新東京タワーから浅草まで
こんな構想があるんだって。
1Kmの区間をロープウェイで結ぶんだそうだ。
浅草らしいよね。
けど…
何人乗れるの?
新東京タワーから浅草まで
こんな構想があるんだって。
1Kmの区間をロープウェイで結ぶんだそうだ。
浅草らしいよね。
けど…
何人乗れるの?
ミクシーの知り合いが、
軽井沢を旅するという話を聞いて、
ふっと記憶がよみがえった。
はじめて軽井沢に足を伸ばしたのは、
堀辰雄の小説を読んだのがきっかけ。
「風立ちぬ」の舞台となった、
旧軽井沢に思いをはせた。
社会に出て2年目。
ほぼ毎日、自転車漬けになっていた頃だった。
もちろん足は、自転車となる。
横浜から長野までは輪行(車内持込)し、走り出す。
雨男の自分には珍しく、天候には恵まれた。
どこをどう走ったか、記憶にないのだが、
千曲川沿いに走り、
八角の五重塔のある、上田(塩田)に立ち寄る余裕もなく、
追分へ急いだ。
どこをどう回ったのか30年の年月は、
その道程を全くトレースできない。
ただ、記憶にあるのは、
どこまでつづくか知れない、浅間の雄大さ。
そして、碓氷峠からのダウンヒルの醍醐味。
高度を下げるたびに変わる風の匂いと緑の色合い。
爽快だった。
ときどき目に映る、明治の鉄道マンたちの遺構の異様さ。
そんな断片的な記憶ではあるけれど、
貴重な思い出である。
今でも「軽井沢」と聞くと、
いつも、浅間の風が吹く。
もう、お盆までカウントダウンとなった。
3・2・1・ゼロ、と近づく今だから、
いやでも、民族大移動が始まれば、
子供心にも、「何か特別な日が近づくんだ」と
予感をさせる。
敗戦の記念日が、その日に重なることも
印象をより濃くする一因ともなっている。
先祖を考えることのできる環境がこうして、
用意されていることは、
「日本って、なんてありがたい国なんだろう」
と、いつも思うことである。
仏教伝来以前の日本人には、
死者に対し畏怖をもっていた。
畏怖心から、死者は、神となり、子々孫々をお守りくださるのだと
変化したようだ。
死者に対して意味もなく、
おどろおどろしいものと考えるのではなく
活き活きと現世に、はたらきつづけてくれる守り神。
明朗で且つ、強烈なイメージを持っていたようである。
仏教伝来後は、融合されて
仏教行事としての「文化」となってきた。
けれど、本来的には、日本人が根底に持っている、
神観や先祖観に基づくものなのだという。
とりわけ、日本の文化の中でお盆ほど
日本人のDNAが見える形として、
顕されているものは、ないのじゃないかと思う。
だから、文化を大切にしたい。
複雑に絡み合って、どうしようもないとき、
後戻りできないほど窮地に陥ってしまったときは、
「初心に帰れ」とは、よく言うことだ。
日本人には、その「初心」が文化として伝わる。
苦もなく、仏前に初心となって手を合わせる、
一時が持てるのだ。
亡き肉親と実体はなくとも数日間暮らし、
寝起きを共にするのである。
にわか信仰心でも良いと思う。
思い出す行為が、それ以上は、
「軌道を危めない」ことにつながるのではなかろうか。
そのときは、大手を振って「ご先祖さんありがとう」って
声を出したらよい。
お盆とは、先人が残してくれた
「初心還り」のチャンスなのだから。
浮き草に押されて、中が見えないほど
ラッシュ状況となる。
でも、しっかり新芽を水面に出してきているから
無事のようではある。
けれど花は咲かない。
しっかり栄養を与えて、来年に備えるようにしたほうが
よいのかもしれない。
めだかは、活き活きライフをエンジョイしている。
人のお盆のお手伝いをしていて
気がついたら我が家のお盆は、
すっかり頭から抜け落ちていた。
さぞや、ご先祖さまは、
この一見、先祖不孝者に見えるこの末裔を、
喜んでいることでしょう。
わが身も先祖も顧みず、他の為に滅私奉公しているのだから。
いやはや、じょうだんではなく
オヤジの墓にあいさつせねば・・・
まわりのみなさまは、どこにお墓をお持ちだろう。
最近はやりの、公園墓地の方が多いだろうか。
耳にするのは、寺内墓地が多いのだけれど、
気にしないですむので、宗教に関わらない公園墓地は
人気なのだろう。
僕のところは、ずーーと遠い。
学生時代、本家に預かってもらっていた遺骨を持って
母の田舎に思い切って墓所を設けた。
その昔は仙台藩のお殿様の墓所内ということもあって
喜んでいたこともあったが、
なにせ、遠い。
迎え提灯で先祖をお迎えに行けば、
新幹線でお迎えしないといけない、笑えない話。
やはり、先祖供養と生活。
これはまさしく文化だと、つくづく思う。
その点、家内の実家は、
生活に根ざしている。
家から100mも歩けば墓所に着く。
「じゃあご先祖をお迎えしようね」と言いながら迎え提灯に
墓所からお迎えできるのである。
迷わせることもなく、ちゃあんと手を引いて
おうちまで連れてきてあげれるのである。
生きていれば百歳、二百歳のおじいちゃん、おばあちゃんであろう
大先輩なのだから、お迎えに行くのが、子供の目でみても尋常であろう。
ともあれ、お盆本番もカウントダウンだ。
「おしえたげる」…横丁の与太郎の言葉尻は、
リエゾンすることで「oshiete ageru」の te+age=tageになってしまうようだ。
だから、「おしえて あげる」が「おしえたげる」と詰まってしまう。
自己解釈の江戸弁だ。
さておき、
夕方間近にかわいい職人さん候補がみえた。
ご自分で念珠を作りたいということで
房や親玉のパーツを探して、ここまで来られたのだ。
四六時中、念珠と向き合って暮らしていると
無造作に手だけが勝手に動いて、
作業をしてしまうことが多いのだが、
こうして製作の疑問点を、投げかけられると、
いい刺激になる。
使わない脳細胞が、クルクルと音を立てているのがわかる。
オーバーヒートしない程度に止めておくのがコツのように思うが
つい、余計なことまで口が滑ってしまう。
最近、自分で自分の念珠を、作る方が増えた。
しかもブレス程度のものではない。
れっきとした宗派念珠を、自分でこさえてしまおうという
信仰心あふるる、のだと思うが、
そんな方が目に付くようになった。
法具に関心を持ってくださる方は、いたってうれしい。
わがホームページにも、
そろそろ、コンテンツを増やさないとと思う。
もちろん「自作コーナー」である。
でも、あちこちで自作しだしたら…どうしよう。
…そうだ!
