めぐりめぐって

商店会がたちあがった。
念珠堂の店前の路地は長いこと文字通り路地だった。
日が落ちると顕著に路地になる。

店にいらしたことのある方は「あ!そうだね」と思われるかもしれないが、

地上に出るためには、地下鉄のホームから300段近い(5階建て以上の高低差)長~~い階段を息せき切って登って来なければならない。
住み慣れた目にはもう、その感覚はもなくなってしまったが、
初めてここに足を踏み入れた観光客の目に、この地上の風景は、
どんな印象として映るだろう・・・

浅草に来てまず目に飛び込む風景が、どこかの路地に迷ってしまったの?
かのような印象になりはしないだろうかとさえ思う。

30数年前、
姉の結婚を控えて、最後の家族旅行をと日光行きを家族で企画した。

多感期の僕には、ついて行く勇気が起きず、母と二人で行くことを薦めた。
今思えばかわいそうなことをしたなと後悔しているが・・・

当時住んでいた横浜から日光に行く常套手段は、
京浜急行で浅草まで来て東武電車に乗り換えるのが通常であった。

若かりし頃、浅草を闊歩した母にはちょっと土地勘に自信があったわけで、
エスコート役をかってでた。
が、小さな誤差があった。
戦時中の記憶など見事に粉砕されたかたちとなった。

地下鉄から東武への乗り換えのために出た口が正にこの念珠堂前の路地通りであった。

右へ行ったらいいのか左なのか、エイと左へ行ってしまった(正反対だって・・・)。
行けども行けども、東武浅草駅はない。そのうち駒形橋に出た。

そうこうしているうちに、予約していた特急けごんは無情にも発車してしまった。
楽しいはずの車中の光景が、遠慮のない母娘の気まずい空気になったであろうことは想像できる。

旅の土産は、そんな話題から始まった。

その当の現場に今、店を出しているのだ。

何の縁でここにいるのだと思うが・・・
30数年前の怨念を解くときが来たような気がする。

自転車のある風景

つい興味がそそられる。
ちょっと洒落たレストランもあるのだ。

持ち主は住み抱くに住む青年二人。

ここは、隅田川に一番近い裏道・・・いやいやウォーターサイドロード。

まだまだ未開発の感がぬぐえないがこれから楽しくなりそうだ。

外人向けの旅館もある。

つい川端

歩けば2~3分で隅田川に出る。
そんな近くに住んでいるのに、意識をしないとどれほど見ないだろう。

たまたま駒形堂の近くに出たついでに橋のたもとから雲子ビルを臨む。
空の高さはもう秋そのもの。

足元の花はまだまだ夏を盛りとしている。
不思議な調和だ。

大川風情

吾妻橋を遠望して一番美しいなと思う箇所だ。

駒形橋西詰めつまり、駒形橋の浅草側によったあたりからの風景が
バックのアサヒ本社ビルの燃える金の魂(俗には雲子ビルだが)と、赤い橋、青い空、そして屋形船がコントラストとハーモニーを美しく奏でる。
空が静なら波間は動。


3年も経てば、今度はこのキャンバスの中に、スカイツリーの尖塔が動と静を奏でることになる。

変化がまた楽しめそうだ。

浅草寺の戒殺はここ駒形堂(地元ではこまんどうと呼ぶ)が南の仕切りとなる。

もともとはもっと道路中央よりにあったと古地図は教えるが、
渡しから駒形橋の鉄橋が生まれるとき容赦なく古刹を隅に押しやった。
このふもとから観音様が漁師の兄弟に引揚げられたのだから、
もともとはここから祭りの原点なのだ。

駒形堂に隣接するむぎとろも改装し落ち着いたたたずまいとなり、
いいムードをかもし出している。