条件反射

もう、6月。

6月と言えば、

来月は7月。

7月と言えば・・・
僕の誕生日・・・いやいや、お盆月。

はーー・・・。もうお盆ですか。
ここ東京は、新暦のお盆なのである。

ありがたいことに、地方からの方も多いから、
7月もお盆。8月もお盆。9月は彼岸と立て続けに
供養心が表面化する。

とっても月々、供養月なのであり、
仏壇屋さんの忙しくなる月、つまり繁忙期となるのである。

こちらの気持ちも、どことなくあちらの世界が
(ここでいうこちらは自分 あちらとは、黄泉の国のこと)
なんとなく近くに迫ってきているような・・・
不思議な感覚がめばえてくる。

夏は、お盆提灯(ぼんちょうちん)。

今では、スーパーや、お人形屋さんにまで現れるように
なってしまい、「今年はもういいかなあ・・・」なんて
出すのをためらいたくなる空気が、若干なりともある。

どこでもやっているんだものね・・・
しかしこれは、言い訳けなのだ。

そういいながらも気付くと、倉庫から小物を出してきて
夏の準備をしている。しないと寂しい。

仏壇屋の性(さが)というのだろうか・・・

気付く前に、文句を言う前に・・・勝手に体が動いている。
ハブロフの豚・・・いや、犬というやつか。
ベルを鳴らされると、勝手によだれが出てしまう、慣らされた犬なのだ。

たまーに熊本の妻の実家に帰る。
養豚業をしている義父の仕事場についつい、子豚見たさに
豚小屋の中を散歩する。
なんのアクションもしないのに、豚たちがついてくる。
人をみるとよだれをたらす。子豚はいいが親はこわい
猪?と見間違える奴もいる。「僕は食えないぞ」心でさけぶ
まだいっぱいついてくる。「食ったら共食いだぞ…」
でも、これは人を見れば、餌をありつけるという養豚の習性なのだろう。

僕への愛ではないのだ。いや正しくは、あるのだろう。
細胞の一つ一つに、脳みその奥底に「生存する為の方程式」が
刷り込まれている。

6月になれば心がざわつく、僕とどこが違うか・・・。

もうちょっと考えようよ

ネットショップを始めてから
自分でも信じられないくらい
寝なくなった。

大丈夫かなあ・・・

と思うのだけれど、持ってしまう。
体がである。

こうしてパソコンに向かうのも、毎朝の日課。
3時には目がさめる。
何時に寝ても微妙な差はあるけれど

始めた頃(ショップを)は、夜更かしだった。
とにかく寝るのが、4時5時の毎日だった。
だから、ちょうど今のタイムテーブルがひっくり返っているようだ。

どちらにしても4時間前後という計算になってしまう。
なんでも、とことんやらないと気がすまない性格らしい。

3時4時からコツコツやっていると
ニュースが聞きたくなって、TVの「ながら族」になっている。
~しながらの、ながら族である。

衛星放送などという気の利いた文明は、当家にはまだ到来していない。
だから、アナログの地上波のかけ流しである。

ズーっと流していると、ニュースソースが少ないため
繰り返し繰り返し、脳みそに刷り込まれ
6時頃にもなると、口から勝手に「昨日のニュース」と
あふれ出てきてしまいそうになる。

さあ今日一日がんばろう!という活力に満ちたニュースソースは
ここ最近、ホントーに、少ない。

目を覆いたくなる「何でだよー!」が多すぎて
刷り込まれた脳みそが、感情に与える影響は、
負の影響ばかり・・・

湧き出してくるものは、ため息。

マスコミさんも報道や特ダネには大変なのだろうけど・・・
どのチャンネル見てもおんなじことを流しているものね・・・
「うそも100回聞けばほんとになる」アジ演説の効果(ニュースが
うそとは言わないけれどね)。
サブミナル効果って言ったっけ、心理作用は大きいと思う。

だからこそ
「うれしいチャンネル」「元気の出るチャンネル」「癒されるチャンネル」
「理想のチャンネル」「感謝のチャンネル」
って作ってくれないものだろうか・・・と思う。

子供の時、「七人の刑事」が大嫌いだった。
姉は好んで見ていた。力関係で、いつも見る羽目になってしまっていた。
見ると、心を暗くしていた。
現実が苦しいのに、「何で好き好んで、こんな人のあらを見ないといけないんだよ」
といつも喧嘩していた。

TVは夢を持たせるのが使命だろう・・・自分の中にはこのときに培われた。

まあそんな、たいそうな話ではないけれど
この先、デジタル放送に移行するなら、
絶対にこれさえ見れば、夢を与えてくれる
アンパンマンみたいなチャンネルがあって欲しいと思う。

やさしく、やさしく・・・

ついにだましだまし使っていたルーターが
悲鳴を上げてしまった。

あっけなくも昇天してしまう。

さあ困った。
この忙しい時間に
ネットにつながらなくなっちゃった・・・

飛んで・・・
と言っても、地下鉄で秋葉原に急ぐ。

大江戸線の蔵前駅から新御徒歩町経由で
秋葉原。
降りれば、今トレンドの量販店にダイレクトにつながっている。
「こりゃ楽だわい」

そう頭でシュミレートして出かけた。

けれど
「思う」と「実際」とは、かなりギャップがあった。

そもそも、何ぜ、人間様が地下にもぐらないといけないんだ!
車窓を楽しむ面白みもない。
テクテク階段を上ったり降りたり、
僕はいいよ・・・若いから・・・(^^;

横浜育ちは、足腰鍛えられているからね(山坂多いから)。
何百段だって何ともないけど。

これ、足が悪かったら、地獄だよ。
自分が車椅子に乗るようになったり、
目が不自由になったりしたら・・・
自己否定されるなあ・・・きっと。

駅員さんも、駅構内では、ほとんど見ないし・・・
ちょっと頼むことも、尋ねることもできないじゃない!

