縁を想う

指折り数えてみた。
僕の周りでお坊さんになった、つまり、受戒得度された方が、
何人いらっしゃるだろうかという思いから。

なんと、
両手に余るほどになっていた。はたと気付いた。

中には、僕が十数年前巡り合せがよければ
得度するはずだった師匠の下でお世話になっている方もあった。

いつもながら、縁とは不思議なものよと思わされる。

以前は、毎月の行事のように関西の往復を繰返していた。
当時の僕のこと、宿に泊まる事はまずありえない。
夜行日帰りという汽車の旅は昔よくしたところだが、

文字通り、車で夜行で出かけ、一日フルに動き
夜中の東名を走り朝浅草に着くというものだった。
もちろんその日から店頭に立っていた。

そんな強行軍の中でも必ず比叡山に立ち寄るのが、常だった。

体さえ病に冒されなければ、座主になられたであろうその御坊は
坂本の麓に居を構えておられた。

住職として住みこむまで、廃墟であったその院坊は
主の心を反映して、清楚ながら暖かいものを感じさせる
そんな佇まいだった。

また、伺うたびに四季折々の変化を見せて
目を楽しませてもくれた。

御坊は、生きながら死の行と言われる荒行12年籠山行を、
戦後初めて完遂した方であった。
行を終了した時点で、体からは、死臭がして
周りを驚かしたそうだ。

なのに、
「心はますます仏への帰依の心が
らんらんと燃え盛っているんだよ」

と、よく話してくれた。

熱烈な信仰心抜きには考えられない荒行であった。

しかし、そんな凄まじさを微塵も感じさせない笑みをもって
いつも僕を向かい入れてくれた。

住職が亡くなられて暫くたつが、もう何年出向いていないだろう。

お客様の一人に
その孫弟子として得度された話を偶然にも耳にして
「忘れるなよ」と、ポンと方を叩かれた気がした。

驚きよりも、「あ~そうか」と
結論を以前から予想していたような思いで充満させられた。

坂本はもうむし返るほどの緑の中だろう。

DNA

父親が逝った歳に近づいてきた。
3つになったばかりの秋に逝ってしまった父親の面影は
おぼろげにも覚えていない。

かわいそうにも思うが、脳みその海馬の奥底にしまいこまれて
回路すら消えてなくなっているようにも思われる。

「片親じゃ大変な時代ね」と思うのは、
当時を生きた人ならきっと判ってくれると思うが、
それは育ててくれた側の話しで

子供の側は、いたって現状を受け止め楽しんでいた。
ありのまま生きているものである。

なまじっか記憶の断片があると、
感傷に発展する種となったであろうから、
記憶が全くなかったというのはある意味、幸いした。

都内のY大学を昭和初期に卒業し、大学に残ることを勧められながらも
野心家の父は企業家の道を進んだ。

結果は事業は見事に大成功を収めたが、
補佐役の身内の裏切りと、
元来の人の良さと気風のよさは多くの負債を背負い込む結果となった。

惨憺たるものだったようだ。
結果、会社をたたむこととなった。

母と出会う頃は、残光に照らされる中での結婚だったようで、
程なく無職の生活を余儀なくされたようだ。

その直後、僕は生を受け、
バトンタッチするかのように父は彼岸に逝った。

「父の轍は踏んではいけない」
そう薫陶を受けながら育ち、
経済とはかけ離れた技術屋の道を選んだ。
はずなのだけれど・・・

気づくと、父の背中を追いかけている自分を発見する。

「親はなくとも子は育つ」とはよく言ったものだと思う。
注意注意しながら、育てられながらも
ちゃんと父の轍(わだち)をきっちり踏んでいるのだから。

たとえ、口で教え込まれずとも、生を与えられた「動機」は、
きっと母の胎のなかで醸造され、
言葉ではない形を持って受け継がれていたのだろう。

しっかりと心に組み入れられているように信じる。

おかげで、人の良さと、義憤を感じる心はどうしようもできない。
何度、大口のお客様やお寺とぶつかってきただろう…
理不尽には耐えられない。

でもしかたないと諦めている。
損得では動けないのだから。

自分が彼岸に渡ったら、父になんと言ってもらえるだろうか、
そんなことを、若干なりとも考えるこの頃なのだ。

病は気から・・・?!

