生きると言うこと
「ヒトはいつヒトになるのか」と親しい人に問われ反射的に
人と交わることで人となると答えた。
人は考える葦であるとか、笑いは人のみがなせる業とか様々なことエが用意されているだろうが、人類学的にどうこういうわけではなく自分の経験値がそういわせたのだと思う。
交わるにも僕の言いたいのは、人の縁、人と人のつながりのことだ。
自分のまだ決して長いとは言えない人生でもそれを振り返ってみると、それなりに山と谷を何度も上り下りしてきた。
いや、谷底をさ迷う時間のほうが、山上を歩くよりはるかに長かったような感もある。
人は1人で喜ぶこともできる。
しかし対象があって、その対象を喜ばせようと思考しそれを実現するときの、無類の喜びは言葉に表せない。人が感動したり喜ぶ姿を見れば、喜びは二乗にも三乗にもなって帰ってくることを経験する。
その喜びの根源がどこからくるのか知らなくても。喜びにはパワーがあるのを体感する。
僕は作家のやなせたかしの隠れファンである。
今はアンパンマンの作家として有名になったが、僕が始めてその名を知ったのは、中学時代悩みの極地にあったときからだから、比較的長い。
姉が大切にしていたマグカップの絵柄にあったたかだか数行の詩に救われたことに始まる。出逢いである。
アンパンマンの世界でお金が流通したのを見たことがない。
それもそのはずで、喜びが通貨の世界なのだ。
極楽トンボゆえにそう思うのかも知れないが、すばらしい世界だと思う。
本質的な喜びが価値を決める。
便宜上、代価がついて回ると考えたらよいのだ。
ただ、残念なことに本質を見失った金銭価値が物の本質を見失わせ横行している。
そろそろものの価値観が変化しないだろうかと思うのだ。
浅草のそら
言葉を呑む
地元の歴史を調べるために、東京ガスの営業所内にある「浅草文庫」というミニ図書館に出かけた。
何度か紹介したことのある場所ではあるのだ。
私設ながら、浅草の文献に関しては、図書館の郷土資料室より豊富にあるので時間の合間を見計らって飛び出した。
土曜日と言うこともあってか館内は今まで見たことがないほどに人で埋まっていた。
目的の浅草文庫は二階の奥まった所にひっそりとしていた。
訪れる人もないようで館内はがらんとしていた。
入ってすぐに目に付いた「武蔵野風土記」。
手にとってカバーから抜いて中を確認しようとすると、後ろから声がした。
係員と思しき人。
「椅子に座ってみたらどうですか」
親切に教えてくれたのだろうと解釈して
「中を確かめるだけですから」と答えた。
「貴重な本なんだから」
「座りなさいよ」
「確認したら座って読みますから」と
なんだこの人は・・・
そして続けざまに、
「もう買えないんだよ」
「大事な本なんだよ」
「億劫がるんじゃないよ」
おいおい・・・。
そんなに大事な本なら展示するなよ。
のど元まで出かかったが飲み込んだ。
今日は目的があるからね。遊んでる暇はないの・・・
数冊鷲づかみに席に着いた。
賑わい
浅草文庫
テプコ浅草館内にある浅草文庫。
結構豊富に郷土資料を蔵書している。
図書館に併合しないものだろうか。
浅草のそら
晩秋の空
すっかり天気予報に騙されたけど
気持ちいい空に免じて許すとしようか。
スペーシアも青空に溶け込んでいる。
どでかい雲子ビルも空が広いと黄色いおたまじゃくしくらいにしか見えない。