変化

浅草がなんだか騒がしい。

ほおずき市や花火大会などの年中行事で賑わうのも去ることながら
町の整備に余念がない感じであっちもこっちも道路を掘り返している。
大川(隅田川)端が変わるだろう・・・

600m超の世界一の高さとなるスカイツリーが川向こうの業平-押上に数年後には完成する。
ネーミング決定からは、目に見える形でより具体性を帯びてきた。

建設箇所が墨田区だからといって対岸の火ではない。

大手のデベロッパーはこの機を逃すはずはないだろうから
町の様子は、六本木がそうであったように、汐留がそうであったように、
恐ろしく変化するであろうことは容易に察する。

100年の計を考えて、防災都市を考えてもらいたいものだ。

山川草木 悉皆成仏

親しくさせていただいている方から、
暑中見舞いのおはがきをいただいた。

筆書きで、伝教大師を中央に描き、

「山川草木 悉皆成仏」と大きく現していた。

庭師として天台宗の寺院にご縁が多い方だから描いてくださったのかなと思う反面、
日頃、草花、木々を、土を岩と語りながら、自然と
そこに潜む仏性に触れているうちに染入るように理解したのかな。と思えてならなかった。

机上であーだ、こーだと説法をするものより、
空念仏を伝えるものより、よほど胸を打つ言葉だった。

ずっと以前はじめて「山家学生式」に触れたとき知らずうちに胸を詰まらせたあの気持ちが思い出された。

国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人言わく、径寸十枚、是れ国宝にあらず、一隅を照す、此れ則ち国宝なりと。古哲また云わく、能く言いて行うこと能わざるは国の師なり、能く行いて言うこと能わざるは国の用なり、能く行い能く言うは国の宝なり。三品の内、唯言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊と為す。乃ち道心あるの仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す。悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。

道心は常に持ち合わせているだろうか。。。

お直し

昔はよくあったみたい。
手挽きの珊瑚。いかんせん手に入らない。
大切にしてほしい。

夏休み

昼近くに用事で自宅に戻ると同じマンションの子供たちが、
プールの支度をしてはしゃいでいた。

「あれ?学校はどうしたの」と聞くと、
「きょうで学校終わりだもん」と答える。

あ!そうか。

公立の中学に通う息子が、今日は終業式で明日からいよいよ夏休みと言っていたっけ。

思い出した。

「じゃあ通信簿もらったね。よかったかい」
「うん」とうなずきながら舌を出して照れ笑いをしていた。

うちの愚息はどうだろう・・・
と思いながらも、同時に子供時代の我が身の所業を振り返ってしまう。

夏休みが近づくと、ジージーやらミーンミーンやらの蝉の声が、
「プールだよー」「海だよー」「遊ぼうよう」と聞こえてきてしまう。
本当に聞こえちゃうのだ。
家の中でじっと机にかじりつくなんて到底考えられなかった。

出された宿題の山は、初めの意気込みも何処へやら、
夏休みも1週間もすれば、記憶からはすっかり消えていた。

始業式数日前から突貫工事となるのは必至だった。

けれどよく考えてみると、毎日宿題をするわけでもないし、
いったい何をしていたんだろう???
思い出せない。

よく40日以上の休みを毎年毎年、無事消化したものだ。
あきれるほどに思う。

目まぐるしく対象を変えつつ、好奇心いっぱいに遊んでいたのだろうと想像するのだが・・・

沈香18玉

久々に大玉でまあまあと思える沈香の玉で完成。

実は製作中につい力が入って、ボサを割ってしまい
作れずにしょげていた思い入れの念珠。

割れたボサは、お香としてくゆらせました。
沈香も白檀も、念珠としてもよし、香として使ってもよしだ。
でもいい香木は玉にしてとっておくことを選びたくなる。