boo店長は、もうやめて
boo親方って呼んでもらおう。
暑いイイーー
アスファルト熱い。
何でアスファルトなんて舗装に使うんだろ。
地下水汚すし、大体にして油で地面を隠してしまうのだからね。
地面をあるく気もしなくなっちゃう。
自転車でよく走っている頃、
車の重みで、中央はわだちができ、反動で道の端っこは、舗装が盛り上がっているところが良くあった(今はあまりみないなあ)そこを誤って通過すると、融けてタイヤに張り付く感じになってしまう。
ただでさえ、ばてるほどの日射にグロッキーぎみなのに
もうあきまへん。
すぐさま、
小休止に必然的になった。
すわりこみ、手持ち無沙汰に融けてる舗装面を
指でおせば、グニュと痕が付くほど、とろけている。
暑いわけだよ。上と下から熱せられてりゃ。
止め、止め、やめようよ。
コンクリート舗装にしよう。
油よりは、涼しいはずさ。
懸案になっていた、製作ものをやっと、こさえることができた。
販売の現場をこなしながらなので、
俄然、遅々としていつも進まないのだが、
今日は、どういうわけか
良い意味で…
良いも悪いもない。つまりご来店が少なかったのだ。
スムーズに作業が終了できた。
近頃は、彫り物が多くなったので、一から十まで、
自分だけで完結できない仕事が多くなってきた。
だから、
他の職人に渡して、一次加工を終えるのを待つのだが、
これが、
いつも待ち遠しい。
実際は、不本意なのだ。
直接仕立てる楽しさは、何とも言えず心地よい。
が、しかし、企画立案までしか出来ない。
あとは職人まかせという仕事の場合、
最後まで気が抜けないし、はらはらのし通しなのである。
人の手を借りて念珠なり、仏像なり、製品として完成させるのは、
大掛かりにもなるし、まあそれなりに、達成感はあるけれど、
精神衛生上、たいへんよくない。
大きい仕事をこなそうとするなら、なおさらのこと、
慣れていかないといけないのだろう。
と思う。
が、手の届く、
気の回る範疇の仕事で充分と思うようになった。
最近、そんな思いがいつも、もたげてしまう。
むしろ、玉造りからぜーんぶ自分でやって、仕立てて
という思いが強くなっている。
彫刻刀を持って、木に向かうのも
遠い将来ではないような気もする。
しばらくぶりに登場!
はじめは、肩身が狭そうにしていた、水草が
あっという間に増えに増えて、水槽いっぱいに覆ってしまった。
肝心の蓮ちゃんは、というと
大葉一枚が元の葉の中では最後の一枚を残して
みな枯れてしまった。
もう風前の灯・・・
と思いきや、実は水の中には、新芽が次から次に
伸びているのです。
めだか君も、4匹、無事に成長し、
猫の脅威にもめげず
一匹は、やや、お腹が大きいようにも見えるのだ。けれど。
白と黒の間に産まれた子らは、
何色になるのかな。
ぶち、白、黒、グレー
ほんのわずかな期待に、
明日の意欲を掻き立てるBOO店長なのであった。
お盆は、やっぱり8月だ。
オーダーのきく店として、口コミをいただいているようで
念珠も仏像も、中には厨子や仏壇にいたるまで
オリジナルがこれでもかというほどに多い。
オーダーのお部屋も満杯状態で、
これは、ほんの一部に過ぎない。
右から左に物が動くだけなら
こんなに楽なことはない。が、
よく考えると、
自分の性格上、すぐに飽きちゃうだろう。
たぶん。
がぜん、一つ一つが個性豊かになる。
それぞれに思いいれも深くなる。
そのたびに離別が伴う。
商売なのだから、当たり前の話しなのだが、
前にも書いたような気もするが、
いつも嫁がせる親の思いでいる。
だから、飽きる暇がないのだと思う。
時節がら、「お盆に間に合わせて!」
と、懇願される。
こちらも調子よく「がんばりましょう」などと
安請け合いしてしまうから、さあたいへん。
コンビネーションで作る作業だから、僕一人の問題でもないのだ。
職人さんも労働法の元にある以上、
無理させ過ぎるわけにもいかない。
あとは、残るは、我が身ひとつなのだ。
∴てんてこまい。