白檀ミニ仏レパートリー

ミニ仏像シリーズ中の虚空蔵菩薩。

小さいですが、彫りは大型の仏像と比べても
遜色がありません。

同じ白檀の厨子に収まっていただく。
同じ白檀を使用しているだけに収まりは良いです。
おとなしい感じは受けます。素朴さ強調されます。

厨子を塗りに替えただけでもガラッとイメージは異ります。
金箔に仏像が浮き出す感じです。

朱色を使いましたが、もちろん黒もありです。

仏像のサイズです。

総高さ70mm
仏身高さは27mm
直系20mm
素材は白檀

横向き

ちょっとピンボケでした。

沈香大平天台の念珠のつづき

沈香がこれほど手に入れにくくなるとは
考えられないことだった。

好きな香木の香りが聞けないのは実に嘆かわしいし
お客様に高額を強いなければならないのは正直なところ苦しい。

相のよい玉で香りのよいものが見当たらないのだ。

その点、大平でこの手はそうないだろう・・・

枯れた感じは見ているだけでも楽しくなる玉である。

大平沈香はもうこれで最後かなあ。

浅草はお祭り騒ぎ

雷門前は大変。

孤島はがらがらさあ・・・

この時間(11:20)には、この選手たちはもうフィニッシュしてらあ。

僕には、どうしてもこちに眼が向く。

冷たくないのかなあ・・・犬や。

明日は東京マラソン

明日はマラソン当日。
陸の孤島になるこの区域から外に出るためには
地下を通るしか方法はなくなるのだ。

夕方のうちに横断幕も張られ順路もわかりやすく。
これで準備完了。

地下駐車場へはここが入り口

雷門に向かっうまっすぐ地下駐車場のある道路(緑色の表示)を突き当たりを右折して江戸通りを右折するのがマラソンコース。
当店(赤い印のところ)がふくまれた逆三角形のブロックがマラソンの折り返しの為に交通規制されます。

地下鉄や道路上にも規制の表示が所狭しと出されるのですが
実は問題なく店には来れるのです。

「行けませんヨー」などと誘導員が声をかけるので
今日は行けないのかと思っってしまうのですが、
実は違うのです。

人の流れをコントロールする為に通せんぼしているだけ。

あ~~あ。こまっちゃうなあ・・・
今日は開店休業かな。


天台宗大平 その2

目黒の若旦那との連絡は夕方に決まっている。
とても反応の良い方なので、つい挑発したくなってくる(失礼)。

天台宗の玉をこよなく愛されているので
手元にあるものは、あるもの、ないもの取り混ぜながら
お話しを誘わなくとも、気持ちが通じている。

で、大平の天台をアップしようと
また、いたずら心が働いて、今日は二種お見せしたいと思った次第。

さあどうでしょ。

虎琥珀の大平天台。
なかなか渋いでしょ。

椰子の大平天台


昔の椰子は軽かった。とても軽快で好きな玉だったのだけれど、
仕入れルートが変わってからは、
玉がズッシリ重くなってしまった。

以前の椰子らしさは若干陰を潜めてしまったことは残念だ。

明日は沈香の大平をお見せしようかな。

浅草の今日の空

きれいに晴れてます。
明日は晴れのマラソン大会になりそう。

バリケードやロープも張られて
明日の準備は、ちゃくちゃく進んでいます。

万人の香り

最近、お客様と接していて時々返答に困ることがある。

「どれがいい香りなの?」
「伽羅は高いからいい香りなのでしょ?」

ん~~・・・

たしかに伽羅は僕にとっては好きな香りの一つだ。
けれど、1グラム一万円だからいい香りだと思ったことは一度もない。
ただ、好きなだけだ。僕にとって。

NHKの解体新ショーという番組で、香りの不思議をテーマにしていた。
匂いを嗅ぐと昔の記憶が他の感覚より特出して新鮮に蘇るのか、
ということをテーマにしていた。面白いと思った。

