
宮絵師 安川如風の仏画を元にした、「写仏ぬりえ」である。
1050円

宮絵師 安川如風の仏画を元にした、「写仏ぬりえ」である。
1050円
意外に知られていない。
手を抜くというか、
気配りの無い者が念珠を作るとこうなるといういい例だ。

写真は念珠に使う親玉。
穴の大きさが、わかるだろうか。
上の写真は、左右(写真では前後)両方から糸が入る。
それが、下の写真の穴から二本一緒に出すのだ。

が、指の大きさで比較してもらえばわかるように
同じサイズの穴が開いている。
左右から同じ太さの紐を通せば下の穴には二本分の太さとなるくらい
だれでも気づくだろう・・・
けれど・・・
このとおりなのだ。
ということは、全体の通し紐が通常より
細いサイズのものを通さないと無理と言うことだ。
つまり寿命が短いと言うことだ。
短いのを承知で、そういう糸を通してくるから
最近いい白檀材がなくて…
ないというよりも彫りの工房によってばらつきがある。
彫ってもらいたい工房に白檀がなく
首を傾げるところにはふんだんに持つ。
かといって融通しあう柔軟さを持たないものだから
手のいい仏像が彫れない。
ようやく一点。
しかも、本きりがね。
なかなかよい。と思う。

小さな春(中央分離帯の雑草にも可憐な花が)

中くらいの春(マンションの入り口にも)

大きな春

都会の中の、Booちゃんの春見つけた。

久しぶりに空を見上げた。
どことなく曇り。
東京マラソンのために装った、にわかじたての雷門前の
花壇がようやく落ち着いた。
できれば、日頃からこうしてほしいけどね。

まだ、試作段階にあるけれど
おもしろそう・・・
ナツメの木にお地蔵さんを手彫りした。
機械では出せない風合いが興味をそそる。

小さいけれど、面白い表情しています。
手彫りならではの表情です。

元がおもしろいと、次から次にイメージが湧いて…吹き出してくるんだよね。
もう、どうにも止まらない♪
また手を加えて彫り足してもらうことにした。
さて、どうなるものやら・・・

こちらは、密教具の彫り。
毎日、300通も400通も来るスパンメールにうんざりする。
見たくも無い画像や、文章、
(美しくない画像や文章は罪だね)
あらぬ無責任な書き込みや…
詐欺まがいの蛮行…
はたまた、拝金主義を全面に押し立てるサイト…
あげたら、きりがないほどのダーティーな部分が露見してくるネット社会。
マスコミもそれ見たことか、と己の足元を隠して誇張しまくる。
その情報の殴り合いの狭間に我々は首をすくみながら
知らぬを決め込む。
40数年ぶりに小学校の友人とmixiの中で再会したのは暮のこと。
ここ最近になって、店にも顔を出してくれるようになった。
お互い不思議な感覚にとらわれる。
小学校卒業を目前に転校し、修学旅行もいけず終いの僕を
そうはっきりと覚えていていれるはずもない。
子供時代の記憶は、都合よくイメージで補修しているもの。
目の前にすると、とたんに修正画像されていくのだ。
あっという間に、40数年の「時」はレタッチされるのだ。
ネットがなかったら、
こんな再開は、果されはしなかっただろう。
どちらの宗派でしょうね。
笠を見ると禅宗なんだけれど…

トトロの置きみやげ。
僕が白鷺の舞を追い掛け回している間に、
猫バスにのってやってきた。
そして、疾風のように…
店に戻ると、たんとお食べと置きみやげ。
どんぐりじゃあなかったょ。

とにかく参拝の人垣で埋まっていた。
抜け道を知らなければ、前にも進めない有様。
花祭りに以前は、当店からも手伝いを出させていただいていた。
それでもたりない参拝者のうねりである。

白像は、浅草寺幼稚園の園児が、
代々の年長さんが、引っ張ってくるお役目。
浅草の子供たちは、少なからず仏教行事に必ず縁がある。

位牌殿である五重塔院も花祭りを喜んで、見下ろしているようだ。

「白鷺の舞い」も浅草に四半世紀いながら、
まともに見たのは
初めてのこと。
若干興奮して追いかけた。


追いかけて先回り。
追いかけて先回り。
そのうち先回りしすぎて、どこかに行っちゃった。
あ!伝法院に入ったのか…