沈香
海外のお客さま。
茶話会のあと・・・
お香を買い求められた。
「気を落ち着かせる」ことを念頭に沈香の刻み。
沈香には鎮静成分がある。
今日は、英語の達者なメンバーも、
香道の先生も揃っていたから心強いところだったが、
お話しすると、日本語はぺらぺら。
日本文化もよく理解していらっしゃった。
香道の話も
呑み込みが早い早い。
店で落ち着いていただけたのか、
一緒にご来店くださったお供の方と、
すっかり茶話会となってしまった。
後で写真を撮ればよかったと後の祭り…
せめて雰囲気だけでも。
まだ、人の気が残るのがお判りになるだろうか。
とにかく、今日も外人さんが多かったこと…
もっと勉強しておけばよかったと
後悔するBoo店長であった。
嬉しい限り・・・
お得意さんのO様から
絵手紙のお便り。
なんとも言えず…ほのぼの
真似しないとね。
試験中
念珠の中糸…腕輪の場合はゴムの寿命は、
本当にマチマチなのだ。
切れる人はその場で切れる。
5年も6年も持つ人もいる。
この差はナンだろうといつも不可議に思う。
沈香の腕輪は10年以上持っているし
トルマリンの腕輪は3年を有に越えている。
試験中のこの玉でついでにゴムの実験もしている。
水仕事時は、腕からはずすを鉄則のところ、
あえて手にしたまま。
それどころか、遠慮なしに
ジャージャーとかけまくっている。
玉は木製でありながら、全く変化なし。
けれど、ゴムは光を失った。
浅草のトンボ
子供の頃は、近くの池にヤゴ採りに
よく行った。
益虫であることは聞かされて知っていたし
なにより身軽に飛行する姿は、大好きだった。
都会といっても昔は、そこいらじゅうに沼地や田んぼも残っていたし
ギンヤンマもシオカラもアキアカネも珍しくもなく、
当然に生活の一部としてあった。
市街化、特に土地の有効利用のため高層化する都会は
生物体系をことごとく変化させたように思う。
いなくなって初めて、貴重さがわかってくる。
自然は生き物なんだなあ…
朝、必ず店前に水を撒く。
一時の水溜りができる。
どこに生息していたのか、
ひらりとどこからか飛来するものがあった。
吹き出すホースの水に飛び込んできた。
トンボである。
おいおい…
ホースの水のいきおいに巻き込まれて、
路面に落ちて気を失ってしまった。
まだ新米だね。
見るとあまり知らない種類だった。
後で調べて「ノシメトンボ」ということがわかった。
拾い上げ、人工呼吸こそしなかったが、
すぐに息を吹き返した。
小さな命、けれど大いなる自然が戻った気がした。
猫のおなか・・・?
当店はレジの周りには、格子枡を設けて
香炉が人目に楽しめるよう配置にしている。
お客さまのみならず、販売側もレジに立ちながら、
あーだ。こーだ。と、香炉の柄を気にしながら見ることができる。
で、レジ前で作業をしていると…
気になる香炉が目に飛び込んできた。
あれ?
こんな柄あったっけ?
それもそのはず、どう見ても
トラ猫のお腹そのものじゃないか。
この太り気味は、ドラえもんのそれにそっくりだし。
?????
ありえない。
入れた覚えないもの。
表に回って確かめてみた。
なんのことはない、九谷焼の赤富士の香炉じゃないの。

物事は、裏表確かめないといけないよと
諮詢してくれているようだった。
記憶
四万六千日の最中は、毎年めったに会えない方との出逢いがある。
あまりに自然な成り行きで再開するので、
いつも不思議な感覚でならない。
混雑していた店内に背を向けて、
懸命に作業中、視線を後ろに感じた。
振り返ると、そこに、女性が作業を覗き込むように立っていた。
瞬間、あ!と思い出す。
名前こそ出てこなかったけれど、
以前、カナダに移るということで、
向うで切れて困ることのないようにと、ブレスのゴムを強化したのだ。
話をすると、「あれから15年ね」と言われる。
15年?
昨日のように感じる。
ヒューっと当時に戻ってしまったのだ。
次々に会話の内容が思い出された。
最近は10歩歩いたら、何しに動いたのか忘れてしまうと言うのに…
ぼくの記憶の装置は一体どうなっているのだろう。
いちおう混みました。
ずっと以前は、夜中まで営業したんだよ。
13:10
まだ、都営浅草線は動きません。
案の定、お客さんの足は、さっぱりなのだ。
エ~ン、何とかしてよ。
長崎から
長崎から懐かしいお客様がみえられた。
と言っても、リアルでお目にかかるのは初めてなのだが・・・
「初めまして、いつもありがとうございます」が、
ネットの常用挨拶になる。
何度、こういう光景を繰り返しても、不思議な空気を感じる。
だってわかっているんだもの。
どういう方なのかは。
けれど視覚、聴覚で感じるのは初めてのこと。
正確に表現すれば、「視覚で初めまして」「聴覚ではじめまして」
なのだ。
気持ちはわかっているから、細かい説明はいらない。
なんだか身内の感触に似ている。
顔も見ていないのに、前に立たれると、なんとはなしに「○○さん?」
と名ほど口をついて出ることはないが、なんとなく判るのだから面白い。
ネットで仕事を始めたころ
ネットに特化して、リアルの店は閉めようかと
何度思ったか知れない。
店を維持していくことは、リスクだらけ。
経費も人も馬鹿にできない。
自分の理想を通すことと、現実はなかなか一致しない。
それならばと、ネットに切り替える準備を96年に始めた。
でもね、ネットがどんどんリアルに近づいてきた。
しかも活き活きしたつながりを求め、
お店にネット経由で訪れ始めた。2001年頃から特に顕著になった。
「ここじゃなきゃダメなのよ」
どっこいしょと、腰を下ろしながら話してくれるお客様もすこぶる
多くなった。
「お客様へ責任のあるを感じる」とは、言葉が多少重いけれど
効率や理想にばかり目を向けている自分に気づかされた。
「五感で感じる店のあり方」
店を始めた頃考えていた言葉を心のたんすから引っ張り出してきた。
ネットのおかげだと思う。
できることをやってみよう。