いつか取りたい資格に臭気判定士という資格がある。
その概論を読むと、まず匂いという不思議なメカニズムが紹介される。

匂いを嗅ぐと匂いにまつわる情景が誰でも想い出されることだろう。
それは音楽にしても、つまり聴覚から入る情報にしても同じことが言える
また、味覚も同じこと。
五感は、そうした過去の記憶と密接に結びついているのだ。

その中でも臭覚は、その情景のみならず、
その時の心理状態までも他の感覚を伴って複合的に引き出される所が他の感覚との違いなのだ。

何故そうなるのか・・・

答えを言えば、匂いの感覚は、古い記憶のメモリー装置であるところの
脳の海馬(かいば)組織にダイレクトに働くことがわかっているのだ。
海馬と感情をコントロールする扁桃体(へんとうたい)組織は隣り合わせて深く関わりあっていると言う。

だから、香り、匂いの断片が鼻をつくと、
それにまつわる記憶と感情部分までも複合的にフラッシュバックされるのだという。

小学校の6年まで車酔いとの戦いに明け暮れていた僕は、
トラベルミンなどという洒落た薬を飲むよりも、正露丸一本やりだった。
一途さは聞こえはよいが、母の正露丸信仰が万能薬として、
確固たる地位を占めていたに過ぎない。

遠足などバスに乗る機会には、
救急薬として必ず持たせてくれた。
だから、今でもクレオソートの匂いを嗅げば、
バスの車内の様子、「西海君かわいそう」「またかあ」「がんばれよ」などと外野の声も、友人の顔も、窓の外の風景も、手に取るように思い出す。

カレーの匂いを嗅げば、食卓の楽しさと団欒の暖かさ、
ひとりでモクモクと食べていても暖かい気分にさせてくれる。

人それぞれ、その香りに対するイメージは全く異なる。
いつもひとり寂しくボンカレーを煮て食べていた悲しい過去を持つ人ならば、カレーの匂いを嗅ぐたびに、なぜかしら、その寂しさが湧いてきてしまうからどことなく避けようとするだろう。少なくとも楽しい気分にはさせてくれないだろうから。

だから、お香は10人いれば10人、100人いれば100人、1000人いれば1000の嗜好が生まれて当然なのだ。

これは高い材料を使用して懇切丁寧に作ったのだからいい香りです。
これは京都の香司が創った伝統の香りなのだからいいです。
便宜上使用するときもある・・・
けれど本当は、ありえないと言うことなのだ。

自分にとって何がいい香りなのかは自分の心が知っている。
あなたにとっていい香りかどうかは、あなたの頭の中にある海馬に聞いて欲しいということなのである。

だから、万人がこれはいい香りと認められる香りは?というならば・・・
お母さんの香りとでもいうのかな・・・

54玉念珠に着目

最近54玉念珠が流行っているようだと話が出た。
テレビで話題になったらしい。
テレビ、マスコミの影響は大きいと思う。

54玉の玉数を指定されることは、
片手でも腕輪でも多くなっているのは事実なのだ。

玉数にこだわるのは、基本になる108数を気にしはじめていることなのだろうと
思いたい。
煩悩の数とも、数珠曼荼羅からは修行の校庭の数とも、菩薩の姿とも当てはまる

そんなことを考えていると、流行を卒業し、
もう一歩本質に進んできたのかなと考えさせられるのだ。

丁度、仕立て替えでお預かりしていた念珠が54玉だった。

108玉を半分の玉数に
判繰りという。

108玉を四分の一の玉数に
四半繰りという。

鳳眼菩提樹だけれど、
鳳凰の目に当たる出っ張りがよく見ると龍の背中に見える。

龍背菩提樹なんて勝手に名前作っているとまた混乱してきそうだ・・・

浅草の今日の空

ぽっかり浮かんだ雲がいい。
このまま日曜日の東京マラソン当日までもてばよいが・・・

何たって去年は、雪の中のマラソンだったから。

記憶にはしっかり焼きつくけれど
事故があったら元も子もないからね。

車椅子や視覚障害のランナーは何人参加されるのかな。

やはり気になる。