日本文化的チャングム

毎週土曜日の夜は、
家族総出で「チャングム」鑑賞会となる。

子供たちもそれぞれ、何をしていても
必ずどこからともなく集まってくる。
そして、普段見せない真剣な眼差しで、テレビを見ている。

親は高じて、ついにDVDにまで手を染め始めた。

一回目から、観返している。

改めて、苦労の多い女の子だと感じる。

「おしん」も苦労続きだったけれど、
「チャングム」も負けじ劣らず、苦労の連続だ。

よくぞここまで、不幸の星を背負って生きていけるものである。
ぼくなら、とうに自分を排斥した宮中など諦めて、
済州島で一小市民として生きて行くだろう。めでたしめでたしなのである。

また、作者もよくまあ、これだけの苦労を思いつくものである。

と、心底関心する。

小学生のころ「氷点」が流行った。
テレビも小説も
イヤでイヤで仕方なかった。
(七人の刑事の次にいやだった)

何でこんなにいじめられ続けなければいけないんだ。

一間しかなかった我が家では、
いやなら寝るしかなかった。

「女、子供をいじめて何が名作だ」
そう思い、ブツブツ言いながらフトンに入った。

後日、作者がクリスチャンであること
そして「氷点」は、キリスト教を根底にして考えないと、理解しづらいんだと友人に教えられ、ようやく納得した。

そう考えると、チャングムは、韓国の精神の底流に流れる
恨(ハン)の心を理解しないと、単なる三文ドラマとなりかねない。
「またか、チャングムちゃん、かわいそう」で終りそうである。
実は、深い深い精神文化が、土台にあることを忘れてはいけないのだ。と、はたと気づいた。

これで、観返す楽しみ方が、増えたというものである。

ただ、くれぐれも主人公に成り代わり、
チャングンの恨みと、頭の中で勝手に書き替えぬよう気をつけないといけない。と思っている。

「おまえら人間じゃねえ、たたっ斬る」と日本文化的チャングムが現れないよう。注意、注意。

夢のおはなし

夢は毎日必ず見る。
疲れていると、朝までぐっすり、
夢なんて何にも見ないとかいうが
どんなに疲れていようが、必ず見る。

空を飛んだり、冒険物だったり、押しなべて幼稚な夢が多い。

天然色の夢は、正夢だとか何だとか耳にするけれど
生まれてこのかた、色つきの夢しか見たことないのに
そのようになったためしがないのだから
マユツバ情報と思っている。

夢解きというものも、
してもらったこともあるけれど
全く信じないものだから、
一回でそっぽを向かれてしまった。

もともと見えないものは、信じないたちなので
納得できないものは、できない。
そのくせ、お化けと神様は信じてる。

昨日といっても、2時に目が覚めたのだから
今日といってよいかもしれない。

時の人、安倍幹事長と仲良く話している夢を見た。
「総裁選頑張ってね」

ため口である。

にっこりして何か言葉を返してくれたのだが、覚えていない。
「時の運だよ」とか言ったようにも思う。

その後に登場したのが、民主党党首の小沢一郎氏だった。
夢のような話なのだが、本当に、本当の夢の話。

「応援してあげてよ」
こちらも、ため口だった。

小沢氏は、軽くうなずいていた。
そこで目が覚めた。

たわいもない夢だったが、
ついに国政レベルの夢を見てしまったか。
と、目覚めてから興奮した。

よく記憶しておこうと反芻した。
ついでに、夜なべをしていた上さんに伝える。

「よく寝なさい」の一言で終いとなった。

天下の廻りもの

最近、とっても気になることがある。

毎日、売り上げの精算をしていると
必然的にお金の顔も毎日見ることになる。

その顔色が、今ひとつ悪いのである。
そっとひとりで心を痛めている。

子供のころ古銭収集が趣味だった。
それこそ、なめまわすように、
毎日たな卸しをし、
現在庫をチェックをし、
収集見込みを立て、
かつ、カタログを暗記していた。

現在の仕事にこれほどの情熱があったら
いかなるものになっていたろうか。(守銭奴になった可能性は十分あるが)