健全者なら、こともなげにスルーできる回廊であっても
肢体不自由な立場から見れば、難関につぐ難関だ。
これは、優しくない・・・
絶対優しくない。

さすがにつくばエクスプレスはエレベーターが付いて
利便をはかっているようだけれど
何せ、エレベーターの位置が悪いよ。
遠い。

乗降口や乗り継ぎ位置から、絶対に遠い。

ただ、付いていればいいっていうんじゃなく、

優しくなろうよ。この町。

セキュリティ「高」の時代

今日は朝からお父さんを勤めて
学校の参観日。

末っ子が最後の小学生だけに、
学校行事一回一回を、記憶に刻むような気持ちになってくる。
ロマンチストだね・・・夢見るboo。

遅れて学校に入ると、ちょうど浅草署のおまわりさんが来られて
全校生徒の前で、なにやらお話をされていた。

なになに・・・
「知らない人が尋ねてきたら、インターホンごしで話をしなさい」
んー危ないからね。

「宅配便です」って言われたら「家の者がいないから後にして」
んー。ネットでの通販業者は、ちょっとめんどくさいね・・・

「受け取ってよ」って言われたら
チェーン錠をかけて応対しなさい。
そ、そうねえ。

「エレベーターに乗るときは、一人で乗りなさい。それか、一緒に乗るのは、よく知った人とだけよ」
そ・・そ、そうねえ。知ってる人でも危険なやつはいるけどね・・・

「知らない人だったらお先にどうぞって言いなさい」
そ、そ、そ、そうなの・・・そこまでするの・・・
そういえば、お先にどうぞって何回か言われたことあったっけ
そうかあ。そうなんだねえ。

どうりで、同じマンションの子供たちに、挨拶しても返事が返ってこない訳だ・・・
「怪しいおじん。要注意じゃ。」くらいのものか・・・

セキュリティーレベル「高」の時代に生きる。
また、育てるっていうのはこういうことなのかと、
強烈なジャブを何発も喰らったような刺激だった。

去年、小学生までの子供が知らない人から、声をかけられた件数が、
この浅草署管内だけで、30件近くあったそうな。

かくゆうbooだって、小学生までなら(それ以上は聞かないからね、怖いし)、
道路で夢中になって遊んでいる子供には、
見るに見かねて「危ないぞやめろ、やめろ」って
止めるまで何度も声をかけているから・・・もしかして、それもカウントされているかも・・・

なぞと考えていた。

「声かけ前科○○犯?」

時間を超過してまで、声を枯らしながら、説明していた婦警さんが

親を前にすると、さらにダメ押しのように、声を大にして、叫んでおられた。
「インターネットのフィルタリングは親の義務ですよ」「出会い系サイトに子供は行くんです」と熱をこめて、叫んでおられたのが、痛く痛く、耳に残っている。

具体的事例は出されなかったけれど、きっと目も覆わんばかりの惨状を
そんな事例をいくつも、見ているのだろう。
「フっと」頭をよぎった。
夜回り先生の水谷先生もおっしゃっていたけれど、
惨状を知っているから声に凄みが現れる。経験者だからにじみ出る凄みなのだと思った。

人と人の間を仕切るもの・・・
オープンになることの怖さ・・・

人が人とつながることが危険・・・だよと言わなければならない。
こんな「悲しみ」は現代の病巣だと感じてならなかった。
こんなのおっかしいよ。とここまで声が出掛かっても、
事実そうなんだものねえ・・・

それを直視して、現実と戦わなければならない人たちに対し
心から敬意を評してやまなかった。

勉強会でした。


ときどき霞ヶ関ビルまで出向く。
浅草と違って官庁街の緊迫感を感じる。
東京は狭いね・・・

今日は、買いパラ
の勉強会。

あまりなじみのない広告業界の話を勉強させてもらう。
読広コムズ
の高橋講師。
この道うん十年とか。
七人の刑事ばりの雰囲気の持ち主。関係ないか・・・

聞くと、
WEB広告の伸び率150%だって!
他の媒体が軒並み前年比並もしくは、縮小傾向と言うのに・・・
すごいものです。
待ち望んだ時間と言うのは、あっという間に終わってしまう。もの。
睡眠不足のくせにまぶたの筋肉は緊張しっぱなしだった。

霞ヶ関ビルは、土木技術者を志したものは、
「超高層の曙」の映画の中で「黒部の太陽」とともに
見させられる映画の一つ。

何度もきているのに、最上階から展望したことなかった
「よし!」行こ。
帰りかけた下りのエレベーターを上りに乗り換えた。

なのに・・・

・・・・・・展望室なくなっちゃったって。

まあ。もう35階じゃ超高層でもないっか・・・

帰ろ。

眺望を見ることができなかった霞ヶ関ビルをふと振り返ると。
ほ~。

第二霞ヶ関ビルがもう立ち上がってきているじゃないの。

竣工したら、今度は頂上行こうっと。
ブタも高いところは、好きなのさ。