どちらの宗派でしょうね。
笠を見ると禅宗なんだけれど…
トトロの置きみやげ
トトロの置きみやげ。
僕が白鷺の舞を追い掛け回している間に、
猫バスにのってやってきた。
そして、疾風のように…
店に戻ると、たんとお食べと置きみやげ。
どんぐりじゃあなかったょ。
潅仏会(花祭り)
とにかく参拝の人垣で埋まっていた。
抜け道を知らなければ、前にも進めない有様。
花祭りに以前は、当店からも手伝いを出させていただいていた。
それでもたりない参拝者のうねりである。
白像は、浅草寺幼稚園の園児が、
代々の年長さんが、引っ張ってくるお役目。
浅草の子供たちは、少なからず仏教行事に必ず縁がある。
位牌殿である五重塔院も花祭りを喜んで、見下ろしているようだ。
「白鷺の舞い」も浅草に四半世紀いながら、
まともに見たのは
初めてのこと。
若干興奮して追いかけた。
追いかけて先回り。
追いかけて先回り。
そのうち先回りしすぎて、どこかに行っちゃった。
あ!伝法院に入ったのか…
惜桜 数珠つなぎの屋形船
桜を惜しみ、繰り出す屋形船。
ストーリーをイメージで勝手につくればそうなる。
のん兵衛には…
お酒を飲めればどこでもよいだろうね。
これはたいへんだあ
これは、こ・れ・は・・・
思わず絶句。
♪こ、れ、は、何かと問われれば、
腕輪の通しゴム
つまり「シリコンゴム」なのである。
まあ、「ここまでよくぞ付きあってくださった」
と御礼申し上げるところ・・・か、
はたまた、「もうちょっと早く持ってきてね」と
やさしくお伝えすべきか、
どちらにしてもやんわりとしかお話できません。
でも、大事なものならば、早くに交換しよう。
切れてからじゃ遅いよ。
念珠君は切れて願を果たすお仕事とはいえ、
切れるのは、見ればわかるのだから。
でもこの色変わりは・・・温泉???
元の状態と比較するとよくわかる。
知らずうちに、「頑張ったね」と心でエールを送っていた。
もちろん念珠にさ。
そろそろ変化?
家具調の仏壇も一般化してきた。
以前は、なかなかデザインのすっきりしたものの少なかった分野で
一メーカーの独断場だったけれど、重苦しさがどんどんなくなって
祈りの変化に、応じてきたのではないのかな。
と思わせる。
なかなかいいでしょ?
出ない
出ない。
出ない。
出ない。
煙も・・・
香りも・・・
試してみました。
でも、線香あげる意味は何処にあるの・・・?
金箔入り…
仏壇屋は、アメも金箔入り。
潮流
ついに、ここまできたか。
昨日は、業界の展示会。
そこで渡されたお線香のサンプル。
香りゼロ。
煙ゼロ。
世の中の声に応えての、新製品ということなのだとか。
事実、そういうお客さまは、多いの。
でもね、
なんで線香を仏前にあげるのか…
そこんところの意味忘れないで欲しいなあ。
なんて言いながらもきっと店頭には並ぶだろうな。
昨日は、数箇所に点在している会場目いっぱい廻りきりましたから、
もうへとへと。
あ。ここは、一般の人は入れません。
を、
仏壇をこの日に仕入れると、得点もあって、
まとめて仕入れると言う店もあるようですが、
僕はヒント探しに行きます。
規模が、年々小さくなってきてるのが少し気になりました。
家具調のもの、都会的というのか、
祭壇形式、モニュメント的のものと、
新しい試みも少ないけれど見受けられ、
模索していること、また、振興勢力が生まれつつあることも
現代の供養観の変化がバックボーンになって、
先ほどの香りゼロ線香も含めて、
新しいスタイルが湧出しているのだなあと実感したBooでした。
会場を出ると、雷交じりの春の嵐。
業界のおかれている今みたい
なんて思いつつ帰路につきました
今は過去の結果?未来の為?
人の死出の場に出くわすと言うのは、
当たり前のことだ、悲しいものである。
出会わない人は、本当にその場を経験しないで一生を過ごす。
縁のある人は、これでもかというほどに出くわす。
ちなみに僕は多い。
店に訪ねてくれた、Yさんとお話する機会があって
なんとも、不可思議なお話を伺うことができた。
話はこうである。
知人のお見舞いに九州まで足を伸ばした。
「ようこそいらしてくださいました」と病に付しながらのご挨拶。
いたわりの言葉を交わし、
「それじゃあまた」と言葉を発するか、しないかの間にスーッと息を引き取られた。
つまり、死出の最後の挨拶を受け取ったのである。
家族でもない、ましてや旧知の友人でもない、
そんなYさんに、病人は最期の言葉を託されたのだ。
行きがかり上、亡骸とも同じ屋根の下でくらし、葬儀全てをみとり、
まさしく家族同然(以上かも)の10日間を過ごす結果となった。
よほど深い縁があったのか、Yさんの人柄に安心されたことなのかわからないが、
自分に置き換え考えると、人生観に深く影響するだろうことを強く感じた。
僧籍を持つYさんゆえか、天性のおおらかさからか、
消化して受け止めてしまっていることに「さもありなん」「あ!やっぱり」の言葉がフッと頭に浮んだのは、当然の感想だと思う。
大いなる人生の伏線に、無駄はないことを思うと、
今はわからずとも、将来の役回りがあるのだろうなあと
マジマジとお顔を覗き込んでしまう、Booであった。