今日の浅草の空

ドッバーと滝のように降ったかと思うと、
薄日が差してきたり猫の目天気…

台風9号が近づいているからだろう。
この時期で9号と言うのは少ない気もするけれど
迷走台風っぽい。

こういうのは、雨降らすんだよね。

珊瑚ルース

仏壇屋がこんなことまでやるかな…

とは思いながらも、好きなものは仕方がない。
珊瑚や真珠と聞くと「宝飾品」とピンと来ると思うが

仏教でも経典に七宝として載っている。

金銀、瑠璃、ハリ、蝦蛄、瑪瑙、珊瑚、琥珀(真珠)
以上が、仏典上での七宝である。
経典によって、若干の違いはある。

である以上、やはり好きでよかった。
好きでないとなかなか、勉強する気になれないから。

ここに梵字を入れて、
金か銀でまこうと考えているのだ。

さて、いかなるものか…

左から血赤珊瑚15mm径・古渡珊瑚14mm径・古渡珊瑚12mm径
      21万  ・  52500円   ・   24000円

今日の浅草の空と寺

さっきまでの大粒の雨が嘘のように上がり
大気中の埃が洗い流されたようで
遠目がきく。

気持ちのよい風も吹いている。

今日の浅草の空

これほど晴れているのにね。
風は気持ちがよい。

彼岸を待たずに、秋めいたのは、
冷夏だった年を除いてあまり記憶にない。

今年は紅葉も早いのだろうか…

観音の原点

母は偉大だと思う。

「子供が大きくなってきたら、何考えているのかわからない」
4人の息子ドモは、思春期ということだろうか、
母親には理解困難になってきた。
あいにく母親の味方が当家にはいないものだから、
相談相手は俄然、僕一人となる。

中学、高校時代の自分はどうだったかなと想い出す。
たしかに一筋縄ではいかなかっただろう。

親と同伴するなんて考えられないことだったし、
まともに受け答えすることもなかったような気がする。

男の子は、お母さんに対しシャイなんだよね。

小学校時代のようにはいかない接し方に、
母親としては戸惑い、また寂しいのだろう。
でも文句を言いながらも、
料理を作ったり、世話を欠かさないんだから…

母親は、すごいと思う。

観音様の姿に母親をダブらせる気持ちが
痛いほどわかる。

英霊にきく

38歳の時から縁があって靖国神社に参拝に出かけている。
縁というのは、僕を可愛がって下さる父親のような、師匠のような
天台宗のお坊さんとの出逢いが、
毎月初めを参拝の日と決めた要因だった。

それ以前から、神社の崇敬会とは縁があったのだが、
足を運ぶところまでは心が動かなかった。

ただ、歴史大好き人間として、近代史は謎が多くて
いつか解きたい問題ではあった。

師が日韓仏教福祉協会という会を主催し、
月初めは欠かさず参拝していることを知り
金魚の糞の如く様でご一緒させていただいたのがきっかけだった。

自分の中には、近代史特に昭和史がすっぽりない。
生きた語り部が回りにいくらでもいた時代に生きながら
まともに系統立てて認識した記憶がない。
苦労話は、若者の心に「またか」の印象しか
残さなかったのかもしれない。

学校で歴史の授業では、ちょうど昭和史は3学期の末になる。
明治維新前までは、ことさら細かく勉強するが
現代史に入ると、何故か急行列車の如く
授業内容は、はしょるわはしょる。

大きな歴史的事実は記憶にあるが、
大枠のみで、なぜにそれに至ったかは、
疑問符を残したまま生徒に委ねられた格好だった。
委ねられてもね…

そんな印象が強い。

生きた人間がそこに感じ取ることができなくて、
近代史はどうも好きになれない要因でもあった。

今でこそ靖国神社が取りざたされることが多いためか
遊就館という資料館があることも一般的になった。
初参加の頃、ぼくには、ここは全くの異空間だった。

九段の母を唄うのがせい一杯の知識だった。
当時は、改装される前で今のようなオープンさはなくて、
古めかしい旧館のみで展示していたが、かび臭くて
歴史が押し込められていると言う形容がぴったりの雰囲気だった。

改めて指折り数えてみる。14年続けてきた。
英霊の気持ちにささやかでしか応えられないもどかしさはあるのが
確実に抜けていた昭和史が、徐々にではあるが埋められていくのが
実感としてわかるようになった。

イデオロギーの眼鏡をはずして事実として直視することが
必要な作業であることを感じて止まない。

青春 朱夏 白秋 玄冬

「いつまでも青春と思いたい」
と話していると、友人から
50歳は「朱夏」というんですよ教えられた。
「青春であり続けるとは、子供のままでいるということと同じ」

青春には青春の、
朱夏には朱夏の生き方があるというものと、
たしなめられた。

人生には青春 朱夏 白秋 玄冬がある。

もともと陰陽五行説からの考え方であるが、
人生に春夏秋冬があり、それがふさわしい生き方、指針となる。
春の時期に生き方を悩み考え基礎を作る。
夏の時期は、その土台を元に行動する時期。
秋には刈り取りの時期、そして冬…

その時期相応した生き方、考え方というのがあるはずなのだ。

「人は突然人生を引き算で考えはじめる」という。
あと何回こういうことができるだろう…
何回ここに来れるだろう…
何年生きれるだろう…
と考えはじめる。

青春の時期は、そんな期限は感じられないのだから。
考えはじめたら、
そのときが変わり目なのだろう…

若かりし頃、「33歳が自分の人生の全てだ」
突然天の声のようにドーンと思い込んでしまったことがある。
22~3歳の頃だったと思う。
「思い込み」と言えば思い込みなのだけれど、
何がそうさせたか、今では思い出せない。
ただ、素直にストンと腑に落ちてしまった。

もしマイナスのエネルギーでそう思い込んだのだとしたら、
厭世観に苛まれたのかもしれない。
けれど、じゃあ残されている10年間、
「何でもやってやろうじゃないの」と、
チャレンジすることにエネルギーを方向付けた。

その方向付けがなかったら、
今の僕はなかっただろう。
とっくに青木ケ原だったかもしれない。

もしかすると、
ぼくは、また一回り終わって、
二周目の青春にいるのかな…。

「忠告を理解していないな」と友人に怒られそうだ。