浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら そろそろお終いかな。。。
コロナの入り口、20年の夏ころに神にもすがる思いが形象化したと思わせられたが、江戸時代の伝承が町中に溢れた結果といえばその通りなのかもしれないが、この時代を象徴させられるアマビエ。
掛軸にして店に鎮座してくれていた。
そしてこちらもね。
まぁ、、、そろそろお終いかな。
浅草のそら
浅草のそら 駒形堂の大祭
今日は年に一回の駒形堂の大祭になる。
朝から紅白幕の設置やお供え物の準備などに忙しく気づくともうこんな時間になっってしまった。
馬頭観音をお祭りする駒形堂。
観音菩薩を宮古川とも浅草浦とも呼ばれた隅田川のあたりから一体の観音様を網にかけた檜前の浜成、竹成兄弟と三社祭りの主祭神となる郷士の土師中知。
明治のご維新までは神仏混淆で神社もお寺も関係なく継続してきたこの三人を三社神として崇め祀ってきた神社と寺。氏子であり寺に関わりの深い住人としては寺で行おうが、神社で祀ろうがどちらでも良いのであるが、今は一切寺が三社祭りに手を出すことはないようだ。
けれど三社祭りに先駆けてこの大祭が行われる。
毎年この大祭が終わると三社祭りの空気が浅草の地には満ち満ちてくるのだ。
世代がどんどん若くなり、ちょっとでも関わりが薄くなると、お坊さんも誰が誰だかわからなくなってしまう。先代の貫主さんのお孫さんがお説法をされるような時代なんだなぁ。。。
とちょっと感慨深し。
観音様がご示現されて1400年が5年後に迫っていることをお話されていた。
時の三社祭りには、先回もそうだったが船渡御も行うことは考えられているんだろうな。
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら 黄砂がすごい。。。
子供の頃は駐車している車のボンネットにうっすら溜まる砂にはるか何千キロ西から飛んできたロマンを感じることもなく、思い切りこすっては細かな傷を残す遊びをする悪ガキだったことを思い出すTONであった。
道行く人の顔が黄だんが出たわけではないけれどうっすら黄色く見える、、、わけはないか。でも多少なりとも朧げながらの霞のかかったような空の様子はやはり砂の飛散量の多さを感じさせられる。
西域から偏西風に乗ってやってくる砂漠の砂、砂、砂。アメリカまで届くこともあるというから驚き。
地球規模の自然現象といえばそれまでなのだが、なぜそうなるかなのだ。彼の国の国土保全に難点があるからにほかならない。
たった一人の日本人医師が私財を注ぎ込んでアフガニスタンの荒野を砂漠化から緑の大地に大変化させたことを思えば、何兆円にも及ぶ軍事費の何パーセントでも良い真剣に傾注して行きさえすれば、こんな国の恥を世界に晒すことはないだろうにと思うのはTONばかりではないだろう。
砂漠の砂(砂だけならまだしも硫黄酸化物だの二酸化窒素だの公害の元やら、セシウムだのやら)が何千キロも旅をするそんな時代、早く終わって欲しいよ。