三社の月

浅草の人出はもう大変でした。

年々、ゴールデンウィークの人出は増えているように感じます。

新東京タワーが建ったら、どうなるのかねえ。
率直な気持ち。

今月は三社祭の月。


(洒落です)

提灯が掲げられると、もう空気ががらっと変わる。

宝蔵門がようやく化粧直し終了。
ようやく三社に間に合ったね。

母子地蔵も見守ってます。

旅立ち

久しぶりに・・・
スカ!!!

当店のマークみたいにも見える。

そう、鶴が二羽。

でも、親鶴から逃げてんの?

旅立ちかね・・・

お客様の縁

今、気になるお客様。
あの人と、あの人と、あの人・・・
体を壊していらっしゃれない方、忙しくて、こちらの不手際で・・・

毎日の業務をこなしている最中、接客をしている最中、
ふっと頭をかすめる。

お客様のリストがあって、この人と、この人とというように、
名簿から拾うのではない。

勝手に脳裏に浮んでくる。

そういう思いに囚われると、十中八九、日を待たないで
お客様の側から連絡をいただける。

「仏壇を納品する日は、絶対、雨にはたたられない」
もう一つのジンクス。

この二つがぼくにとっての、二大ジンクスなのである。
はずれたことは、まだない。

今日は、雷が激しく驚かされた。
ゴロゴロゴロ
ピカッ、ゴロッ。
同時にポンと、目黒のYさんのことが気になり始めた。
どうということではないのだけれど、
脈絡もなく「ピカッ」=「ふっ」と出ちゃうのだ。

気になると、頭から離れない。

そうこうしているうちに、電話が入る。
当のYさんだ。

ちょっと元気がないのが、電話口から伝わってくる。
新商品はないか?を潮に、あれこれ近況を聞かせていただく。
こちらも、状況を説明させてもらう。
そんなやり取りで、楽しくなる。

盛り上がって話は終わるのだが、
他愛のない話で申し訳なかったと思うこともある。

けれど、話ができたことが、ただ嬉しい。

商品が売れる嬉しさよりも、
こうした時間を共有することが、楽しくてしかたないのだ。

本当に商売をしているのだろうか、
ときどき?に陥ることもなくもない。

けれど、これが、ぼくのスタイルだし、今まで続けてきちゃったのだ。
いまさら、変えられないや。

というのが、本音。

こんな変な奴だけれど、
続けて、お付き合いしていただけると嬉しいな。

ドキュメントから

早朝の(世間的には真夜中の)番組に、
若年性認知症のドキュメントをやっていた。

途中からだったので、2例だけだったが、
一人は経営者を旦那に持つ主婦、
もう一例は、技術職の60代の男性だった。

女性はまだ軽い段階だけれど、
文字が書けなくなったのが一番のショックだったそうだ。

それはそうだろう、昨日までなんの苦もなく帳簿を管理していた人が、
突然字を書けなくなるなんて。想像するだに恐ろしいよ。

次の例は、奥様との二人暮し。
技術系の会社を経営していたご主人が、
この病気と診断されて、苦渋の選択で会社をたたむ。

奥様すら思い出せないときもあるほどに悪化する。
徘徊を始めたのが限界で、介護施設に入ることになる。

その前後をルポしていたのだが、もう目が釘付けとなる。

夫婦間で二人の間でしか読めない空気を読めなくなって、
共通の思い出も失い、最期は「いつもいるけど、あなたどなたでしたっけ?」

などと言われたら、自分ならどうなるだろう…

2例目の男性にあっては、技術屋が、ある日から、
急に図面が読めなくなったのだそうだ。

これは、ショックが大きい。

さしずめ僕の仕事なら、念珠が作れなくなるとか、
お金が数えられなくなる。
とでも言うことか…(喜ぶ人間もいそうだが)

