お墓参り

人のお盆のお手伝いをしていて
気がついたら我が家のお盆は、
すっかり頭から抜け落ちていた。

さぞや、ご先祖さまは、
この一見、先祖不孝者に見えるこの末裔を、
喜んでいることでしょう。

わが身も先祖も顧みず、他の為に滅私奉公しているのだから。

いやはや、じょうだんではなく
オヤジの墓にあいさつせねば・・・

まわりのみなさまは、どこにお墓をお持ちだろう。

最近はやりの、公園墓地の方が多いだろうか。

耳にするのは、寺内墓地が多いのだけれど、
気にしないですむので、宗教に関わらない公園墓地は
人気なのだろう。

僕のところは、ずーーと遠い。
学生時代、本家に預かってもらっていた遺骨を持って
母の田舎に思い切って墓所を設けた。

その昔は仙台藩のお殿様の墓所内ということもあって
喜んでいたこともあったが、
なにせ、遠い。
迎え提灯で先祖をお迎えに行けば、
新幹線でお迎えしないといけない、笑えない話。

やはり、先祖供養と生活。
これはまさしく文化だと、つくづく思う。
その点、家内の実家は、
生活に根ざしている。

家から100mも歩けば墓所に着く。
「じゃあご先祖をお迎えしようね」と言いながら迎え提灯に
墓所からお迎えできるのである。

迷わせることもなく、ちゃあんと手を引いて
おうちまで連れてきてあげれるのである。

生きていれば百歳、二百歳のおじいちゃん、おばあちゃんであろう
大先輩なのだから、お迎えに行くのが、子供の目でみても尋常であろう。

ともあれ、お盆本番もカウントダウンだ。

教えたげる

「おしえたげる」…横丁の与太郎の言葉尻は、
リエゾンすることで「oshiete ageru」の te+age=tageになってしまうようだ。
だから、「おしえて あげる」が「おしえたげる」と詰まってしまう。
自己解釈の江戸弁だ。

さておき、
夕方間近にかわいい職人さん候補がみえた。

ご自分で念珠を作りたいということで
房や親玉のパーツを探して、ここまで来られたのだ。

四六時中、念珠と向き合って暮らしていると
無造作に手だけが勝手に動いて、
作業をしてしまうことが多いのだが、
こうして製作の疑問点を、投げかけられると、

いい刺激になる。

使わない脳細胞が、クルクルと音を立てているのがわかる。
オーバーヒートしない程度に止めておくのがコツのように思うが
つい、余計なことまで口が滑ってしまう。

最近、自分で自分の念珠を、作る方が増えた。
しかもブレス程度のものではない。

れっきとした宗派念珠を、自分でこさえてしまおうという
信仰心あふるる、のだと思うが、
そんな方が目に付くようになった。

法具に関心を持ってくださる方は、いたってうれしい。

わがホームページにも、
そろそろ、コンテンツを増やさないとと思う。

もちろん「自作コーナー」である。
でも、あちこちで自作しだしたら…どうしよう。

…そうだ!

boo店長は、もうやめて

boo親方って呼んでもらおう。

あつつつ

暑いイイーー
アスファルト熱い。

何でアスファルトなんて舗装に使うんだろ。
地下水汚すし、大体にして油で地面を隠してしまうのだからね。
地面をあるく気もしなくなっちゃう。

自転車でよく走っている頃、
車の重みで、中央はわだちができ、反動で道の端っこは、舗装が盛り上がっているところが良くあった(今はあまりみないなあ)そこを誤って通過すると、融けてタイヤに張り付く感じになってしまう。
ただでさえ、ばてるほどの日射にグロッキーぎみなのに
もうあきまへん。
すぐさま、
小休止に必然的になった。
すわりこみ、手持ち無沙汰に融けてる舗装面を
指でおせば、グニュと痕が付くほど、とろけている。
暑いわけだよ。上と下から熱せられてりゃ。

止め、止め、やめようよ。
コンクリート舗装にしよう。

油よりは、涼しいはずさ。

共同作業と職人仕事

懸案になっていた、製作ものをやっと、こさえることができた。

販売の現場をこなしながらなので、
俄然、遅々としていつも進まないのだが、

今日は、どういうわけか
良い意味で…
良いも悪いもない。つまりご来店が少なかったのだ。
スムーズに作業が終了できた。

近頃は、彫り物が多くなったので、一から十まで、
自分だけで完結できない仕事が多くなってきた。

だから、
他の職人に渡して、一次加工を終えるのを待つのだが、
これが、
いつも待ち遠しい。
実際は、不本意なのだ。

直接仕立てる楽しさは、何とも言えず心地よい。
が、しかし、企画立案までしか出来ない。
あとは職人まかせという仕事の場合、
最後まで気が抜けないし、はらはらのし通しなのである。

