東京マラソン

東京マラソンを歳時記に入れることかなとも思いましたが、
2月の恒例行事化しそうですね。

新東京タワーが完成すれば、コースの変更もあるやも知れませんが、
暫くは浅草折り返し地点で、僕の店は陸の孤島と化すのは避けられそうもありません。

ならば、いっそ楽しんじゃお(去年も楽しんだしね)ということです。

よくよく調べてみると、いかに期待が大きいかサイトの数でも理解できます。

東京マラソン公式ページ
http://www.tokyo42195.org/

東京マラソンの情報サイト
http://www.sfen.jp/tm/index.html

ランナーの走る目線のスライドショーでコース紹介
http://ha2ra2.web.fc2.com/tokyo/

スポンサーサイト 東京メトロ
http://www.tokyometro.jp/tokyo_marathon/

スポンサーサイト 日本テレビ
http://www.ntv.co.jp/tokyomarathon/

まあ…関連ブログは相当、数々ありますねえ。

アスリートの底辺の広さを感じます。

健康志向ブームの影響もあるし、
24時間TVの100kmも、
トライアルスロンの一般化等々、

誰でもできる可能性を示唆する結果となり
フルマラソンが特別な訓練をしたアスリートたちのものから
市民マラソンとして手に届く意識になったということかなあ。

サッカーの乱痴気騒ぎに眉を細めるものもいるけど、国際舞台が身近になって国を意識する場面が増えることはよかった。

首都を一日借り切って行なうお祭りだもの
都会であっても、ここがふるさと、わが町を愛する郷土愛につながるといい。

東京は借りてきた町ではない。ましてや砂漠じゃあない。
一心に走るものと観衆とが渾然一体していく、
そのあたりに妙味があるき気がする。

浅草はちょうどランナーたちにとって、ちょうどエネルギーの切れかかるところらしい。
チョコを持って沿道に出るかな。

浅草の今日の空


晴れてはいるのだけれど、どことなく霞がかかっているような…

暫くするとやっぱり雲が出てきた。
また、雨か…

今日は何かあるのかな。
カメラを回すもの、インタビュートを撮るもの、走り回っているもの

あとで車夫に聞いてみよう。

これも浅草

朝のひと時。
こんなにあったんだね。


確か1台で始めたはず。
増えれば増えるものだ・・・

鰻屋の看板なれど、鰻屋にあらず。

和菓子処とあるように
知る人ゾ知る、有名どら焼き屋さん。
(なかなか買えません)

シルバーの龍

新入荷です。
SV925の龍ペンダントヘッド

直径13mm、重さ5.8gと小さいけれど、
鱗(うろこ)の細かいディティールにまで神経がいきわたっています。
丁寧な仕事です。

眼はキュービックジルコニアです。

雲・雨・雪?

朝からこの雲の厚みったら・・・ 

これはどう見ても降るなあ・・・
時間の問題でしょ。

と思っていたら、降った。

構わず御徒町まで自転車で出かける。
気合に押されたか、小降りになって・・・

帰る頃には、

雪になった。
(すぐ止んだけどね)

どこまでほんもの?

「偽」が去年を現す漢字。

浅草を歩くと僧衣をまとい鉄鉢を片手に
道行く人に喜捨を乞う人が目に付く。
つい仕事柄立ち止まってどこのお寺かと観察してしまう。

わからないときは、
「どちらのお寺ですか」と直接訪ねる。
わからないままにするのはどうも…

見ていると、鉄鉢の中身を数える者。
半身に構えて、鉄鉢をぶらぶらさせている者。
疲れたのか、寒いのか、座り込んじゃう者。
喜捨されてありがとうとお辞儀をする者。

カメラを構えているのに気付くと急にしゃんとする者。
まあいろいろいらっしゃる。

喜捨させていただくのは、
あなたにあげるのではなく、
あなたの背後のお釈迦さまにお預けするのだ。

自らの徳を積ませていただくのに
お礼は言って欲しくない。

仏弟子として「師匠に成り代わりましてあなたの安寧を祈ります」
くらいに止めて欲しい。

そして、身なりは貧しくとも、神々しくあって欲しい。
破けた法衣ならツギを当ててでも丁寧に使う。
網代に穴を開けて当然のようにかぶらないで欲しい。
食を減らしても仏弟子の尊厳を守りたまえ。

子供がその姿にあこがれるほどであって欲しい。

辻説法できるのかな・・・。

房が変われば…

先日作った念珠を
房色を間違えて「なでしこ色」をつけてしまった事に今日になって気づく。

あわててやり直し。

「あやめ色」に、はじめからやり直し。

色が変わると、イメージがかなり変る。
ぐっとシックです。

中糸を紫に替えるとまた面白いのだ。

浅草の今日の空

曇ってら・・・

でも写真の目で見ると、北(浅草寺側)から南(駒形方面)に向けて
雲が筋上になっているのがわかる。
寒い証拠と言えよう。

ついに付きました。我が店頭にも・・・

四苦八苦

お釈迦様は人生を苦と見られた。
苦界からいかに脱せられるかと悩み苦行し悟られたのだ。
苦を理解した土台に四諦八正道の教えが生まれるわけだけれど、

そこに行き着くには、まずもって苦を骨身に沁みて理解されなければ
病に気付かぬまま薬は処方できないように、
行の処方もかなわないだろう。

苦については、四苦八苦という馴染みの言葉がある。
ほぼ慣例的に「仕事がさあ、四苦八苦よー」などと
冗談めいて使うほどののりになっている慣用語である。
けれど、これはれっきとした仏教用語。しかももっとも根幹部分の。

徹頭徹尾、骨身にに沁みないと、次に進めないのが人の性のようで
まだ余力があるうちは、べつの楽な道を探そうとする。

苦には生きる苦しみ。老いる苦しみ。病う苦しみ。死にいく苦しみ。
の四苦。
そして、愛せども離れいく苦しみの愛別離苦(あいべつりく)、憎しみ合いながらも離れられない苦しみの怨憎会苦(おんぞうえく)、求めつつも求めきれない苦しみの求不得苦(ぐふとくく)、こだわり執着から生まれる苦しみの五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦を足して八苦になるというわけだ。

親友を自殺と言う形で失ったことで、
丸一年地獄の苦しみに苛まされたことが若かりしころあったが、
積極的に生きる姿勢の中から自分なりの生き方を発見できた
若かりし頃と違う生老病死苦があることをお客様から教えられてきた。

何度・・・契約の現場において、説明の最中において、納品の先において、嗚咽させられたことだろう。人目をはばからず泣いた。
この仕事をとおし、涙を飲み込むことを覚えたけれど、
「四苦八苦」のこの言葉。仕事を始めるときに軽く覚えた言葉は、
どんどん深層部分に染み込んでいくのである。

思いが深まるとは先人がよく言ったが、まさに当を得た言葉である。
言葉が深まるのである。

まだこの先いかほどの教えを、お客様から賜るのだろうか・・・