大開帳終了

先月からの開帳も昨日で終了。
次は・・・33年後?かな。


多くの人の手で綱がこんなに痛むのだ。すがる思いがなせる業。


観音さまとのご縁の綱も外された。

またのご縁日まで・・・

地元の歴史

昭和5年の浅草紹介本にも「専堂坊屋敷」として
当店の在るこの場所が説明されている。

ちょうど、並木町と材木町(雷門2丁目内)を境とする格好で一之宮つまり、
隅田川より引揚げた観音像を初めに祀った篤信者(沙門)土師中知の末裔は代々土師専堂坊を名乗り、この地に住んだということがうかがえる。

雷門一之宮商店会

念珠堂前の通りをはさむ僅か100mのこの通りなのだが、
いよいよ商店会としてスタートした。

都営浅草線のホームから、ながーい階段をヒーヒー言って登り出口に到着する。
表に出ると、どういう印象を持つだろうか。
ぼくの古い記憶をたどると、
どこの裏道に出てしまったのだろうか、ここはあの繁華街のはずの浅草だろうかと
不安になった。

そんこんながきっかけで地元有志が集まりスタートが切られた。
初めの難関は、通りの名称。
行政的には区道○号線とあるのだが、まさかね。
区道○号線通り会なんて末代の恥だ。

初めタヌキ通り商店会のようにユニークな名を考えた。
この地に昔あった稲荷にちなんで、「お稲荷さん商店会」なんていう声もあったのだが・・・どうもピンと来ない。

そこで、雷門の歴史を紐解く作業を始めた。

行政の愚策のひとつに行政区分の効率化の為の町名変更がある。
新宿区には箪笥町だ鉄砲町だと、江戸時代さながら何がそこにあったのか連想できる古の名前が残る。
しかし、町名の統合は、無味乾燥の上に文化を失う危惧さえ感じる。
先祖との縦の糸がプッツンと切れてしまう。

浅草の旧町名をみると実に多彩だ。
駒形町、材木町、森下町、三間町、朝鮮長屋、真砂町、専堂坊屋敷、鉾屋敷、並木町、茶屋町、馬道町、花川戸町、山之宿町、猿若町、金龍山下瓦町、聖天町、狸長屋、田町、孔雀長屋・・・
と、じつに多種多様な歴史の香りがプンプンする名が連ねる。
今の浅草何丁目、雷門何丁目、東浅草何丁目・・・とは雲泥の違いを感じる。

明治初期の資料を見ると、並木町の一角につまり、今の雷門2丁目18番地先に土師長夷の宅地がある。
つまり、浅草寺ご本仏である1寸8分の観音像を奉った、土師中知(はじのなかとも・まなかち)の後裔がここに庵をむすんでいたのである。
土師中知の後裔を「専堂坊」(専当坊とも)とあり、浅草寺に承仕した。
権現思想の興隆から中知を阿弥陀仏を本地(本地垂迹説)とし、居宅内に奉ったと記録されている。

さらに言えば花川戸には檜前浜成(ひのくまのはまなり)の屋敷があり、
同じく齋頭坊。
本地は観音菩薩。

山之宿には檜前竹成(ひのくまのたけなり)の屋敷があった。
同じく常音坊。
本地は勢至菩薩。

それ故に、この三町を宮元三町会と呼んでいた。
残念ながら、明治4年の大火ですべて灰燼に帰してしまった。

話しを戻すが、
専堂坊のあった場所が、ちょうど雷門通りから南側に位置する地域で
四百六十三坪あった。
ちょうど、この通りが切れる少し手前までがその所領ということになる。
土師中知つまり「一之宮」専堂坊がちょうどここになのである。
古老しか記憶にないことなのである。

この縁(えにし)は後に伝えなければいけないと感じ
名を会の名に入れることにした。

ちょっと夏向きのはなし。

にわかに商店会を作ろうという話が持ち上がり、
通りの名を決定する為に、雷門地域の歴史を再び調べ始めた。
もともと歴史と地図が好きで、浅草の歴史も何度読み返したか知れない。

そんな中、地元の郷土史家の話から、観音像を自宅に奉った、
つまり(三社の一宮にあたる)土師中知の居がここ雷門に明治初期まであったことを教えられた。

ついでに言えば、観音像を宮戸川つまり隅田川から引き揚げた檜前浜成、竹成の兄弟はそれぞれ、花川戸と山宿に住んでいたと聞いた。

唐突な話だったので、腰を抜かすほど驚いた。
神仏分離が行われるまで、土師の末裔が浅草寺の供物を供えていたということも知った。邸宅には阿弥陀仏を奉じ、参る人も多かったようだということも知った。

そう言えば・・・と、とってつけたような話だが、
わが店には、俗にいう霊能者と言う人、今風にはヒーラーと呼ばれる方々が
以前からお客様としてすこぶる多い。
いらっしゃると「ここは気がいいね」と必ずといってよいほどお褒めをいただく。
まあ自分もここにいると気分がよくなるから・・・くらいに考えていた。

その中の何人かの人たちにちょっとちょっとと声をかけられ、
何でしょうか?と問うと、
「装束を着た方が店内にいらっしゃるね」と、
こともなげに見えるかのように(彼らには見えているのでありましょう)耳打ちされるのだ。そんなこんなで毎日、閼伽(浄水)と線香は欠かしたことがないのだが。

そうか・・・
浅草寺への巡礼者かとも思っていたのけれど、
この話を聞いて、何となく合点がいった。