これは、相手を理解しなければと思っても、
受容するのは、なかなかきびしいな。

というのが本音。

でも、病にかかった当の本人が、
何より苦しんでいることをこの番組の中で教えられた。

コピーをとるために機械のある二階に行くと、
「あれ?何しにきたんだっけ」を繰返すようになったり、

「あのときのあれは、あれしたっけ」式会話が増えてくる昨今、

決して人ごとに感じなくなりつつあるBooなのであった。

思いと行いは違うもの…

ここ3日間は、天候が思わしくないせいか、
お店もガーラガラ。

今日も、あまり天候は冴えないと知る。

なら、これもやって、あれもやって、ついでに、
いつも手が出せないで、上さんから「まあだ」
と、言われ続けているポスターの原稿も作っちゃおう。

朝、家を出るときは、資料を両手に持って店に出かけた。

午前中、まあ予想通り、お客さまも少なく、順調にこなせた。

それでもお客様で中座する時もあり、
そのたびに、画面を隠してリアルの仕事に戻る。

接客の仕事から戻ると、前の仕事を忘れて、
新しい仕事を始めてしまう。

あせっている。

しばらくパソコンの前に座っていると、

また、中座。
席を暖められないまま、そんなことが続いているうちに、
もう店を閉める時間。

気が付けば、何一つ終わらせていないことに気付いた。

電気を落とそうと、パソコンを覗くと、画面の中に、
ぎっしり中途半端な資料が、次の順番を待っていた。

ごめんね。今日はここまで。時間切れ。

友、逝く

友というには申し訳ないほど年上なのだけれど…
20年近くお付き合いしていた、
高岡銅器の卸元の営業が亡くなった。

彼の代わりに営業に来ていた、
若社長の報告で初めて知った。

去年の早春、時ならぬ雪のなか、
高岡まで見舞いに行ったその人だった。

自分のオヤジのような歳だった。

古いタイプの営業マンで、とにかく取引先に尽くす人だった。

物を売る前に、まず相手の声をよく聞いた。

合うたびに、昔はね…と懐かしそうに、
夜汽車に揺られ高岡から上野まで重い荷物を抱えて、
営業に来ていた話をするのが彼の定番だった。

職人よりも仕事を知っていた。

否、
「知る努力を惜しまなかった」と、言うほうが正しいだろう。

だから、職人でもない営業マンの彼の要求には、
頑固職人たちが、いとも簡単にうなずくのを見た。

仕事とはこうするもんだよと教えられた気がした。

二周りも三回りも年上なのに、小さなことにも、
全身で感動することを忘れなかった。

強面の顔がそのときだけクシャクシャになって喜ぶ。
その落差が面白かった。

「会社では、うるさいと煙たがられていますよ」と、
いつもこぼしていた。

そうだろうなあと僕も思った。
彼の営業マンとしての周到さや研究熱心さは、天下一品だった。

後輩がついてこれないのも当たりまえと思いつつも、
「大久保彦左衛門だね。そういう人が必要なのよ」といつもからかい励ましていた。

妙に気が合った。

「高岡に泊まりに来てよ。魚が美味しいからさ」と、

自分がでかい魚を吊り上げた写真を見せびらかしながら、
再三再四、聞かされた。

あまりにも僕の腰が重いので、最後には、
「じいが死んじゃったらどこも案内してあげれないじゃない」
と、冗談交じりの本気とも取れる言葉を口にしていた。

約束を果たせたのは、病に冒され、入院した
去年の早春が最初で最期の訪問だった。

自慢のクルーザーに乗せてもらうことも、ついにかなわなかった。

海の音が玄関先まで聞こえて来るんだよ…
泊まりにきてよ…

新企画の腕輪

龍彫りした柘(つげ)腕輪。

12支の干支を彫っている。
コミカルな動物の姿。

中国で彫りこんでいるので、亥は、豚に見える。

またこれもかわいい。

純金家紋

家紋を24kでつくるとこうなるという見本。

仏壇の欄間につけます。
メッキものとは全く重層感が異なります。

ちょっとしたことなのだけれど
見栄えが違ってきます。

試作念珠

密教にはなくてはならない五鈷杵。

以前、チベット仏教のMさんに依頼されて、
チベット式念珠を製作した際も、
最終的にこのパーツがなくて、
どこかおかしく仕上がってしまった。

もっとも、そのときは銀製品でとなったのだが。

今回の五鈷杵はどうか。

小さくいながらも、剣先にちゃんと切込みが入り、
比較的よくできている。

念珠に組み込んだらどうなるだるかと、
紺トラメの念珠に足してみた。

でかすぎず、華奢すぎず、考えていたより、おさまりはよい。

勾玉ほど腕にも痛くないし、これなら定番におけるかな。

浅草流鏑馬

少し混みあっていた店内の空くを見計らい、
ちょうど訪ねて下さったお客様に失礼してまで、
川淵に小走りに急いだ。

そう。今日は流鏑馬(やぶさめ)なのだ。
何故?浅草で流鏑馬?とも思っていたが、
江戸時代、吉宗の時に始まったとのこと。
当時は1月5日がその日だったようだ。

学生時代、弓道に夢中だった。
三十三間堂の通し矢と流鏑馬はいつかやりたかった。
それだけに、ワクワクしつつ、小走りに拍車がかかる。

猫道も周知の公園周りだけに、空いた道を選んで会場に到着。

もう出走寸前ということもあって、人垣でいっぱい。

去年は、この時間でも最前列まで進めたのに、
4重にも5重にも人垣が邪魔していて、写真すら取れる状態ではなかった。
人気の程がわかる。

スポットを探して廻ってもこれは大変だ。

出走前のおんまの溜まり場で、観察することにした。

東武橋のすぐ下が出走待ちの溜まり場。
電車に乗ればよく見えるだろう。
もしかしたら、ホームからみえたのかな。