今日は雪かいなと思うほどどんより天気。
いつ降ってきてもおかしくないよ。
川向こうが霞んで見えまーす。
今日は雪かいなと思うほどどんより天気。
いつ降ってきてもおかしくないよ。
川向こうが霞んで見えまーす。
我が店は何でこんなにめぐまれているんだろう。
○○顧問が、本当に多くいてくださるのだ。
どう探しても見つからない梵字。
お願いしまあすの一言で、事細かに調べてくださる。
人の縁ほど宝物はない。
我が家は、結婚してこのかた、
「肥後米」以外めったに口にしない。
母の田舎は「ささにしき」の本場であるのだから
もともとは当然、ささにしきファンであったのだが、
結婚して此の方、すっかり好みが変貌した(させられたが正しいかも)
まあなにより、それまでは「肥後米」の旨さを知らなかったのだから
しかたないと思っている。出会いとは恐ろしいものである
関東以北では「肥後米」そのものを、口にしたことがない方が
多いのではないだろうか。
調べてみると、明治期、特に江戸時代までは、
米の相場を決める重要な基本米だったことを知った。
また、江戸にも多く流通していて、ごく一般的なお米であったようだ。
味は、南国育ちであることも影響するのか、ねっとりとして少々時間がたっても
新米の気負いは消えることがない。
もっとも、エンゲル係数のグット高い我が家では、
一ヶ月の山を越えたためしがないのだから、計りようもないのだが。
けれど肥後米が本領を発揮するのは、冷めてからである。
一日以上経って、冷飯になった時の食感のよさは、比類がない。
米の宣伝をしようと思ったのではないのだが、
そんなお米を、せっせせっせと田舎から送り続けてくれている。
親は、いつまでも親であり続けるんだなあということに気づかされるのだ。
昨日送られてきたお米をふと見ると
ビニール袋を透けて、赤い帯がのぞいていた。
50を越えた子供も、子供は子供。
改めて親のありがたみが沁みる、一封だった。
元来、地図好きが高じて土木屋になったようなものだから
地図を見ていたら、何時間見ていてもまったく飽きることはない。
mixyの友人から教えてもらったヤフーのサービスにしばらく虜になっている。
http://map.yahoo.co.jp/kochizu/index.html
江戸時代の古地図・明治期・現代と三代が重ね合わせになって表示する。
特に縮尺の違う古地図をよく当てはめられたものだと感心する。
道路の曲がり具合がそのまま旧道として現代まで継がれている地域もあれば
全く影も形も残さない地域もある。
その変遷に思いをはせてみるのもなかなか妙である。
人の性(さが)だろう。関わりのある地域ばかり拾い読みしている。
浅草が起点で舐めるように、隅田川を上下する。
浅草を基点に、車で通る買い物コースをトレースする。
浅草を起点に、ちんちん電車のあとを追っていく。
何でも浅草が起点になる。
面白いことに、明治の地図は、江戸の道をそして風景を色濃く残しているが
現代の地図には、その風情が全く受け継がれていない。
秩序が感じられない。全くの異空間に見えてしまうのだ。
かろうじて、道の構図が似ていると言うだけで…
何か違うのだ。単に時代が違うというだけでは、どこか釈然としない。
しばらく考えてみたとき、しばらくした後に「は!」と気づいた。
明治期と現代の間には、大戦の洗礼があった。
戦争は、それまでこつこつと築きあげてきた都市の風景を
根こそぎ焼き尽くした。文化すらも。
戦後無秩序に膨張、変貌していくエネルギーが都市の景観を
すっかり変えた。
田んぼが市街化したに過ぎない江戸から明治の地図と
市街化されたあと、秩序を失ったあとの変貌さを見せる
現代のそれを比較してみていると、
どの歴史書を読むよりも、赤裸々に、
人の愚と智を伝えている気がしてくる。
増えましたねーー!
こうしてみると。
梵字を蓮台で受けているタイプも仲間入り
風神・雷神・龍神・七福神・水蓮・鶴・亀等々いやーきりがないです。
でもまだコレクションは増えそうです。
ここのコーナーは目が話せませんよー。
最近、時間の合間を見つけると自転車屋に顔を出す。
あれこれ考えると30年まともに乗っていないのだ。
プロにあこがれた時もあったけれど、仕事の独立後は
封印してしまった。
数台持っていた愛車も友人に譲ってしまったため
手足のパーツの特殊なぼくの体には、なかなかピッタリ合う自転車はない(ようするに自他共に短いと認める)
唯一、お嫁に行ってしまって今は乗っていないという友人から1台返してもらったのが手元にある。
20世紀最後のころに一度組みなおし、息を吹き返したが、
仕事の都合でまた、休眠に入ってしまった。
それからまた、10年。
20世紀中の変化と21世紀に入ってからの変化は、
「激動」そのものだったようだ。
5段が常識だった、ディレイラー(変速器)が9段10段に。
12~3Kgだった車重が10Kgが常識に。
鉄のフレームがカーボンやアルミに。
何より日本のメーカーが海外製品に押されてしまっている。
パソコンの世界がここ10年で激変したように、
自転車業界の世界も天地がひっくり返っていた。
それは、僕の頭に入力されている寸法やパーツは、
ことごとく世の中から消滅していることを意味していた。
愛車に息を吹き返そうと思っても手に入らない。
車輪を組もうにもハブが手に入らない。
タイヤもない。
「嗚呼、この事実こそ、ぼくにとっての玉手箱だ」
昨日立ち寄ったハンドメイドメーカーも、老舗中の老舗だが、自分の記憶にある活気に満ちていたそれとは、明らかに違うのに驚いた。
神田の旅行車の老舗アルプスも
パーツの入手困難を理由に、今週末にはその灯を消すという。
ネットで復活しないものだろうか。
川柳発祥の地が近くにある。
今は、菊屋橋公園になっている。