こうやってみると・・・

ほぼ毎日出がけに写す浅草の空。
同じ景色なのに、空の様子一つで心持ちまで変わってしまう。

いかに人は(僕は?かもしれないが)環境に変化される生きものなのだろうか・・・

適量な雲の量と表情で心が和む。

雨模様は恐くもある。

暑い・・・

雲の量ひとつでのんびりしても見える。

雲が流れ、爽やかに感じるのだが・・・

おまけで川向こうの景色も・・・

こんなに伸びて・・・

正月飾りの猫柳。

こんなにりっぱになりました。
根っこもしっかり生えて地面に植え替えればいいのかな。
たいしたものだと感心する。

いろめがね

秋葉原の事件後様々な波紋があるという。
ネット上に、避難の声に混じって、同調する声、予告する声、殺人者を褒め称える声
様々な責任、無責任な書き込みが後を絶たないという。補導されたものも現れたとか。
それもまた、メディアの恰好のソースになっている。

メディアの姿勢を見ていると、
そら恐ろしく感じる最近の若者像を創っていく。

けれど僕の周りには1人としてそんな人は見かけないゾ。
鼻にピアスしていようが、タトゥーをこれ見よがしにしていようが、
ズボンを地べたに引きずるように下げて歩くことはあっても
個の表現がそうであるだけで、素直な日本人さ。

世の中がどこかおかしいと言う前に、
色眼鏡をかけさせられている自分に気付くべきが先。

知らずうちに、いろめがねをぼくもかけている。

褒めて育てるのか、
けなし、欠点を指摘し続け育てるのか。

口に苦い塩もたまには必要だが、
長所を伸ばす教育がよいといわれ、だれしもそうだなと納得しているご時世ではないか。

メディアもおなじ。
塩はちょっとでよい。

娑婆世界の大変さは言われなくてもわかっているのだ。
1%のよさでも0.1%でも0.01%でもよい。

よさが見出せる出来事があるならば、もっともっと流したらよい。
それこそ、針小棒大はメディアの得意分野ではないか。

小さな奇麗事を探し見つけだし、膨大に報道し続けたらよいのだ。
夢を語ったらよいのだ。

方向を示したらよいのだ。

良いことを保護したらよいのだ。

繰り返し、人間の暗部を穿り出し、垂れ流しするのとどちらがよいか、

明白ではないか。
これ以上若者、幼きものを腐らせない、白けさせない為にも。

縁とは不思議・・・

市電好きに気が付いたのが、そもそも遅くて、
故郷横浜の市電全廃時である昭和47年の春。
僕らの世代には、フォーク熱やサーキットの狼で火がついた
スーパーカーブームが表面化してきた頃だった。

高校になりたての頃だった。
市電なんて過去の交通手段くらいに思っていた(その情報すら興味もなかった)
けれど、子供の頃からかかわりの深かった足でもあった市電
「行かないと後悔するよ」と姉の言葉に押されて家を出た。
高校生が12時近くに・・・

最後の最後、最終の花電車に間に合った。
桜木町駅前から1150型のお別れ電車の最終電車に飛び乗ることができた。
滝頭車庫までの20分程度の時間がいつまでも終わらなければいいのに
と思いながら乗車した。

終点に到着し通常ならば乗客は、車庫前で降ろされるのだが、
最終電車は車庫内まで僕ら乗客を運んでくれた。
満員の車内の乗客は、これが最後と感じたのだろう。
何を思ったのか、「記念だ」とばかりに今の今まで吊り下がっていたつり革を
ねじり切る者が現れた。
1人が始めると連鎖的に我も我もと車内備品を持ち帰ろうと騒然となった。

僕には到底できない蛮行を気持ち悪さを感じながら見ていた。
車掌(車掌はいなかったかな)も止めるそぶりを見せなかった。

まあそんなことがあって翌日には早速、早朝の車庫に足を向けた。

昨夜のこと、もう主のいないレールのみが、何事もなくそこに走っていた。
それが日を追うごとに、錆をふいてくる。なんともいえない光景だった。

そこからが市電マニアとして熱が上がっていく。
すでに故郷には存在しないわけで、俄然、周辺都市に興味対象は広がらざるをえなかった。

その点、都電は格好の対象となっていくことになる。
須田町交差点で初めて見た東京の市電(都電)はでっかかった!
6000形のでか顔をはじめ、7000、7500、8000形の独特の表情を持つ車輌の
行きかう東京は、一面ホッとする町でもあった。

一日だけ仮病を使い学校を抜けて、都電に会いにきたことがあった。
須田町ー浅草ー柳島車庫ー福神橋 錦糸掘車庫・・・
とにかく丸一日乗り続けた。

(まさかここに住むようになろうとは・・・)因縁とは、げに恐ろしい。

しかし昭和49年には荒川線を除いて東京市電(旧市内線)は全廃となってしまう。
僕も行く場を失い、さらに外に走り出すようになっていった。

今東京に住み荒川線も目の前にありながらも、どこか違う。
当時とどこかが違うと思いめぐらすのだが、
最近ようやく理解できた。

車輌の仮装ボディーが乗せかえられているもの、
当時のボディーにはあったステップが、ホームが縁石一つの高さから
高床に変更されたことで、きれいにカットされたもの。
と、郊外型電車の様相になってしまっている。
もちろんカラーリングも違う。
それでどうも思い出の糸がプッツンと切られた感じだったのだ。

最近7500形が3年後に全廃されると聞いた。
聞いたがピンと来なかった。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080507/trd0805072018015-n1.htm

が、このサイトを見ていてようやく理解できた。
http://homepage1.nifty.com/chianzu/toden/photo/s45/t_photo_18.html
全廃前の都電最後の新造車のあれね。
とばかりに頭の回路がようやく修復しはじめた。


7500形の代替新造車8800形