阿弥陀さまのペンダント

以前から取り扱いはあったのだけれど、
注文をいただき改めてマジマジ見ると、彫りがいい。

元型がよい。

他にも貴金属を使用した守護本尊入りのペンダントはあるのだが
彫りだけを比較すると圧倒的によい。

難点は、24kだから、地金が相場で動いてしまって
価格が安定せず困ること。

厚み、つまり重みもある程度あって重層さも感じられる。

オーマイゴット

また、闘争の季節となった。

あっち~~!
なんなんだ、この暑さは!

当店は、路面店です。
お客様の入店のしやすさを考えて入り口は、
閉めません。

ようするに年中あけっぱなしです。

雪の吹きすさぶ厳冬であろうが、
真夏のギラギラ太陽のなかであろうと・・・

当然、外気が構わず侵入してまいります。

エアコンをつけ温度調整します。

いちおう「チーム-6%」だから、
気を使うことは使います。

けれど、気を使わなくても、店員が勝手に上げます。

ぼく下げます。

店員上げます。

ぼく下げます。

上げる、下げる、・・・・

もう・・・戦いなのであります。

-6%は完璧にクリアーです。

いつもの年は、盆提灯が店頭を飾る頃からだから、
6月頃からのはずなのだけれど・・・

今年はすでに、闘争モードに突入いたしました。

地球温暖化の影響は、こんなささやかに暮す、
TONちゃんの上にまで容赦なく押しよせております。

明日は、いよいよ夏日。とか。

オーマイゴット!

明日に生きる

最近、人を送る機会が多い。

直接の知人ではないのだが、
友人の父親であったり、
夫、妻であったり、友人であったり、
である。

自分の年齢を考えたら、
そう…そんな年頃なのかもしれない。
自分を知る人が…
理解者が…
受け止めてくれていた人が…
世を去るというのは、すこぶる寂しく、かつ手痛いことである。
人間は情の生き物であることを改めて教えられる。

パンのみに生きるに非ずなのである。
情のネットの中で生きる力を与えられていることを
気付かされるのだ。

「80歳を越えたら、同窓会も開けなくなったよ」
「悪仲間がみんな逝っちゃっておもしろくない」

などと、年寄りに、昔からよく聞かされたものだ。
「ん~~そんなものかねえ」
などと生返事をしたものだ。

20、30代の頃は考えたこともなかったけれど
同世代がどんどん減っていく。

少し深く考えてみると、これは、由々しき問題なのだ。

なぜなら、同世代にしかわからない共通項が必ずあるからである。
つまり、ツーといえばカーが通用しなくなるということ、

常識が常識として通らなくなってくるということを意味している。

ネットの仲間で、同世代の集まりがある。
たいしたことを話すわけではない。

子供のときの番組覚えてますか?だの、
何して遊びましたか?だの、
駄菓子屋の思いでは?だの、

ようするに、思い出話だ。
少し前なら、考えもしなかっただろう。
そんな中で発言していると、心模様の変化に気付く。

自分の立ち位置を確認しているのだ。

自分が生きてきた足跡を、
同世代の中から自覚しようとしている…

そんなような気がするのだ。

だから、ネットを飛び出して、オフ会も盛んなのだそうだ。
ハリマオーについて語るだの…ね。

否、
くだらないと思うなかれ!

若いときには、「明日どうなるだろう」しか考えないで
突き進んでこれるものなのである。

50、60になると、これまでの積み重ねを確認しながら
次に進む、そんな考えが出てくるのである。

己の中で、温故知新を求めようとしている。

あの時自分はこう見つめてきたけれど、
同世代のあなたはどう捉えたのと、
ある意味、比較する意味はないのだけれど、
それが、どこか安心感を生むのだろうか。

とにかく、方法論はなんでも良い。
明日に生きるのは、自分なのだ。

だれでもない。
私なのだ。

パラオ

1日。
写経の日でもあったのだけれど、人に頼んで靖国神社に走る。

九段下の地下鉄出口から表に出ると、
青葉に溢れている大鳥居が目に付いた。

新芽の青い匂いは、
若いときはいやでしょうがなかったけれど、
今は、命の精気を感じて、なぜか力が出てくる。

もう桜も散って青葉が目にやさしい。

鳥居をくぐるとバスが10台以上留まっていた。
右翼の凱旋車にしてはおとなしいし、時期が違うなと思いつつ覗き込んで見ると、
「生長の家○○教会」遠いところは・・・オー。広島からの参拝だ。

