いよいよ東京マラソン

東京マラソンがいよいよカウントダウン。
2月18日に第一回東京マラソンが行なわれる。

個人的には、今か今かと心待ちにしていた。
国内外からの招待選手もかなり多いようで、
3万人参加のマラソンと、なかなかのものである。

浅草は27Kmくらいの折り返し地点。

雷門前には、イベント会場になるようで、
これは、いささか創造を越える賑わいになりそうだ。

ただ、交通規制される地元では、なかなか複雑。
商売に影響が出ることを懸念している。

ぼくも同じように懸念すべきなのだろうが、
商売っけのないBoo店長は、すっかり舞い上がっている。

1年ほど前、何やら黄色いウィンドブレーカーを着た集団が
巻尺を持ちながら、雷門前を測っている姿に偶然出くわした。
それが、そもそもの発端。

いつか、東京ー大阪の自転車レースの開催を夢見ているものだから、
こうしたイベントが人の心に、
きっかけの種を植えてくれていったらと思うのである。

ともあれ、あと19日。

http://www.tokyo42195.org/

「観音のご縁日」にイベントとは、
なかなか憎いじゃあなあいか。

その一ヶ月後の3月18日は、
観音様が隅田川から拾い上げられたとても大事なご縁日(示現会)
となれば、東京マラソンは、前座ということ。かな。

古地図

元来、地図好きが高じて土木屋になったようなものだから
地図を見ていたら、何時間見ていてもまったく飽きることはない。
mixyの友人から教えてもらったヤフーのサービスにしばらく虜になっている。

http://map.yahoo.co.jp/kochizu/index.html

江戸時代の古地図・明治期・現代と三代が重ね合わせになって表示する。
特に縮尺の違う古地図をよく当てはめられたものだと感心する。

道路の曲がり具合がそのまま旧道として現代まで継がれている地域もあれば
全く影も形も残さない地域もある。

その変遷に思いをはせてみるのもなかなか妙である。
人の性(さが)だろう。関わりのある地域ばかり拾い読みしている。
浅草が起点で舐めるように、隅田川を上下する。
浅草を基点に、車で通る買い物コースをトレースする。
浅草を起点に、ちんちん電車のあとを追っていく。
何でも浅草が起点になる。

面白いことに、明治の地図は、江戸の道をそして風景を色濃く残しているが
現代の地図には、その風情が全く受け継がれていない。
秩序が感じられない。全くの異空間に見えてしまうのだ。
かろうじて、道の構図が似ていると言うだけで…

何か違うのだ。単に時代が違うというだけでは、どこか釈然としない。

しばらく考えてみたとき、しばらくした後に「は!」と気づいた。
明治期と現代の間には、大戦の洗礼があった。

戦争は、それまでこつこつと築きあげてきた都市の風景を
根こそぎ焼き尽くした。文化すらも。

戦後無秩序に膨張、変貌していくエネルギーが都市の景観を
すっかり変えた。

田んぼが市街化したに過ぎない江戸から明治の地図と
市街化されたあと、秩序を失ったあとの変貌さを見せる
現代のそれを比較してみていると、

どの歴史書を読むよりも、赤裸々に、
人の愚と智を伝えている気がしてくる。

観音堂を望んで

不忍池を覗き込むと、まだまだ冬。
春を待ち、土中にしっかり栄養を蓄えているんだろうなあ。

遠くに、清水観音堂を望む。

ここも仲見世

東本願寺門前。
浅草の本願寺さんとして江戸時代の錦絵にも表されている名刹。
今は東本願寺派本山。
ここに店舗が並ぶ町並みがあったら、おもしろいなあなどと想像してしまう。

浅草の空

思いのほか雲が厚かった。
暑すぎず、寒すぎず。でも今は真冬のはずなのに…

人も神様も一杯!

雷門前はご覧のとおり。
歩行者天国で気持ちのよいスペース。

それにしても、黄色いプラカードが目立つのにびっくり。
「神様は・・・」のあのかたがただ。

托鉢風のアルバイトも立っているし・・・

恥ずかしながら、正月三が日に、昼間の浅草散歩は、はじめての事。
買出しかたがた、頭の切り替えに出たに過ぎないのだが…

こんなに多かったの・・・

いやあ・・・
たまに表にも出てみるもんだ。

と驚く、井の中のBooなのでありました。