潤う

mixi仲間のところから、
しばらくぶりにコーヒー豆をいただいた。
(仙台のコーヒー屋さんなのだhttp://www.nelsoncoffee.com/

自分も香りの商売をしているせいか、
お香に限らず、香りのものには、いささかうるさいおやじなのだ。

習慣性が身についてしまっているというのか、
いつもある香りがないと「情」まで欠乏してくる。

コーヒーの荷物が届くと、小包が店に入った瞬間から、
ピンと来る。

香りの自己主張が箱におさまりきれないのだ。

「コーヒーは生もの」ということは、
ここで教えてもらった。活きの良い香りは、
こちらの気まで上昇させてくれるようだ。

急にウキウキモードのスイッチが入るのだから。
暫くは、潤いそう。

香りの力をまた新たにさせられた。

白なんだ。

吾妻橋そばの交番前。

今、花に囲まれている。

前々から、この白い花は、何なんだ…

ちょっと前までは、にこぶしの木が花をつけていましたが
今は散り、小さめの白い花が絶好調で咲いてます。

これはわからない。
若いお巡りさんに伺ったけれど
いぶかしがられ不明のままだった。

疑問を抱え抱えして一向に解決の糸口が見つからない。
聞かぬは一時の恥じ。
ちょうど都合よく同年輩のお巡りさんが立っていた。
今がチャンス。

思いきって、

Boo「あのお…」
お巡りさん「はい?なんでしょう」
B「つかぬ事をお伺いしますが…」
巡「はい?」
B「あのう…」
巡「はい??」
B「あのううう」
巡「・・・??」

と堂々巡りの末、
「この木はなんていう名前の木ですか?」
「あ?!」

ということで、ようやく
「ハナミズキ」という名前が判明しました。

かわいらしい…

もっと早くに聞けばよかった。

お巡りさん。
ご迷惑かけました。

Booにお供え…?

都合で今日にずれこんだ写経会。
ほとんど僕はタッチしなくても滞りなく会は行なわれる。

会社の運営ではないのだから、
NPOにしたほうがよいと思うのだが
なかなか踏み切れないでいる。

まあとにかく、終ったあとの余韻は格別のものがある。

ほとんど席にいないBooのために
饅頭が2個ちょこんと残されていた。

写仏

宮絵師 安川如風の仏画を元にした、「写仏ぬりえ」である。
1050円

1たす1は1

意外に知られていない。
手を抜くというか、
気配りの無い者が念珠を作るとこうなるといういい例だ。

写真は念珠に使う親玉。

穴の大きさが、わかるだろうか。

上の写真は、左右(写真では前後)両方から糸が入る。
それが、下の写真の穴から二本一緒に出すのだ。

が、指の大きさで比較してもらえばわかるように
同じサイズの穴が開いている。

左右から同じ太さの紐を通せば下の穴には二本分の太さとなるくらい
だれでも気づくだろう・・・

けれど・・・

このとおりなのだ。

ということは、全体の通し紐が通常より
細いサイズのものを通さないと無理と言うことだ。

つまり寿命が短いと言うことだ。
短いのを承知で、そういう糸を通してくるから

いいぞ~~

最近いい白檀材がなくて…
ないというよりも彫りの工房によってばらつきがある。
彫ってもらいたい工房に白檀がなく

首を傾げるところにはふんだんに持つ。
かといって融通しあう柔軟さを持たないものだから
手のいい仏像が彫れない。

ようやく一点。
しかも、本きりがね。

なかなかよい。と思う。 

春三題

小さな春(中央分離帯の雑草にも可憐な花が)

中くらいの春(マンションの入り口にも)

大きな春

都会の中の、Booちゃんの春見つけた。

久しぶりに

久しぶりに空を見上げた。

どことなく曇り。

東京マラソンのために装った、にわかじたての雷門前の
花壇がようやく落ち着いた。
できれば、日頃からこうしてほしいけどね。

面白そう・・・

まだ、試作段階にあるけれど
おもしろそう・・・

ナツメの木にお地蔵さんを手彫りした。
機械では出せない風合いが興味をそそる。

小さいけれど、面白い表情しています。
手彫りならではの表情です。

元がおもしろいと、次から次にイメージが湧いて…吹き出してくるんだよね。
もう、どうにも止まらない♪
また手を加えて彫り足してもらうことにした。
さて、どうなるものやら・・・

こちらは、密教具の彫り。

再開

毎日、300通も400通も来るスパンメールにうんざりする。
見たくも無い画像や、文章、
(美しくない画像や文章は罪だね)
あらぬ無責任な書き込みや…
詐欺まがいの蛮行…
はたまた、拝金主義を全面に押し立てるサイト…

あげたら、きりがないほどのダーティーな部分が露見してくるネット社会。
マスコミもそれ見たことか、と己の足元を隠して誇張しまくる。

その情報の殴り合いの狭間に我々は首をすくみながら
知らぬを決め込む。

40数年ぶりに小学校の友人とmixiの中で再会したのは暮のこと。

ここ最近になって、店にも顔を出してくれるようになった。
お互い不思議な感覚にとらわれる。
小学校卒業を目前に転校し、修学旅行もいけず終いの僕を
そうはっきりと覚えていていれるはずもない。
子供時代の記憶は、都合よくイメージで補修しているもの。

目の前にすると、とたんに修正画像されていくのだ。
あっという間に、40数年の「時」はレタッチされるのだ。

ネットがなかったら、
こんな再開は、果されはしなかっただろう。