コン畜生!

夢を見た。
とあるガレージにいた。

ガレージと言っても、そこは若者の溜まり場だった。
それぞれポンコツのような愛車を後生大切に多くの若者がチューンナップしている。
ボアアップしたりキャブレターをいじったり、足回りを強化したりと余念がない。

それもそのはず、その愛車を駆って同じ敷地にあるレース場で勝負をするのだ。
勝ち残ってのし上がり、名をあげようとするハングリーな集まりなのだ。
二十歳そこそこの若者ばかりだった。

そんな中に見るからにローとルの僕がいた。
何故そこにいるのかわからないが、燃えていた。

しかし、反町隆史風のボスはロートルの僕に冷たい。

「まだあいついるのか」露骨に顔に出す。
今の大企業にありがちな、いじめをする。

「今日の作業終わりました。帰ります」
挨拶をして部屋を出ようとすると、

「ご苦労さん。まだ来るの」

「はい。完成してませんから」にこっと微笑んでドアを閉める。
「コン畜生!負けて堪るか!」

心に秘めて出て行くのだった。

目が覚めた。

何でこんな夢見たのかな。
まだまだ負けじ魂が燃えているようである。

おかげで大統領就任式のライブを観ることができた。

小僧さんからの手紙

店頭に立つ小僧の念珠が切れた。

指折り考えてみると、10年。
腕に付けてあげてちょうど一昔たっていた。

1~2日前に見たときは、誰かに引っ張られたのか
だいぶ中糸が伸びて玉が宙ぶらりんになっていた。
昨日くらいにぷっつりと切れたようだ。

「ようだ」と曖昧なのは、ぼくは見ていないからである。
今日、直し念珠がストックされるケースを調べていると、

どこかで見た事のある玉が届いていた。

「なるべく早く直してください。
           小僧より。」

お!

小僧さんからの手紙が添えられていた。

いただきました。何事も勉強です。


鐘ヶ淵最中です。

せっかくなので栞を読みました。

「元和元年(1615年)当時隅田川の辺りに普門院なる寺がありました。
同寺亀戸に移るとき、法具および梵鐘を船に積んで隅田川をわたろうとしたときに誤って沈没してしまいました。享保年間(1716~1737年)末に御徒衆数百人幾十筋の網をもってその鐘を引揚げようとしましたが水草が生い茂る中で龍頭光を発し網みな切れてついに及ばず、昔時は晴天風静かな日船にてその底見ると鐘がありありと見えたといわれ以来この地を鐘ケ淵と伝えられてきました。」

ん~~。なるほど。
100年間は間違いなく川底にあったんだ。

その普門院は?と調べてみるとこちらも亀戸にたしかに実在する。

おもしろい話だなあ。

まさかもうないでしょうね。

ちなみに「カネボウ」の名称はもともと「鐘淵紡績」つまりこの鐘ヶ淵が故郷ということなのだ。

届きました

ないんです。
どこ探しても。
以前はあっても廃盤になってしまっていて、手に入らないという。

華厳経・・・といえば、華厳宗かあ・・・

といえばお水取りで有名な、
というか、奈良の大仏。

東大寺。

ありがたいなあ。
すぐに送ってくれました。