人の手を借りて念珠なり、仏像なり、製品として完成させるのは、
大掛かりにもなるし、まあそれなりに、達成感はあるけれど、
精神衛生上、たいへんよくない。

大きい仕事をこなそうとするなら、なおさらのこと、
慣れていかないといけないのだろう。

と思う。

が、手の届く、
気の回る範疇の仕事で充分と思うようになった。
最近、そんな思いがいつも、もたげてしまう。

むしろ、玉造りからぜーんぶ自分でやって、仕立てて
という思いが強くなっている。

彫刻刀を持って、木に向かうのも
遠い将来ではないような気もする。

明日の期待


しばらくぶりに登場!

はじめは、肩身が狭そうにしていた、水草が
あっという間に増えに増えて、水槽いっぱいに覆ってしまった。

肝心の蓮ちゃんは、というと

大葉一枚が元の葉の中では最後の一枚を残して
みな枯れてしまった。

もう風前の灯・・・

と思いきや、実は水の中には、新芽が次から次に
伸びているのです。

めだか君も、4匹、無事に成長し、
猫の脅威にもめげず
一匹は、やや、お腹が大きいようにも見えるのだ。けれど。

白と黒の間に産まれた子らは、
何色になるのかな。
ぶち、白、黒、グレー

ほんのわずかな期待に、
明日の意欲を掻き立てるBOO店長なのであった。

てんてこまい

お盆は、やっぱり8月だ。

オーダーのきく店として、口コミをいただいているようで
念珠も仏像も、中には厨子や仏壇にいたるまで
オリジナルがこれでもかというほどに多い。

オーダーのお部屋も満杯状態で、
これは、ほんの一部に過ぎない。

右から左に物が動くだけなら
こんなに楽なことはない。が、
よく考えると、
自分の性格上、すぐに飽きちゃうだろう。
たぶん。

がぜん、一つ一つが個性豊かになる。
それぞれに思いいれも深くなる。

そのたびに離別が伴う。
商売なのだから、当たり前の話しなのだが、
前にも書いたような気もするが、
いつも嫁がせる親の思いでいる。
だから、飽きる暇がないのだと思う。

時節がら、「お盆に間に合わせて!」
と、懇願される。
こちらも調子よく「がんばりましょう」などと
安請け合いしてしまうから、さあたいへん。

コンビネーションで作る作業だから、僕一人の問題でもないのだ。
職人さんも労働法の元にある以上、
無理させ過ぎるわけにもいかない。
あとは、残るは、我が身ひとつなのだ。