今では信じられないくらい、お金のことには、
頭脳明晰だった。

軍資金のない子供時代のこと、
お金をかけないで収集しようと思えば
現行コインもターゲットだった。

今では、「お宝…」とかで一般化してしまったけれど
現行コインにも、お宝は多い。

それを集める為に、
わざわざ電車に乗って繁華街に通った。
今で言うゲームセンターに毎日通うのである。
遊びの為ではない。

ひたすら両替機で少ないお小遣いを
小銭に両替した。

発行枚数の少ない10円玉や100円を
見つけては、小躍りしながら帰るのである。

だから、
お金の状態がとても気になる。

実に汚いのである。

特に札の状態が悪い。

まだ、発行されて間もない樋口一葉でさえ
よれよれのボロボロが多い。

酸性雨のせいもあろうが、5円玉などに至っては、
両替し、封を切ったたばかりなのに、
一割近くが、錆を出していて使い物にならない。

おつりとして使うのには、
気が引けるほどだ。

素材が悪くなったのか、
はたまた、使い方が荒いのか。

子供の目であったことを差し引いても
昔は、もう少しきれいだったように思う。

世界でもトップレベルの、美術品ともいえる
日本の通貨が、ぞんざいに扱われている。

コイン収集はとうに、卒業したはずなのに、
いまだに心に痛みを感じる。

人の間を渡り歩く通貨は、
だれよりも、世の中を知っている。

モラルの低下ってこんなことにも
赤裸々な情報として伝えてくれる。
と思う。

もっと大事にしないとね。
自分のものじゃないのだから。

風林火山

風林火山のよう…
お盆当日だというのに、
忙しかった。

どう忙しかったか、というと、
朝からめいっぱい、忙しかった。
儲かってよかったねと言われそうだが、
ありがたいことに儲かる構造には、
なっていないから、
安心している。

そんなことより、最近気になるのが
人の動きが、年々予想しづらくなってきたこと。

商売は、水物であるけれど、
大まかな購買予想は、
事前に立てれたものである。

が、今は直前にならないと
まったく動きが見えてこなくなった。

人の動き方が、風林火山のような
人の動き方になってきたように感じる。

動かざるときは、山の如く動かない

動き出してしまうと、とどめなくしかし、
疾風のようにさっと過ぎてしまう。

生涯のおつきあい

久しぶりに懐かしい方が来訪してくださった。

千葉のOさんは
百体仏を彫る願をかけていらっしゃる。

同じ自転車の趣味もあってか、
一回り以上も歳の違いもなんのその
何故かいつも意気投合してしまう。

始めは、彫刻刀の購入時からのおつきあいだから
仏師入門の入り口からのおつきあいと言うことになる。

曹洞宗の彼は、星月菩提樹の念珠を購入していただいている。
普通の研磨で製作したものを
さらに入念に自分で磨いた。

Oさんの手にかかると
普通の念珠もこうなるよ。

玉の穴繰りの面取りが尋常でない。
おまけに、玉の1玉1玉をくるみの油で磨いたとか。

トラメ石まで磨いたの?

いやはや、とてもじゃないけど、かなわないや(^^;

庭師の職人さんが捨ててしまう木片も
Oさんいただいてくるのだそうな
何にするの?

おもむろに

「はい」
っとプレゼントしてくださった。

欲しそうな顔をしていたかいな。

痛!
いててて…

桜の端材もこうなるのか。

木はいいねえ。

たいへんだあ

どうしよう。

白檀が高い。

高騰し続けている。

3ヶ月前にとった見積もりが、
なんと、2倍強になっていた。

建設業に携わっていた頃、
オイルショックのあおりを受けて
材料費の高騰が続いた、発注した工事が完了する頃には
利益がなくなるどころか、大赤字。
ということがあったけれど

今回の白檀騒ぎは、それ以上の高騰ぶりだ。

お香類は、去年から原価の値上げが始まったが
この秋にはまたあがりそう…

仏像用はもうとっくに上がって、というより入手できない。
ちょっと大きい仏像を作る材料が
今年になってからは、全く手に入らない。

念珠材料もついに秋には原価訂正に追い込まれた。

CMではないが、さあどうする。

構想


新東京タワーから浅草まで
こんな構想があるんだって。
1Kmの区間をロープウェイで結ぶんだそうだ。
浅草らしいよね。

けど…

何人乗れるの?

