この風景は今しか見れない。


この位置から浅草寺本堂が確認できる。
いつもなら宝蔵門は見えても本堂は見えにくい。

本堂の瓦の吹き替えが行なわれているから、仮屋根がなんたってどでかい。
無骨な鉄骨の風景が丸二年続くのだ。

仮屋根で見えません

浅草寺本堂の屋根の吹き替え工事。
仮屋根が残体を覆うまでになりました。

惜しいことに、中の進捗状況が見えないのですよね。
二天門の工事もそうだけれど、シースルーできて、日々の状況を共に感じ取れないのはちょっと残念です。

上野寛永寺の鐘楼

江戸の三大鐘楼のひとつ寛永寺の時の鐘

「花の雲 鐘は上野か浅草か」と芭蕉の句にもなったその鐘楼だ。

精養軒に用事で出かけてたまたまその前を通る。
改めて近辺を見渡すが、どう見ても境内地だな・・・
ここは。

明治の廃仏毀釈の嵐は、全国の寺院の領地を召し上げられた。
特に徳川の庇護の下にあった、大寺院を襲った嵐は大きかった。
浅草寺もそうであったし、ここ寛永寺も東叡山と山号にあるように西の比叡山に匹敵する広大な境内地と塔堂伽藍は召し上げられ公園地と化した。

浅草寺は、長い闘争の末に寺に僅かながらも取り戻すことができた。しかし、上野はそうはならなかった。

こだわるわけではないが、不忍池も公園内にある堂宇もそれらを見ていると、広大な東の比叡山を歩いている気がしてくるのにここは公園地。

時とともに変わりきたのだなあと・・・栄枯盛衰を感じざるを得なくなる。

倒れてました・・・

私めではありません・・・

靖国神社のけやき?かな。
樹齢150年と言うところ。

遊就館から駅に向かって歩いていると、神社の外柵間際に立っていた
どでかい木が切り倒されて枝を伐採されてあわれな姿をさらしていました。
見るとしっかりしていてまだまだ切り倒すのには惜しい大木。
神社でこんな神木のような大木を切り倒すのかいな?と不思議に思い職人に尋ねてみました。

「倒れちゃったんだよ」

数日前の強風で根こそぎ倒れたんだというのです。

根っこを見ると、道路側に向かって伸びていなければならない根が全くない。
神社の参道側にはしっかり伸びているようなのだけれど、反対側には数十センチ程度しか伸びていない。となれば、片方の風には強くても反対側から吹かれたらひとたまりもない。
民家側に倒れたら・・・

神社を取り巻く道路との堺にある塀にはりつくように植えられている木々は根が伸びれなかったのだろう。

都会の木々は可愛そうに。と思うと同時に、街路樹はみなこんな感じで生きているのかな。
空恐ろしさも感じた次第。

本殿近くの桜の木のねっこに感動してこんな写真を撮って

「花の咲かない寒い日は
下へ下へと
根を伸ばせ」とブログにアップしたばかりなのだった。

まさか数十歩先に根を広げられずに倒れし大木があろうとは
夢にだに思わなかった・・・

二天門の工事


あと4ヶ月。
もう追い込みの機関です。
ほとんどの形は整っているように見受けられますが・・・