 ∴てんてこまい。

九段の涼風

月の初めで、火曜日
写経と靖国参拝がかちあってしまった。
こういうときは、英霊を優先する。

ここ最近、
日曜日とぶつかることが多くて、
4ヶ月も九段に足を伸ばせなかった。

8月ということもあって、よほど込んでいるかと覚悟していたが
何のことはない、40人程度の昇殿参拝となってしまった。

15日になれば、一般の参拝者も、
各団体の団参も多くて、身動きも取れなくなるのだろう。

へこへこ地下鉄の九段駅から、
胸突き八丁の坂を上り(少しオーバーではあるが)、
じりじりとした夏の太陽も手伝って、けっこうこたえる。

なのに今日は、なんと爽やかな日和だろう。

秋風?と思わせる涼風に後押しされるように
靖国の参集殿までいっきに駆け上がることができた。

飯田橋からのほうが楽なのに
とアドバイスを受けた。
今度はそうしよう。

靖国神社に対しては、内外問わず、いろんな声があるけれど、
来るたびに、元気をもらって帰れることは、
偽らざるを得ない事実だ。

帰り道、本屋をのぞくと
月刊現代が靖国の特集を組んでいたのが目に入る。

いつもながら立ち読み。
僕が父親のように慕っている、
天台宗の柿沼洗心師の取材記事が目にとまる。

奇跡的に故郷帰りできた「※北関大捷碑」の記事であった。

日本、韓国、北朝鮮の三国を動かし民間レベルで事を収めたことは
奇跡に等しいと感じさせられる。
柿沼洗心師の尽力なしでは難しかったであろう。

※北関大捷碑…豊臣秀吉の朝鮮出兵時に秀吉軍を大敗させたことを記念して
建立された。1905年に時の日本軍が戦利品として持ち帰り靖国神社に安置した。

靖国で始まり、靖国でしめくくった一日だった。

万霊灯籠供養

8月を目の前にすると

敗戦記念日と、供養会が頭に浮かぶ。

3月8日の大空襲でここ浅草は、火の海と化した。
この隅田川が、人の屍で埋まったという。
思いたくもない光景だが、事実は事実なのだ。

いまでこそ、ウォーターフロントとして人々が行き交い
家族連れや若い人たちの笑い声が絶えない
観光スポットのひとつだ。

季節になれば屋形船を浮かばせ、桜花を愛でる川面がそうであったという。

たった60年前に、目もそむける阿鼻地獄が、
おんなじこの場所で、展開されたのだ。

浅草から文芸作品によく使われる吾妻橋の上流側の歩道を渡りきり、
ふと左に目を転じれば、そこに小さいお地蔵さんが立っている。
いつも花と線香が絶えない場所だ。

空襲時に川で亡くなった、子供たちの霊を供養するために
建てられた供養碑である。

見上げれば、観光スポットのひとつアサヒビール本社の
巨大オブジェが、異様に大きな魂にすら感じてしまうのである。

8月15日浅草寺の主催で
万霊灯籠供養会(ばんれいとうろうくようえ)が催行される。
心して、のぞみたいと思っている。

生きる言葉

持ち出しで、ずーと続けている道楽がある。

写経会。
ただ、年月だけは二桁になっってしまった。

「忙中閑(ぼうちゅうかん)が大事だよ」と師匠のような父親のような恩師の言葉を実践するつもりではじめ、今まで続けてきた。

もうやめようかと何度、思っただろう。

けれど、そんな思いをもちながら、会に臨むと
決まって誰かの口から

「ここがあるから助かったのよ、ありがと」
「来れてうれしかった…」
などと、耳にする。

必ずである。

お店の運営にも同じことが多い。
この仕事も決して順調なわけではない。

「世の中不景気でも仏具屋は、景気知らずだからいいね」
などと無責任に聞こえる一言を、ぽんと投げかけるお方が
いらっしゃる。
「じゃ、やってみたら」などとは口が裂けても言えない。

世の中そう簡単ではない。

それは、昭和の中くらいまでの話だろう。
食えなければ、はじめにカットする経費は
見えざるものへの経費なのだ。

「ご先祖さんは後ね。生きて働く人が大事だもの」
と言うではないか。

見えざる部分から、まずカットするのが常套手段である。
本当は、逆なのだけれどね…。

もうだめだ。そう思ったっことは数知れずある。
なのに、月末になると、不思議と救われてきた。

「あんたのお店があってよかったよ」
「会えてよかったよ」コールをいただくのである。

労働価値説なんてどこかの誰かが、昔いっていたけれど、
労働以上に大切な何かを感じる。

労働へ、いざなう「意欲」に価値があると思う。
意欲を持たせる「一言」に価値があると思う。
・・・・・・

その一言を、一人からでも、いただけるならば、
まだまだ、この仕事を続ける価値があるのだろう。

あんこマン

まだ、日中というのに浅草は、花火大会の影響で
やたらと浴衣の若者の姿が目立った。
日本人はやっぱり日本人だね。と思いたいのだが

着慣れていないことは差し引いても、
「できれば、ブランド物は、あまり似合わないよ」と言いたくなる
おじさん心を抑えるのに精一杯。

お店もそれなりに活気があって楽しい。

お客様と応対している最中に
Sさんの来訪があった。

「はい」と渡された
誕生日をすっかり忘れていた。
いつも子供の誕生日のおまけだった僕の記念日は
いつの間にか埋もれてしまっていた。

「仙太郎」初めて聞く和菓子屋だった。
あんこマンのこの僕も知らなかった。


小豆が活き活きしているんだよね。
え!わかるのかって?それくらいわかるさ…

一緒にいただいた小雑誌
「菓子屋のごたく」はさらに、嬉しかった。
自社製品の目録程度のものと、さらっと目をとおしていると
これが、なかなかどうして、職人気質を絵に描いたような内容だった。
どっちでもいい
表示に頼るな! 
清貧  ・・・etc

道義書のような内容に、これが目録?
と思える貴重な(僕には)本だった。
いつかほんの主に会えるだろうか。

縁をいただいたSさんに感謝。