浅草の今日の空

すっかり晴れ渡る。
どうしてと思うくらいぽかぽか…
むしろ暑いほどの日差しだ。

今日は初写経でその後は新年会。

浅草寺におまいりに。
相変わらず人でいっぱい。

映し身

ぼくはどちらだろう。

ここまで足は短くないか・・・

こんな可愛くないか・・・

浅草の今日の空

本日の天候は曇り時々小雨なり。
正月以降初めての雨。と言っても霧雨。

梅はしっかり芽吹きの用意を怠らず。

都鳥、春の息吹を風に受け。
とはいうもののさびーなあ…

バックが変わるだけで、ちょっと暖かそうに感じる。
雲子ビルも一役買う。

七草

子供の頃「しちくさ」と読んで、大笑いされた。

「せりナズナごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ」
どこで息継ぎしていいのかわからず、呪文のように覚えた。

「じゅげむじゅげむごきょうのすりきれかいじゃりすいぎょの・・・」
おんなじことだ。
それが何を意味するのか、さっぱり解らないけれど、
ありがたい言葉を覚えたようなそんな優越感に似た気持ちになった。

覚えることに意味がありそうで、七草=質草=じゅげむ…=まじない
と連鎖反応的に頭の中で回路ができてしまっている。

母親が昔、七草の歌を歌ってくれた記憶がある。
「七草なずな唐土の鳥が・・・」

いつも途中で「忘れちゃった」とぼかされてしまってちゃんと最後まで聞いたためしがない。だからこれも何を意味するのかさっぱりわからない。

ちなみに、せりは芹。なずなはぺんぺん草。ごぎょうは母子草。はこべらははこべ。
ごぎょうはタラピコのこと(これは知らなかった)。
すずながかぶで すずしろが大根ということは最近知った。
まあ現代っ子(どこが子供だと怒られそうだが)はこんなもので…

街をあるいていても、せりも見ないし、はこべも見ない、ぺんぺん草も見つからない。
子供頃は、ちょっと土手に行けばいくらでも摘んでこれたものが、
いかに自然が遠くなった感がある。

せめて呪文だけでも記憶しておかなくちゃ
と思うのだ。

今日は、七草粥を作ろうかな。

浅草の今日の空

今年の正月は、本当に天気に恵まれました。

明日はもう七草。

正月明けでがんす。
(武士の一分以来、山形弁に影響されたかなあ。)

実質的な御用始めでありんす。
(大江戸シリーズに影響されたも…)

それはそれで忙しくなるかも。です。

日常・非日常

店を始めた当初は、右も左もなーんにもわからないから、
それこそありとあらゆることをやった。

当時(25年前)の浅草には67軒の仏具屋がひしめき合っていたが、
それぞれパトロン(寺など)がいて、きれいに棲み分けされていた。
それぞれが力関係を保って、食べるには困らない状態を創出していたのだと思う。

そんな中に若気の至りとはいえ、仏壇店を始めた。
とにかく何でも試さないと食ってもいけない状況もあったけれど、
それ以上に、面白くて仕方がないというのが本音だった。

上野ー浅草間の仏壇通りを歩くのがたまらなく楽しくて、
隅から隅まで残すことなくお客の立場で覗いて回った。
そのうち同業者とわかって怒鳴られもした。

台東区内にある350ヶ寺にもコツコツ歩いて回った。
東京近郊の3000ヶ寺に毎月のように手書きのDMを送り続けた。

店に顔を出して下さったお客様がいようものなら、お礼の手紙、誕生日、四季の手紙と書きまくり、年末には車で回ってカレンダーとラブレターを渡しに行った。それほどに売れ先が少なかったこともあったけれど、暗中模索であったことが一番の理由だった。

正月は、仏壇屋が正月に店を開ける習慣がなかった。どこも三が日は店を閉めた。
僕は仏壇の扉を閉めて店を開けた。

店員には、休みを与えるから、全て臨時雇いの子たちで固める。
臨時の子が仏壇を売れるほど甘くはない。
だから、出来る商売は何かと考えた。
食べ物屋をやってみることにした。
そこ素人でも簡単にできるだろうと、
甘酒を売ることにした。