浅間の風

ミクシーの知り合いが、
軽井沢を旅するという話を聞いて、
ふっと記憶がよみがえった。

はじめて軽井沢に足を伸ばしたのは、
堀辰雄の小説を読んだのがきっかけ。

「風立ちぬ」の舞台となった、
旧軽井沢に思いをはせた。

社会に出て2年目。
ほぼ毎日、自転車漬けになっていた頃だった。
もちろん足は、自転車となる。

横浜から長野までは輪行(車内持込)し、走り出す。
雨男の自分には珍しく、天候には恵まれた。

どこをどう走ったか、記憶にないのだが、
千曲川沿いに走り、
八角の五重塔のある、上田(塩田)に立ち寄る余裕もなく、
追分へ急いだ。

どこをどう回ったのか30年の年月は、
その道程を全くトレースできない。

ただ、記憶にあるのは、
どこまでつづくか知れない、浅間の雄大さ。

そして、碓氷峠からのダウンヒルの醍醐味。
高度を下げるたびに変わる風の匂いと緑の色合い。
爽快だった。
ときどき目に映る、明治の鉄道マンたちの遺構の異様さ。

そんな断片的な記憶ではあるけれど、
貴重な思い出である。

今でも「軽井沢」と聞くと、
いつも、浅間の風が吹く。

お盆におもうこと

もう、お盆までカウントダウンとなった。

3・2・1・ゼロ、と近づく今だから、
いやでも、民族大移動が始まれば、
子供心にも、「何か特別な日が近づくんだ」と
予感をさせる。

敗戦の記念日が、その日に重なることも
印象をより濃くする一因ともなっている。

先祖を考えることのできる環境がこうして、
用意されていることは、
「日本って、なんてありがたい国なんだろう」
と、いつも思うことである。

仏教伝来以前の日本人には、
死者に対し畏怖をもっていた。
畏怖心から、死者は、神となり、子々孫々をお守りくださるのだと
変化したようだ。

死者に対して意味もなく、
おどろおどろしいものと考えるのではなく

活き活きと現世に、はたらきつづけてくれる守り神。
明朗で且つ、強烈なイメージを持っていたようである。

仏教伝来後は、融合されて
仏教行事としての「文化」となってきた。
けれど、本来的には、日本人が根底に持っている、
神観や先祖観に基づくものなのだという。

とりわけ、日本の文化の中でお盆ほど
日本人のDNAが見える形として、
顕されているものは、ないのじゃないかと思う。

だから、文化を大切にしたい。

複雑に絡み合って、どうしようもないとき、
後戻りできないほど窮地に陥ってしまったときは、

「初心に帰れ」とは、よく言うことだ。
日本人には、その「初心」が文化として伝わる。

苦もなく、仏前に初心となって手を合わせる、
一時が持てるのだ。
亡き肉親と実体はなくとも数日間暮らし、
寝起きを共にするのである。

にわか信仰心でも良いと思う。

思い出す行為が、それ以上は、
「軌道を危めない」ことにつながるのではなかろうか。

そのときは、大手を振って「ご先祖さんありがとう」って
声を出したらよい。

お盆とは、先人が残してくれた
「初心還り」のチャンスなのだから。

蓮ちゃん近況

浮き草に押されて、中が見えないほど
ラッシュ状況となる。

でも、しっかり新芽を水面に出してきているから
無事のようではある。
けれど花は咲かない。

しっかり栄養を与えて、来年に備えるようにしたほうが
よいのかもしれない。

めだかは、活き活きライフをエンジョイしている。