浄土宗のスタイルのストラップ。
ちゃんと浄土宗です。
特注での製作、試験的に創った念珠などなど。
浄土宗のスタイルのストラップ。
ちゃんと浄土宗です。
念珠直しは、僕にとって格好のアイデアの素となる。
人が変われば、考え方も変わる。
作り方も、手順も、玉の選びも。
感心したり、畏れ入ったり、
「人の振り見て…」も、けっこう多いが、それはそれで
次に作るときの肥しになる。
経験値は唯一の財産なんだ。
取引先の営業マンに、
若いけど宝石の鑑定士の資格を持つ者がいる。
アメリカまで学びに行っていた。
「いいね、基礎ができているから」
と投げかけると、
「経験にはかないませんよ」
ときた。
そうね。経験だけは人一倍してきたけどね。
とは思いつつも…
学生に今一度戻れたらなとの思いを、
本音のところには、消えることなく温存しているのだ。
光明真言の念珠。
プラスチック製。
四国番外札所(二十ケ寺)を廻ると手に入る念珠玉と
同じ作り方をしている。
四国の場合は、表に寺名、裏面に番号が入っているので、
難なく組みやすい。
が、こちらは梵字のみ、しかも、
バラバラになっていてさっぱり判らない。
梵字が型押しで作られたあと、
クリアーのプラスチックを流して埋めたものなのだが、
梵字にくせがあるのと、金型のエッジがたっていないためだろう、
不明瞭で、老眼の進みつつある目にはつらい。
フツフツ何やらざわめいてくる。
平常心を取り戻しつつ
これも修行と心を入れ替えて…
にらめっこすること1時間。
オン.ア.ボ.キャ.ベイ・・・
「オン」の字がピカッと光るではないか。
と、思ったら
あとは、するすると謎が解けた。
不思議だこと。
ようやく、なんとか形になった。
108玉を使用した天竺菩提樹の真言仕立
茶水晶で仕立てています。
けれど、りっぱな腕輪なんだなあ。
108玉しかも宗派念珠を踏襲したものをとなると
こういう形になる。
始めは下り部分が気になるけれど
本当にはじめだけ。
だって、尺(6mm玉)や尺二寸(7mm玉)、
中には尺六寸(9mm玉)のお念珠を、
年中腕に巻いていらっしゃる方もいるのだから、
この大きさだったら、全く気にする大きさではない。
むしろ下がり部分がないと、
寂しく感じてくるから不思議なものだ。
真言宗以外にも天台宗、禅宗、日蓮宗、浄土宗の形もある。
念珠の修理制作をしていると、
つくづく瞬間瞬間に精魂を込めないとならないことを
考えさせられる。
念珠の紐組は基本は四つ組だから決して難しいものではない。
けれど、20cm、30cmと紐状に組まれてくると
目の緩み編み違いがあったりして、
心の変化が如実に出る。
ははあ…ここの目はあのときにあんなこと考えていたっけ。
途中で声をかけられて、中断いたときの目だ
心が乱れたなあ…
などと、編み上げられた目を追って
心の動揺が自分には気づく事ができる。
「まだ、修行が足りんなあ…」
「一心に乱れていなかったあ…」
などなどと、一人思うのだ。
直しで帰ってきていた守護本尊ネックレス。
聞くと4年振りということでした。
本当に毎日首にかかって
護っていたのね…
いとおしくなってくる。
左が直し分。
右の新品とは白檀の肌が全く異なる。
こうまで年季の入るものか…
お直しで預かった虫食い珊瑚も
房をつければこんな立派になる。
よくまあ…
枯れているなあ。
これも趣きだ。
梵字と文字(お戒名)
気を引き締まります。
水晶6mm玉で曹洞宗形式のネックレス。
最近制作依頼が多いので、
常備しようかとも思うのだけれど、
やっぱりその方だけのこだわりが出るので
つどにオーダーのほうがよさそうに思う。
直しの念珠。
「穴だらけじゃん」などとは、くれぐれも言わないように。
案外知られていないけれど、
「虫食い珊瑚」とちゃあんと名前がある。
まあ当らずとも遠からず、かな。
見れば見るほど面白い玉だよね…
糸を通し終えたところ
これから糸を足して編みこむのだ。
そして房をつければできあがり。