鼻の病気とアレルギーを併せもつBoo店長には、
天気が以外と体に響くのである。

だから、真夏生まれのくせに、真冬が好き。
空気の流れの良い秋が好き
(心は春が好きなのだが)
雨より晴れが好き。
曇りより雨が好き。

全ての好みは、体が決めてきた。

それを超越させたのは、趣味の世界。

何しろ僕が企画すると必ず雨。
旅に出れば雨。
山登りすれば雨。
キャンプに行けば雨・・・

最期には、「雨男」が自他共に認知されるところとなった。

かえるか河童かかたつむりの親戚か・・・。

高校を卒業してから走り始めたツーリング(サイクリング)も、計画を実行するとやはり必ず一日は雨となった。

練習に出ても天候は必ず崩れた。
けれど、走らなければ帰れない。前に進めない。
それよりも何よりも、走りたくて、うずうずしてくる。

必要は発明の母というけど、
好き(遊び)は地獄も天国に変える・・・のか。
いつしか前向きに考えさせられるようになった。

「雨を愛しむ」心の変化を生んだ。
事実、雨のツーリングは「おつ」なのである。
雨の路面に水切れの轍がツーーとできる。
それが美しくも見える。

雨上がりのぬかるみも実に楽しい。
足をとられながら横滑りしながら、空転しながら必死に走る。

そこがまたいい。

雨は、僕への自然の祝福なのである。
そのうち雨が降らないほうが「おかしいなあ…」
「何かなければよいけど…」などと口走るようになる。

そうすると、いつからか、
天候が体にも心にも悪影響してきたことがうそのようだ。
全く気にならなくなった。

高校時代から苦しんだアレルギーもピタッと止んだ。

「病は気から」
僕のための言葉と受け止めている。

馬頭観音

総高20cm 柘(つげ)材に淡彩色

自画自賛ですが気に入っています。(^^

蔵前神社

職人に位牌の戒名書きをお願いするときは、
自転車でスイーと一速飛びで到着する。

さすが台東区は寺町だと思う。

そこかしこに、なりは小さくなってしまったものの
由緒正しき社寺仏閣に出合いながら、横目に走る。

最近はブログネタを探すくせがついて、
つい引っかかってしまう。

今日は、職人の工房近くの蔵前神社。
もともとは京都岩清水八幡宮を勧請し
その分社だった。
江戸時代は「岩清水八幡宮」と名乗っていた。

合祀合祀で、隣接していた神様を取り込むことになり
境内に稲荷も別棟で祭られていた。

布施額はなかなかの面構えをしていた。

狛犬の台座に歌が詠まれていて珍しいと思った。

江戸時代から勧進相撲を23回も執り行ったという。
相撲協会との縁の深さが現れていた。

天使と鬼

人の心には、天使と鬼が同居していると思う。
人間関係や経済的環境などが誘引となって、天使と組むか、鬼と組むか
タックルを組む相手が異なってくるようだ。

世間を騒がす目を覆いたくなる事件から国家間の問題まで、全く身に覚えはないと言い切れる清廉潔白さは、自分には自信がない。
だから、必ず自分の心にまずストンと落としてみて顧みるようにしている。

ときどき物が紛失する。
10年前には考えられないことだった。
神仏具を扱うのにと思われるだろうけど、ごたぶんに漏れなくなった。

数年前からビデオを回し続けているので、すでに特定はしている。
が、相手の良心に任せることにしている。

ある日消えたはずの品がちょこんと戻っている。
「あ~あの人戻してくれたんだ」
それでいい。

もちろん水際でも防ぐ。一点一点かわいい子供たちなのだから。
ちゃんとして嫁にいかせたいもの。

怪我しちゃった・・・

イッターーイ
僕は叫びました。

男の子が押し倒すんだもの。
ぼくはたまらず、ずっこけました。

ガッツ==ン

で・・・

こうなっちゃった。

ほらね。

「悪いんだー」
「罰当たるぞ」
兄弟から言われて、
男の子はいたたまれず、逃げて行っちゃった。

でも、
怪我なくてよかったね・・・って?
僕は毛がないもん。

あ!倒した子のことね。

頼むから、もう・・・体当たりはしないでね。

                by kozo