これが飛ぶように売れた。
おしるこも売った。そのうち抹茶も売った。

余った甘酒は知り合いのいる地元の養老院に差上げた。
予想以上に喜んでいただいた。
喜んでいただくことに気を良くして、次の年からは除夜の鐘の前に持って行った。

正月中にテーブルの上に置いておいた記念帳には、
感謝の気持ちがつづられていた。
正月三が日で大学ノート3冊になった。
一日が終るとその住所に毎日せっせと手紙を書いた。

その時の若いお客さんたちが、Uターンして買い物客に変身した。

食べ物屋って面白いと味をしめて4シーズン続けた。

正月が終わると、また仏壇の扉を開く。

日頃の社員が顔を出す。
とたんに現実の世界に引き戻された。

正月が終われば人の足も減る。だからなおさら現実味を増す。

今は正月も平常営業なのだ。企画も打たなくなった。
ここ最近は、そのせいなのか、いつも現実の中から抜け出す機会が乏しい。

非日常がなくなった感がある。

今度は何に非日常を求めようか・・・。

浅草の今日の空

今年初めての曇り日となりました。

三が日は終ったと言うけれど、相当の混みよう。
歩行者天国にすればよいのにね。

吾妻橋の交差点は右折できないんです。
くれぐれも気をつけてくださいね。

みすみす、正月から罰金払うなんてことのないよう
気をつけてください。

注意してあげるだけでいいのに、
何でわざわざ待ち構えて捕まえるかね…
東京は、判りづらいのよ。
ちょっとはカバーしてあげれんかなあ。おまわりさん。

正月の光景

空気は乾燥して錆を出す要因が少ない。
人は多く、日頃でさえなでてくれる人の多い小僧君。

正月の参拝者にそれこそ何千人となでてもらうものだから
手の指紋がヤスリとなってこれこの通り。
見事である。
「ぼくとどっちがかわいい?」と飛び込んできた小さなお客さんと。

亀十のどら焼きはこれこのとおり30mの行列を作る。

サプライズ

正月に店を開けていると人の出会いのサプライズが起こる。

何十年も会っていなかった友人と、それとは知らず?来店してきて店で再会したり、
ふる~い時代のお得意さんがひょこっと顔を出してくれたり、
親に手を引いてこられていたヨチヨチ歩きの子供が、成人したと報告に来てくれたり、

そのたびに驚かされるのだ。

昨日、唯一人の姪がひょっこり訪ねてくれた。
彼女が生まれたときには、ぼくはもう風来坊になっていたから、
直接お産には立ち会えなかったし(長男の時は義兄の代わりに立ち会ってあまりりの修羅場に驚いて逃げて帰ってきた)、
人生の節目節目に何一つ叔父らしいことをしてあげてこれなかった。
けれど、一番なついてくれていた。

一度だけ、小学校に入学するとき、なけなしのお金で
電気スタンドを買って送ったことがあった。
それがよほど嬉しかったのだろう、喜んで電話をしてきてくれた。

僕が結婚するときも、一番喜んでくれたのは彼女だった
「みっちゃん(僕をそう呼んでいた)のお嫁さん」と
僕ら夫婦の周りをクルクル、クルクル回って喜んでくれた。

必要以上に感受性の強い所は、姉に似てしまったようで、
思春期は悩みの中にいた。いつも物思いにふけていた。
そんなころの中学時代は、僕の店でバイトをしていた。
だから毎年正月は顔を見せてくれた。

そのうち大学を出ると足は遠のいた。
保育士の資格を取り、区の施設に働き出した。

それから4年の間をおいて、突然昨日顔を出したのだ。

「こんど結婚するの」と彼を連れてきた。
面食らって言葉に窮した。
「ん。あっそうなの」笑顔で応えたつもり…
同じ保育士の仕事をしているという彼はなかなかの好青年。

これからもよろしくね。と彼と握手をして見送ったが、本当の所は動揺しているのだ。

男ばかりの我が家では、送り出す娘がいない。
さすれば、嫁に出す思いの何分の一かを、疑似体験させてもらったのかもしれない。

幸せになれよ。