時の缶詰
もう失くしたと思って諦めていた写真が、本棚の奥に転がっていた本の間から偶然にも現れた。
下北半島を友人と二人で自転車で一周したときのものだ。
二十歳の頃だろうか・・・
相棒は5月の連休を利用して八戸に帰省するという。
なら、最後の一日は彼の家に帰着すればよい。
ちゃっかり泊まらせてもらうつもりもその算段の中に入っていた。
逆算して計画を練った。
素朴な民宿ばかりだったが、毎回の食事に出されるホヤの攻撃にはもう唸りっぱなしだった。

大間を過ぎてからはとにかく向かい風。
最北の道は手厳しい北風の洗礼だった。

横浜ではもうとっくに桜は散って暑いくらいの陽気だ。
「いくらか寒いかもょ」と注意をもらっていた。
がしかし、いくらなんでも寒すぎ。
全く忘れていたはずの場面なのに、いくらでも記憶が湧き上がるから不思議なものだと思う。
ボケて何も思い出せなくなったら、またこんな写真を引っ張り出して見たいと思う。
いよいよ
走りはじめました。
二階バス。今回のはロンドンバス。浅草を一周します。十年振りです。
浅草のそら
タイムマシン
夕方、
昔、兄弟のように親しくしていた友人が突然お店に現れた。
指折り数えたら30年振り。
お互い50の山を転がって行こうとする年齢。
面影は残っているのだろうが、眼も見えにくいし、
第一まじまじとなど見れない。
シャッターを閉めかけているところだったから、
今日最後のお客様。
と思ったとたん、手を振ってくる。
初対面の人に手を振られて挨拶する風習はないんだけど・・・
ニッコリ微笑んだ。
「あ!佐藤さん!じゃない」
笑顔は、時という法則を超える。
ひとつ発見した。
柊の珠
金つぎ

うまくつなぐものだなあ・・・
浅草のそら

思い空だ・・・
女心と何とやらと言うけれど、
毎日毎日コロコロとめまぐるしく空の様子が変わる。
今年の紅葉はなかなかの見ごろとか。
浅草にどっぷり浸っていると、なかなかそんな気分にはなれないけれど、
普段見れないだけに、わずかな季節の変化に敏感になっている自分がわかる。
かえってないものネダリしている者のほうが、
情感の機微に敏感なのではないだろうか。
「足らざるをもって吾悟る」なのだろうか。
浅草のそら