忙しいとこぼしていても都内にいて、足をちょっと伸ばせば、
苦もなく来れる距離にいることは、なんと恵まれていることか。

浅草なんて近い近い。

今日の参拝記念は、乾菓子でした。

いつものように遊就館。

ちょうどパラオ展が開かれていた。

第一次大戦後31年間統治し、
教育や産業の振興に他の国に行なったように、
力を注いできたことも知らなかった。

国民の日本人への好感度は今でも高く、
その国旗やパラオ語になった日本語の多さにあらわれている。
約束、切手、電報、独立、恋人、寂しい、誕生日・・・etc

日本とパラオの関係がこれほど深いことをとを知らなかった。
浅学だなあ。ほんと。

見終わると、パラオに行きたくなっていた。単純な男。

駆け足で、見終わる。
飯田橋駅に向かう。
初めての道順で、方向音痴なので途中、地図を見い見い、
それでも見当ハズレになりながら歩く。

地図を見ると、○○坂というのがすこぶる多いことに気付かされた。
謂れを読みながら全部の坂を歩いてみたくなったが、ちょっとかなわない。

二合半坂を下りて富士見町をすり抜けて、駅に無事たどり着いた。

三社の月

浅草の人出はもう大変でした。

年々、ゴールデンウィークの人出は増えているように感じます。

新東京タワーが建ったら、どうなるのかねえ。
率直な気持ち。

今月は三社祭の月。


(洒落です)

提灯が掲げられると、もう空気ががらっと変わる。

宝蔵門がようやく化粧直し終了。
ようやく三社に間に合ったね。

母子地蔵も見守ってます。

旅立ち

久しぶりに・・・
スカ!!!

当店のマークみたいにも見える。

そう、鶴が二羽。

でも、親鶴から逃げてんの?

旅立ちかね・・・

お客様の縁

今、気になるお客様。
あの人と、あの人と、あの人・・・
体を壊していらっしゃれない方、忙しくて、こちらの不手際で・・・

毎日の業務をこなしている最中、接客をしている最中、
ふっと頭をかすめる。

お客様のリストがあって、この人と、この人とというように、
名簿から拾うのではない。

勝手に脳裏に浮んでくる。

そういう思いに囚われると、十中八九、日を待たないで
お客様の側から連絡をいただける。

「仏壇を納品する日は、絶対、雨にはたたられない」
もう一つのジンクス。

この二つがぼくにとっての、二大ジンクスなのである。
はずれたことは、まだない。

今日は、雷が激しく驚かされた。
ゴロゴロゴロ
ピカッ、ゴロッ。
同時にポンと、目黒のYさんのことが気になり始めた。
どうということではないのだけれど、
脈絡もなく「ピカッ」=「ふっ」と出ちゃうのだ。

気になると、頭から離れない。

そうこうしているうちに、電話が入る。
当のYさんだ。

ちょっと元気がないのが、電話口から伝わってくる。
新商品はないか?を潮に、あれこれ近況を聞かせていただく。
こちらも、状況を説明させてもらう。
そんなやり取りで、楽しくなる。

