身につまされる・・・

過去にお寺の要請で製作した。
お年寄りのボケ封じ観音。

ボケの言葉は使わなくなったから、
「認知症除け観音」とでも呼ぶのかな。

ボケ、認知症、物忘れ…
30代までは、全く考えもしなかったことだった。

「ぼけ封じ」と聞いても正直ピンとこなかった。
言われたから作った。が本音かな。
感想も何もなかったような気がする。

老夫婦が観音様に慕う姿…
ぼくの感受性ではそれが限界だった。

けれど、ぼくも人並みに50を越えた。

10歩歩けば、何しに来たんだっけ?
「あの時、あのことで、あれしてさ、どうなったっけ?」
その会話がどうなったんだっけ?

だいじょうぶボク?

となってきて今、改めてこの像に再び向き合ってみた。

しげしげ見てみていると、何ともいえない安堵感が沸いてくるのだ。

何!この感触。

すがる気持ちが素直に、

わっかるなあ…

いつまでも、頭脳明晰である必要はないけれど、
「せめて世話にならないで生活できるレベルは維持していたい」
親の口癖が、自分の口から漏れる。

歳を重ねれば、きっと誰もがそう欲するのだろう。

何百年も昔から、
きっと同じこと思っていたんだろうなあ…

やけに、胸に沁みるぜ…

そして、その朝

台風一過の朝は、気持ちいいーーー!

からっと快晴、日本晴れではなかったけれど、
まだ、梅雨の時期だ。
この「からっ」は、台風一過のおかげといえる。

雲の表情が刻々と変わる。

見ているだけで楽しい。

台風一過

台風一過というと、スカットした青空に涼風

稲穂のたわわに実る風景

秋の印象が僕の中では強いのだが…

あれだけ騒いでいた台風も関東近くから、
やや南に方向を変えてくれたから、

関東地方での被害は、少なく済んだようだ。

江戸を開墾した古人に、こういうときいつも感服する。

台風を避けていた観光客が雷門前に、どっとあふれていた。
気持ちはよくわかる。

こんなのも範疇です

唐獅子牡丹(からじしぼたん)も
うちの職人が作ると、こうなります。

彫りの深さといい、
バランスのよさといい、
表現力は、逸品。とぼくは思っている。

でも…頼まないのに、彫っちゃわないでね…

60点

「いやだな」と思うと、
何故か「いやだな」に近づいてしまう。

良いほうに予測すればよいのだが、
だから極力、マイナス志向が頭をもたげてきたら
数秒で切り替えることにしている。

学生時代、弓道部に所属してさんざん弓を打ってきた。
いざ試合になると決まって前日に夢を見る。

矢を弦にかけ弓を打ち起し、的につける。
静寂な時間(会(かい)という)。

当て気を起こさず、
体は静止するが精神的に充実をみて、
気が充分に溜まりきった時点気が発すると同時に
矢も自然に発せられ(離れ)的に的中する。
と、なるのだ。

が、

ポロリ

矢が弦から外れて床に落ちる。
慌てて二矢目を弦にかけ同じ動作を繰返す。

ポロリ

何度やっても落とすのだ。

めちゃくちゃ慌てる。
「こんなことあろうはずはない。絶対無い!」

これは夢に違いないと強制的に目を覚ますのだ。

実際、試合中に弦から矢が外れたことなど一度もないのだ。
あろうはずがないことなのに、
夢では、あっちゃう。

完璧を望むから、余計なストレスを感じるのだろう。

心理学を専攻する諸氏には、格好の材料なのかもしれないが
本人は、割と深刻に受け止めている。

故に、あろうはずもないものを考え始めたら、
80点、いや60点でよい。
100点とろうなどおこがましいと思うようにした。

すると、おかしな気持ちは雲散霧消して
晴れ晴れと平常心で試合に望めた。

今まで、この60点思考がどれほど役に立ったろうか。

理趣分

理趣分も
5枚合せとなると、通常の倍以上の厚み。
迫力あるよね。

台風近し

今日は雲が重いね。
九州に今日にも上陸という。

関東は明日にも影響が強く出るだろう。