禊(みそぎ)

正月を迎えるのにてんてこ舞い。

よく思うのだけれど、昨日と今日の違いだけなのに
大晦日から元日にかけては、何故こうも、遣り残しはなかったかと慌てふためくのだろう。

商売柄かと思ってみたりしてはみるが、昔もそうだった。
今年の遣り残しを持ち越したくない。
大晦日の夜には、何十キロも歩いて海に出たり、とことん何かに集中してみたりと、自分なりの禊をしていた記憶がある。

かわいがってくださった神主に、元日は、必ず海中に入り禊の神事をされていた方がいた。
高齢になってもずーと続けられた名物神主だった。
今思うと懐かしい。

これって
日本人のDNAなのだろうか。

さあ掃除しなくっちゃあ・・・

暮れと正月の境

クリスマスまでは、他の店が正月飾りに切り替えるところを
季節感がおかしくなる・・・と頑固に晩秋のモミジ飾りでがまんしている。

毎年のこと正月は繭玉(紅白の玉)で飾る
繭玉を出したら、もう、琴のBGMにしないと、これまたおかしい。
アンバランスそのものに感じる。

それなりに、ストーリーが頭の中にあるのだ。

で、今年は?
というと、

いままでのセオリーを崩した。
それがこれ。

やっぱりおかしいよー(^^;

果たして・・・

クリスマスも終わり、ようやくはばかることなく、お正月の用意をし始めた。
が、来るわ来るわ。商品の山。
こつこつひたすら片付けて、なおこの状態。
少しは余裕もって準備をしていたつもりだったのに、

年が替わっても、続けているのだろう・・・か。

浅草のクリスマスツリー

クリスマスツリーにも浅草には浅草の流儀があるのだ。

雷門を背に。

浅草には数少ないクリスマスの雰囲気のある通り。
オレンジ通り。突き当りは伝法院。

こうでしょ。

こんなのもあるよ。