盛り上がって話は終わるのだが、
他愛のない話で申し訳なかったと思うこともある。

けれど、話ができたことが、ただ嬉しい。

商品が売れる嬉しさよりも、
こうした時間を共有することが、楽しくてしかたないのだ。

本当に商売をしているのだろうか、
ときどき?に陥ることもなくもない。

けれど、これが、ぼくのスタイルだし、今まで続けてきちゃったのだ。
いまさら、変えられないや。

というのが、本音。

こんな変な奴だけれど、
続けて、お付き合いしていただけると嬉しいな。

ドキュメントから

早朝の(世間的には真夜中の)番組に、
若年性認知症のドキュメントをやっていた。

途中からだったので、2例だけだったが、
一人は経営者を旦那に持つ主婦、
もう一例は、技術職の60代の男性だった。

女性はまだ軽い段階だけれど、
文字が書けなくなったのが一番のショックだったそうだ。

それはそうだろう、昨日までなんの苦もなく帳簿を管理していた人が、
突然字を書けなくなるなんて。想像するだに恐ろしいよ。

次の例は、奥様との二人暮し。
技術系の会社を経営していたご主人が、
この病気と診断されて、苦渋の選択で会社をたたむ。

奥様すら思い出せないときもあるほどに悪化する。
徘徊を始めたのが限界で、介護施設に入ることになる。

その前後をルポしていたのだが、もう目が釘付けとなる。

夫婦間で二人の間でしか読めない空気を読めなくなって、
共通の思い出も失い、最期は「いつもいるけど、あなたどなたでしたっけ?」

などと言われたら、自分ならどうなるだろう…

2例目の男性にあっては、技術屋が、ある日から、
急に図面が読めなくなったのだそうだ。

これは、ショックが大きい。

さしずめ僕の仕事なら、念珠が作れなくなるとか、
お金が数えられなくなる。
とでも言うことか…(喜ぶ人間もいそうだが)

これは、相手を理解しなければと思っても、
受容するのは、なかなかきびしいな。

というのが本音。

でも、病にかかった当の本人が、
何より苦しんでいることをこの番組の中で教えられた。

コピーをとるために機械のある二階に行くと、
「あれ?何しにきたんだっけ」を繰返すようになったり、

「あのときのあれは、あれしたっけ」式会話が増えてくる昨今、

決して人ごとに感じなくなりつつあるBooなのであった。

思いと行いは違うもの…

ここ3日間は、天候が思わしくないせいか、
お店もガーラガラ。

今日も、あまり天候は冴えないと知る。

なら、これもやって、あれもやって、ついでに、
いつも手が出せないで、上さんから「まあだ」
と、言われ続けているポスターの原稿も作っちゃおう。

朝、家を出るときは、資料を両手に持って店に出かけた。

午前中、まあ予想通り、お客さまも少なく、順調にこなせた。

それでもお客様で中座する時もあり、
そのたびに、画面を隠してリアルの仕事に戻る。

接客の仕事から戻ると、前の仕事を忘れて、
新しい仕事を始めてしまう。

あせっている。

しばらくパソコンの前に座っていると、

また、中座。
席を暖められないまま、そんなことが続いているうちに、
もう店を閉める時間。

気が付けば、何一つ終わらせていないことに気付いた。

電気を落とそうと、パソコンを覗くと、画面の中に、
ぎっしり中途半端な資料が、次の順番を待っていた。

ごめんね。今日はここまで。時間切れ。

友、逝く

友というには申し訳ないほど年上なのだけれど…
20年近くお付き合いしていた、
高岡銅器の卸元の営業が亡くなった。

彼の代わりに営業に来ていた、
若社長の報告で初めて知った。

去年の早春、時ならぬ雪のなか、
高岡まで見舞いに行ったその人だった。

自分のオヤジのような歳だった。

古いタイプの営業マンで、とにかく取引先に尽くす人だった。

物を売る前に、まず相手の声をよく聞いた。

合うたびに、昔はね…と懐かしそうに、
夜汽車に揺られ高岡から上野まで重い荷物を抱えて、
営業に来ていた話をするのが彼の定番だった。

職人よりも仕事を知っていた。

否、
「知る努力を惜しまなかった」と、言うほうが正しいだろう。

だから、職人でもない営業マンの彼の要求には、
頑固職人たちが、いとも簡単にうなずくのを見た。

仕事とはこうするもんだよと教えられた気がした。

二周りも三回りも年上なのに、小さなことにも、
全身で感動することを忘れなかった。

強面の顔がそのときだけクシャクシャになって喜ぶ。
その落差が面白かった。

「会社では、うるさいと煙たがられていますよ」と、
いつもこぼしていた。

そうだろうなあと僕も思った。
彼の営業マンとしての周到さや研究熱心さは、天下一品だった。

後輩がついてこれないのも当たりまえと思いつつも、
「大久保彦左衛門だね。そういう人が必要なのよ」といつもからかい励ましていた。

妙に気が合った。

「高岡に泊まりに来てよ。魚が美味しいからさ」と、

自分がでかい魚を吊り上げた写真を見せびらかしながら、
再三再四、聞かされた。

あまりにも僕の腰が重いので、最後には、
「じいが死んじゃったらどこも案内してあげれないじゃない」
と、冗談交じりの本気とも取れる言葉を口にしていた。

約束を果たせたのは、病に冒され、入院した
去年の早春が最初で最期の訪問だった。

自慢のクルーザーに乗せてもらうことも、ついにかなわなかった。

海の音が玄関先まで聞こえて来るんだよ…
泊まりにきてよ…