るたびに感嘆符が多いものだから
かわいそうにと思っていただいたのか・・・
はたまた、危ない人と思われたか・・・

とにかく感動したのは確かなのだった。

あれから何日もせぬ
朝、
何気なくポストを開けてみると、
届いた郵便物は、一見すれば誰の手によるものかすぐさま連想できる
活き活きした字が封書面を躍っている。S師だ。

急いで開封してみると、和綴じ手書きの正信偈。

おおお・・・
驚きの声がへその辺りから唸った。

求めよさらば与えられん。

学び実践するのが一番の恩返しか・・・

もう春

もう菜の花が手に入るの?

春の風がふわっと吹いた。

春だなあ・・・

雪でした

しっかり積もっていた雪を写すのを忘れて
慌てて雪の小僧さんをパチリ。

偉いやっちゃ。君は。

ミニダルマもあちこちに現れていました。