まだ、都営浅草線は動きません。
案の定、お客さんの足は、さっぱりなのだ。
エ~ン、何とかしてよ。
とにかくいろんなことが毎日
まだ、都営浅草線は動きません。
案の定、お客さんの足は、さっぱりなのだ。
エ~ン、何とかしてよ。
長崎から懐かしいお客様がみえられた。
と言っても、リアルでお目にかかるのは初めてなのだが・・・
「初めまして、いつもありがとうございます」が、
ネットの常用挨拶になる。
何度、こういう光景を繰り返しても、不思議な空気を感じる。
だってわかっているんだもの。
どういう方なのかは。
けれど視覚、聴覚で感じるのは初めてのこと。
正確に表現すれば、「視覚で初めまして」「聴覚ではじめまして」
なのだ。
気持ちはわかっているから、細かい説明はいらない。
なんだか身内の感触に似ている。
顔も見ていないのに、前に立たれると、なんとはなしに「○○さん?」
と名ほど口をついて出ることはないが、なんとなく判るのだから面白い。
ネットで仕事を始めたころ
ネットに特化して、リアルの店は閉めようかと
何度思ったか知れない。
店を維持していくことは、リスクだらけ。
経費も人も馬鹿にできない。
自分の理想を通すことと、現実はなかなか一致しない。
それならばと、ネットに切り替える準備を96年に始めた。
でもね、ネットがどんどんリアルに近づいてきた。
しかも活き活きしたつながりを求め、
お店にネット経由で訪れ始めた。2001年頃から特に顕著になった。
「ここじゃなきゃダメなのよ」
どっこいしょと、腰を下ろしながら話してくれるお客様もすこぶる
多くなった。
「お客様へ責任のあるを感じる」とは、言葉が多少重いけれど
効率や理想にばかり目を向けている自分に気づかされた。
「五感で感じる店のあり方」
店を始めた頃考えていた言葉を心のたんすから引っ張り出してきた。
ネットのおかげだと思う。
できることをやってみよう。
念珠修理は、うちの強みのひとつなのかもしれない。
(仏壇でも仏像でも掛軸でも修理するが、職人に出さざるを得ない。
自分の手作業は念珠となる)
仏具を扱う店ならば、
どこでも修理を受け付けないところはないだろうが、
一部のを除いて修理は自ら行なう。
時間に追われるなかの手作業なので、
迷惑をおかけしてしまうこともあるのだが…
嫁に出した娘が、里帰りするようなもので、
自分のところの念珠の変化の様は、
本当に千差万別なのであり、嬉しくもある。
ブレス念珠などとハイカラな名称を冠しても
もとは念珠でありれきとした法具。
トイレ、風呂場、就寝時は、
はずすものと、作り手は当然と思っても、
嫁ぎ先には、様々な環境にあって、
皆、違った顔になって還ってくる。
楽しくもあり、悲しくもありだ。

皮脂の輪ができるほどつけたままなのだろう。
頼りにされているのはわかるけど、
「たまには休ませてあげてね…」
などと、糸を通し直ししながら、小声でつぶやいている。

今回の記事は、
100歳になられた松原泰道師の「お盆の話し」
駒澤大学名誉教授の奈良康明師の「経典を読む」
武蔵野大学教授の種村健二郎氏の「ママだいすき」
お盆間近ということもあって、毎年お盆にまつわる話しとなるが
言い方は失礼だが、本当に厭きさせない。
お年を感じさせない軽快さがある。
ムディターは、
布施本ではありますが、
今か今かと待ちわびていらっしゃる、
根強いファンがいらっしゃるんです。いつでもどうぞ。

また悪い癖?が出てしまった。
納品する準備をするために最終チェックしていたら、
ん~~・・・
見つけてしまった。
職人のちょっとしたミスなのだが・・・
気が付かないよな、こりゃあ。
でも、もうだめ。
見過ごせない。
念珠つくりでも、おんなじことはしょっちゅうだが
仏像にしても、表装にしても、職人の姿勢に問うてしまう。
完璧でなきゃ・・・
「ごめん。
悪いけどやり直して」
何度いってきただろう・・・
また、お客様の了承前に言ってしまった。
事後承諾だ。

ようやく盆提灯が店頭に並んだ。
いつも遅れに遅れて、
6月の中旬以降と言うことが多かったのだけれど、
今月は、何とか…曲がりなりにも…
僅かなりとも…
第一日曜前の展示に間に合った。
5月中旬にはお客さまが、
盆提灯の確認にいらっしゃるのだから、考えると遅いくらいなのだ。
年々仏壇店から消えていく盆提灯。
ホームセンターやデパート、人形屋など販売チャンネルが増えているから、
以前のような勢いがないからなのだろう。
けれど、仏壇店が先祖供養の専門家なのだよと考えると、
店頭から消えることは、意地でも続けて欲しいのだ。
お客様に心配りするのは、
商売の基本中の基本。
じゃあ、お客差に心配りされることは・・・
言葉が出なくなる。
感動(涙)さ。
お直しのご依頼をいただいて、念珠が届いた。
何日か前のこと。
今日、お直しが終って、返送する為に改めて、
同梱されていたお手紙を読んでいると、
便箋の挿絵かと思っていたそれが。
本物の桜の花だったことに気づいた。
ボンドで、便箋に貼ってくださっていたのだ。

そんな心使いが、本当に心に沁みた。
学ばなきゃあ・・・な。
無事、お仏壇の納品完了。
数日前の嵐がうそのよう。
晴れ渡り気持ちのよい納品日だった。
自慢じゃないのだが、
仏壇の納品時に雨に降られた経験は、一度たりともない。
仕事をはじめて四半世紀たつが、一度もである。
最近は、少なくなったけれど、
お仏壇を家に迎い入れる日には、
施主さんは、
山海の珍味を用意し、
赤飯を炊いて待ってくれたものだ。
我が家に仏様(本尊という意味での仏様)を迎い入れれた日。
という意味と、
今の自分を生み育んでくれた、
そして、護ってくれているご先祖様のお家が新築された。
という意味で、本当にめでたい日なのだ。
今を生きる自分たちの家を新築するときですら、
酒宴をもうけて祝うほど、めでたいのであるから、
ご先祖の家が新築されて、祝わない法はないだろう。
そんな大切な日が、お仏壇の納品という記念日なのである。
めでたい行事なのだから、雨もそのときは少し遠慮して、
お日様をにっこり出してくれるようにさえ思えてならないのである。
長雨の時期でも、台風の最中でも、幾度納品したかわからないが
ただの一度も雨具を用意したことはない。
台風の最中納めさせてもらったときは、家に着いたとたん日が差した。
風も止んでしまった。
そして、家にお仏壇を納めたとたん、
思い出したように雨はドッと振り出した。
台風の目に入ったんだと思えばそうなのであろう
が、それは結果論である。
それを計算し、目論んで出かけたわけではない。
単純に、ご先祖様が喜んでいるのさ。
と思うほうが、至極わかりやすいではないか。
できるだけ、ジンクスは切れないことを願っている。