いただき物

何年のお付き合いになるだろう…
もう20年近くのお付き合いだろうか。

コンサートに誘ったり、一緒に旅もしたけれど、

なにより浅草寺五重塔院にまつる先祖さんを
「一緒に行ってくれる?」と
お参りに同行させてもらったことは、浅からぬ縁を感じた想い出だった。

お庭番のご子孫になる生粋の江戸っ子。
人情深く竹で割ったような性格は、善き江戸人を感じる。
そんなTAさんとのお付き合い。

お互い生の続く限り続けさせてもらいたいものだ。

いつも決まって、うさぎやのドラ焼きがお土産。
甘いもの好きなBooにはもってこい。

夢仕事

夢の話。

夢の中で、懸命に大念珠を製作していた。
握りこぶし大の平玉を連ねた108玉の本念珠。

前も見たような光景。
前も同じことをやっている。

以前より一回り大きい念珠だった。
修験者か霊能者かなんだかの競い合いに使うという。
親しい人のようだった。

何を競うのか知らないけれど・・・。

とにかく相手が待っている。

一刻も早く仕立てないといけない。
あと、5玉。あと4玉…3…2…1終了。

全部の玉を通し糸(糸といっても綱引きに使おうかという代物)に
通し終え、いよいよ最後の結びに入ろうとした。

けれど…
「あれ?結べない」

糸が短すぎるのだ。おまけに太いからよけい結べない。
「え゛~」冷や汗を出しながら必死になっている。
細い絹糸で、結束しようともがくのである。

どう考えてみても無理な話だ。

それが、それが、である。
「ガンバレーぼく」と念じると
不思議や不思議、スルスルと糸が伸びるではないか…
ホッとしたところで目が覚めた。

夢でまで仕事をするぼく。ガンバレー。

念珠の仕立で目を寄らせていると、
「よ!」っとばかりに肩をたたかれる。
向島のM先生だった。

80を越えてなおエネルギッシュなのだ。
写仏を教えて長い。
ご本人も高野山に上がり
お坊さんたちを指導するほどの技量を持つ。
老齢にもかかわらず、毎週、和歌山と東京を往復する生活を
10年近く続けた。

向島からここ浅草までも、自転車で桜橋を渡って川沿いに走って来る。
舌を巻く。同じ年齢になった時、自分はできるだろうか・・・と。

今日も、鎌倉十三仏を徒歩で廻ったその足で表装依頼のために
もちろん朱印をもらう、まくり(掛軸の画の部分)の
十三仏は、M先生お手製のものである。

恩人の葬儀のため、寝ずに書かれたと言う。

うちの店には、「難波敦朗氏」の仏画が数点、壁を占領している。

もし氏が体調を崩さなければ、写仏の教室を始める予定だった。

亡くなられた後は、数週間、ぼくの魂は、空中分解状態だった。
それだけに氏の画には、思い入れがある。

「またいい仕事しようね」そうおっしゃった言葉が今も耳について離れない。
店の真ん中で十一面千手観音が鎮座しているが
店の守り仏なのである。

M先生、実は、氏の数少ない弟子の一人なのである。
その話になると、いつも「不思議やね・・・」と
お互い感慨深くため息をつくことになっている。

「本当ですね」
これもぼくの決まり文句なのである。

「どこでどうつながっているかは、わからないよ」
「だから、誠実に一つ一つのことをこなしていくしかないんだよ」
これもM先生の決まり文句。

やんちゃだった若い頃など
微塵も感じない慈愛の目でいつも笑みを残し、

「えっこらしょ」とふたたび自転車を走らすのである。

粋と無粋

英語が苦手なくせに興味があって
NHKのしゃべらナイトをちょこちょこと見ている。

商売上、海外のお客様の対応に困らない為、
必要に迫られという事もなくもない。

でも強制的に勉強するのでは、全く身につかない。
面白いが一番なのだ。

今日の番組には、日本に住む著名外国人による、
フリートークで、日本の良さをディスカッションしていた。

日本は世界に誇れる良さを限りなく秘めている。と分析していた。
日本人よ、もっと自信を持て。とも主張していた。

彼らが日本に感じる魅力の一つに、「粋」ということをあげていた。
少々驚いた。

禅宗の修行も考えると粋の世界の極みだ。
青い目の禅僧はかなり多い。

何気なく「粋」とは何かを調べてみた。
広辞苑には、
「気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること」
また、「遊里・遊興に関して精通していること」と、
わかったようなわからんようなことが述べられていた。

僕なりに考えると「内に秘めて平然を装う」姿に粋を感じること。果てしない奥行きを持つ個の確立した人格を想像した。

粋に対する反対は、無粋だろう。
無粋つまり、「粋で無い」「粋が無い」

やたらとあるものをひけらかす。
金であったり、能力であったり。
また、場の空気を読めない、気配り出来ない人間、

古日本人は、それを無粋といった。

外人たちが、日本にあって海外にない「粋」に興味を持ち来日する。また伝えたいという。

その日本人が、拝金主義、に陥り、粋を捨てている。
抑制の方法を知らない欲望は、味噌もくそも手中に収めようと画策する。行き過ぎた欲は、相手の命をも奪うをよしとする。無粋の極みなりだ。

粋の中に生きていたら、己の了見というものを見極め
必要以上に求めることはしない。

自己主張もいいのだが、無粋にならぬ程度の控えめさは遺したい。

貧乏人の小倅のせいか
「武士は食わねど・・・」の中に
今だに粋を感じる。