光よ
待ちかねたぞ。
店頭…
じゃない転倒…
じゃない。
ついに点灯じゃ。
ピッカー
そして…
そんでもって…
ついでに…
まあ浅草らしいでしょ。
おまけにこれもだ…
今日もきれいでした。
浅草歳時記。TONちゃん的目線で見た歳時記
光よ
待ちかねたぞ。
店頭…
じゃない転倒…
じゃない。
ついに点灯じゃ。
ピッカー
そして…
そんでもって…
ついでに…
まあ浅草らしいでしょ。
おまけにこれもだ…
今日もきれいでした。
ようやく浅草にイルミネーションがついた。
雷門から駒形橋にかけての通り(並木通り)にである。
前にもお話ししたように
ここ浅草は、すでに正月モード。
浅草寺を中心の門前町だからしかたないにしても
いささか、気を遣いすぎじゃないのって思うことも…
ロケーションを最大限に活用するという意味では
地元愛に満ちているとも言えなくもないが。
東西霊性交流(東洋と西洋の宗教交流)が盛んになりつつあるのだから
ツリーの飾りが雷門にあっても
目からうろこで、たまには良いと思うのだけれど。
ともあれ、早く点灯しないかな。
浅草は、すでに正月モード。
タイムマシンで時間を先取りしたような気分と
クリスマスを飛ばしてしまって損したような複雑な気持ちになる。
やっぱり僕は日本人なんだと思う。
仏教と神道と道教とキリスト教とが渾然一体とした文化が好きみたい。
浅草にクリスマスはいつ来るんだろう・・・
夜、浅草寺の境内を歩くと、
銀杏の美しさに感嘆符を打つ。
はらはらと見てる間にも降りつづく。
落ち葉が積もる光景に思わず一句もれる。
「お地蔵のあたまに黄色い雪が降りつもる」
いよいよ師走。
空もこのようす。
気持ちのいいこと。
ようやく足を伸ばせた靖国神社。
昇殿参拝が終わるや否や、靖国神社をあとにして
最終日を二日後に控えた上野の仏像展に急いだ。
急いだといいながら、
この天気のよさに初めて飯田橋まで歩くことに。
靖国通り沿いは雰囲気のある街路
ど根性根っこにも出逢う。
(まあどこにでもある光景だけどね。都会の木はかわいそう)
目的は、こちらだったのだが滋賀県向源寺の十一面観音思いがけず宝誌和尚の像に出会い魅入ってしまう。
墨田公園もちょうどよく色づいて
セーヌのほとりのように雰囲気のある空間を作っている。
木漏れ日の中に人の温かみとあいまって
居心地がいい。
春は桜で混みあっている同じ場所とは思えない。
本当に美しい。
ほんの数分で、とばりがかかる。
花よりだんごは、駅に戻る。
こっちのほうが懐かしいと思うご同輩も多いだろう。
最近はあれ?と思う店が、
浅草にも増えた。
面白そうだけど、はいれないなあ。
このお三方が、後世、俗に言う三社様になるわけだ。
店を浅草寺脇の花川戸から、この通りに移した頃は、
僅か数えるほどしか商店はなく、ちょっと寂しい通りだった。
夜になるとうちの店だけが、煌々と明かりがともり、
光と香りとで人を引き寄せる みたいな存在だった。
毎年のように、一軒また一軒と、店も増え、
18年もたつと、いっぱしの商店街らしくなってきた。
新人だったぼくも、いつの間にかロートルに組み入れられて
いて、古参組みと呼ばれていた。
昨日お隣に、この通り2軒目の喫茶店がオープンした。
「クローバーカフェ」
自分のことではなくとも、ウキウキしてくる。
早速、野次馬根性がむくむく湧いてきたが、一日中忙しくして
それどころではなかった。
その間に、喫茶店の店主のほうから来店を受けていた。
高い伽羅のお香を買い求めてくださったという。
ちょうど留守中のことだったので、夕刻、お礼かたがた、挨拶に訪ねると、オープンの助っ人で来られていた、店主のお母さんと、ついつい話し込んでしまった。
大阪の人だった。
次男が俳優を目指しているとか。
そのために東京の拠点+おさいふ、としてはじめたらしい。
実家は、自転車屋だという。
「自転車」おーー。
聞き捨てならぬキーワードであった。
「あさひ」という屋号らしい。
しばらく離れていた趣味ゆえ、業界地図にうとくてわからない。
「町の自転車屋さんかあ」儲けにくい商材だから、跡継ぎ大丈夫なのかななどよけいな心配をした。
店に戻り、WEBで検索してみた。
「あった、あった」
CYCLE BASE ASAHI
東証二部上場企業…
自転車屋ねえ…まあ…たしかに(汗)。
ということで、
来週の金曜日の「文化の日」は東京時代祭り。
赤いのぼり旗がはためき
いやでも、間近に迫ることを告知している。
神社をぶらぶら
昼食の時間を利用して、浅草神社を改めて散策してみた。
浅草寺境内は
ちょうど菊花展の真っ最中で、ちょい混み状態だった。
ウィークデーでもあったので、
どちらかというと、人生の先輩方が多く目についた。
神社は、元は浅草権現と呼ばれていた。
浅草の観音様を大川(隅田川)から、網にかけて引き揚げた漁師の兄弟と、
引き揚げた観音様を自宅に安置した時の地頭の三名を祭った。
だから、浅草寺と神社は、一体のものなのだ。
本来なら別けるのがおかしいのだ。
事実、江戸時代までは、浅草寺管主が権現様も管理していた。
明治の廃仏毀釈の嵐の中、無理やり分離されて今に至る。
鳥居から中に入ると、「見てやろう」という意欲で見るせいか
今まで「なんで気付かなかった」かなと思うほど
碑が多いことに気付いた。これには驚いた。
歌舞伎役者達の句碑、扇供養碑、木阿弥の碑、川松松太郎の句碑…
あるわあるわ。
こち亀まであるじゃん。
お百度まいりもあるんだと
改めて驚いた。
そんな中、
のんびり猫が毛づくろい。
おいおい、お前さんがよっかかっているのは
狛犬さまだぞ。
一言声をかける。
そうか…
どうりで、落ち着きはらって逃げないわけだ。
神様がバックボーンにいるんじゃあね。