妙見菩薩の香合

白檀の香合をひさしぶりに作らせていただいた。

老山白檀の塊りもめっきり手に入らなくなってしまった。
ゆえに作っても柘植での制作が多くなって老山のもつあの感覚が遠のく一方。

久しぶりの感触だった。

八臂弁財天

こういう彫りもさせてもらっていたんだなぁ。

直しで戻ってくる仏像に「お帰りなさい」と声をかける。

またねと送り出す。

お嫁行き

念珠堂の強みは、仏像のオーダーに強いことだと思う。

自分で言うのもおかしなものだが、とにかく気に入ったものを追求してしまう。

作らされる者、つまり仏師はたまったものではないだろうが、心が動かないものは世に出したくないのだからしかたがない。二寸の不動明王を手直し手直ししながら1年かかってしまったり、薬師如来を3年も4年もかけながらも納得いく彫りに至ることなく終焉してしまったこともある。

付随してとても困ることがある。それは販売したくなくなること。

仏さま一体一体に思い入れがある。

泣く泣く行ってらっしゃいとお嫁に出す。。。というTONなのでありました。


観音様のミニ香合仏これも形になるまで時間がかかりました・・・

ブーム?

一時ブームがありましたね。

阿修羅の名前は広まりましたけど・・・

ブームでお守りするものではないのですけどね・・・

心こめるということ

この表情が出せない。

この表情に逢いたくて観音像を何度作ってもらったことか。

残念ながら出会えない。

彫刻刀の一筋がどう走るかで0.1ミリ違うだけで表情はころっと変わる。

だから面白いのかもしれないけれど、仏様の顔から醸し出す表情には無心の境地で木の中から見つけていただくしかないのだ。

それにしても・・・このお顔に逢いたい。

う~~ん

う~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん

修復でお預かりした観音様で1寸8分なれど・・・・・う~~~~~~~~ん。

久しぶりに鳥肌の立つ観音様にお逢いできた。

人の目にどう映るか知らないが、TON的にはう~~~~~~~~~ん。

なのだ。

オーダーの不動明王

仏像の制作が久しぶりです。

完全オーダーなので細部にいたるまで細かく施主さんの意向が現されています。

しばらく鎮座していただくと時代がかかって色ももう少し落ち着きます。

極彩色に仕上げているので表情はつかみにくいですがいい彫りしています。

八仏の額

一体一体お守りいただくことはあってもなかなか守護仏の八体がまとまってお守りされることはまずないでしょう。

それぞれ単体になっても力強そうなお姿に描かれています。

仏像の修復

仏像の修復を受けることもしばしばあるが、その度にため息が出る。
鎌倉期のものはさすがに少ないが、江戸期の在家ものでもうんと唸らせられる。
ここ20年は中国物(その前は台湾)が中心の仏壇業界。

初期の頃の台湾の仏師には仏師の心のこもった仏像も見ることができた。
年を追うごとにあきらかに分業で制作されていることがありありした製品(あえて)が見られるようになって、感動が薄くなっていく自分に気が付くことしばしばとなる。

仏像の修復のご依頼を受けるとそれを見る楽しみはいかばかりだろうか。

昔の仏師はイメージをそのまま木に投入した。
画家がデッサンをするがごとくに頭の中の佛の姿をノミ一つで木の中から拾い上げるのだ。

ノミ痕鋭く佛の形となっている。

一見荒く見えるその像になんとも暖かい佛の血が流れて見える。
そんなわけで、江戸期以前の仏様を見る楽しみは当分続きそうだ・・・


制多迦(せいたか)童子の表情もいい。

如意輪観音

眼入りの如意輪観音さまです。

小さい仏像ながら眼を顔の裏側から入れています。
なかなか手の込んだ作りですが、お顔がいいので何もしなくてもよかったような・・・。