浦島くん

忙しい忙しいといいながらも、やりたいことだけはやらないとね。

EC研究会の勉強会に、どうしても聞きたい内容があった。
参加したくて、店を飛び出した。

出掛けになると、いつも仕事がホイ!と入ってきて
身動き取れなくなるのが常なのだけれど、

今日もご多分にもれず仕事となり、一瞬ひやっとしたが、予想以上に早くに解決し、急ぎ神田に向かう。

先回からWeb2に関したゲスト講師ばかりで、目が離せない。

EC関連では、ワイナリー和泉屋の社長さん。

一見すると、どこのおじさん?と自分のことをさておいて、感じる風貌であったが、話の内容には、ヒントの種がごろごろしていて、ちょっと圧巻であった。

少しのぼせた頭をクールダウンさせながら、神田駅に戻る。
その途中・・・

実は、もうひとつ目的があった。
ここ神田にくるたびに、
実は、スポーツ自転車の草分け的存在「アルプス」を探していたのだ。

しかし、方向音痴に気ぐるみを着せたような僕には、
今まで何度足を運んでも、見つけることができなかった。

が、今度は、違う。準備万端なのだ。

ちゃんと番地を控え、
あらかじめマップファンで確認し、準備をした。

果して、探し当てた。

何のことはない。
前にも通っているじゃないの。

なぜ、見つからなかったの…

少し古いなあと思う戸をくぐる。

主人は、同じ年くらいか、
いや、ちょっと上だろうか。
自転車屋の親父という風貌。

伺った旨を告げると、

10年15年ブランクのある人が、
ここ最近、また走り出す方が多いという。

彼は、浦島太郎の「浦島さんと呼んでいる」と
笑って教えてくれた。

「は~。みな考えることは一緒か。」
心でため息をついた。

団塊の定年と関係しているんだろうか…

「けれど、自転車環境の変化に、みな驚いているよ」と
驚いているのは、僕だけじゃないことを慰めてくれた。

(実はもうちょっと長いの)
30年走っていないとは、ちょっと言いづらかった。

ジンクス、未だ破られず。

この仕事に就いて、20年を経過してしまった。
その間、何台(わが業界では何本と言うが)
仏壇を納めてきたただろう。

初めの頃のお客様は、よく赤飯を炊いて待っていてくれた。

仏壇が、ただの箱物ではないということ。
しかも、死者のみ霊箱の為だけのものでもなかった。
とてもめでたいことなのだ。

本尊と仏さん(ご先祖さん)をお住みになっていただくおうちを新築した訳で
上棟式にお餅やお菓子を、地方によってはお金を撒く、
それと同様のものなのであるわけで、しょうがなく買うというものだはないのである。

だから、こんな若造が(当時の話)、出向いても
「良くぞお持ちくださった」とばかりに
下へも置かない待遇であった。

当時は、たいへん恐縮したものだ。

そうした、仏壇であるから、こちらも細心の注意を払って
お持ちした。

特に天候には気をつけた。
気をつけても、相手はまさに水もの。

思うとおりにはいかない。

あるとき、土砂降りの中、出向く羽目となった。
「施主さんは、雨の日に納品なんて、いやだろうなあ」
と思いつつ車を走らせた。

都内ではあったが、緑が多い。
アジサイや花々に木をとられ雨のことなどすっかり忘れていた。
車から降りると、
むっと、むせ返るような暑さ。
「あれ」雨どころか、雲間から日が差している。

これは好機とばかりに、急ぎ運び込んだ。
運び込みが終ったとたん、まさしく「とたん」に
ザーと、すこぶる強い雨足となった。

その日まで気づかなかったが、「納めのときに雨の中」
ということは、一度たりなかったことに気づかされた。
1年前の話である。

以来、どんな不利な状況でも、
大舟にいつも乗っている。

今日も例外ではなかった。

やっと一安心・・・まだまだ?

数ヶ月要した尊像をようやく無事納めることができた。

「絶対の信頼を置いてるからね」
殺し文句であると同時に、
緊張の糸が千切れんばかりに、限界までピンと張る。

夢にまで現れて声援?してくれるのだから
これは、大変なものである。

ある会社の守りになると聴けば、なおさらである。

しかしながら、気持ちのよい緊張でもあった。

まだ、宿題は残っている。
でも一山越えた。

うとましい

うとましい
国語辞典で調べてみた。

●いやな感じがして避けたい。いとわしい。

と、どの辞典にも大同小異だった。

人間関係には、頭ではわかっていながら、
感情は全く反対に働いてしまう関係って確かにあるにはある。

赤の他人とは、好かんと思えば会わなければよいのだが
怨憎会苦(おんぞうえく…会いたくないのに会わなければいけない苦しみ)
という苦しみも、2500年も昔からあるのだから、
今に始まったことではないわけだ。

ただ、親子の場合は、そうはいかない。

結婚して子供が産まれれば、誰でも自然と親になり
何人いても、子供は皆同じように、かわいいのだろうと独身時代は信じていた。
母性本能、父性本能というものは、自然と噴出するものだろうと・・・

しかし、実際に2人、3人、4人と増えてくると、
同じ愛情を子供それぞれに持つとは、ちょっと言い難い心があることに気が付いた。

親は無条件に子を愛せると言うのは、自分に限ってのことかもしれないが、
あるレベルまでは、懸命な努力が必要なのだとわかった。

親学と言う子供から教えてもらう実践学が必修なのである。

これは、生涯通じて学ばなければいけなようだが、
特に十月十日の間は、集中講義が必要なのだと思う。

さらに言うなら、男親は特に女親以上のガリ勉を要するみたいだ。

母親と子供は、お腹の中にいたときからのお付き合い。

けれど、男はオギャーと産まれてから、「こんにちわ」
とお付き合いが始まるわけで、この時間的、距離的、肉体的感性の違いは、
やはり、遅れをとっているように思う。

子育てを放棄する親の感情って何だろう…

一番大事な、大事な時期に、
子を通して己を育てられなかったつけなのだろうか。

愛情のギヤチェンジを間違えたのか、
チェンジせねまま、今に至ってしまった故であろうか。
ローのままでは、さぞかし苦しかろうて。

仕事のエネルギー

午前中朝、ご来店いただいたご夫婦に
ブレス念珠のオーダーをいただいた。

最近は、芸能人やスポーツ選手の影響もあってか、
以前なら、一部のヘビーユーザーぐらいしか使用しなかった
12mmや14mmの大玉(通常は6mmとか8mm玉が多い)の念珠を腕にまく方が増えた。

今回のオーダーもしかりで、
ご夫婦でペアーの念珠として注文をいただいた。

ご主人は、武道家と思うほどの屈強な体つきだったから
ごく自然な成り行きだったが、奥様も華奢な体に
同じサイズの玉を所望さらた。

「え!」と耳を疑うところだったが
「はい。これがいいわあ」と夫に懇願する。
見ていても微笑ましい。

20mmの玉でも作ったことはあるので
とことんまでは驚かない。、
やんわりと驚き、そして受け入れた。

小一時間かかって製作し終わった頃。
受け取りに現れたご夫妻の喜びようは
近頃には珍しいくらいに、はしゃぎよろこんで下さった。
女学生のように全身で表現してくださる奥様はもちろん
強面のご主人のにっこりには、感銘した。

あれこれと試行錯誤したわけでもないが、
いつもどおりに創る…

ただ、どういう家族構成だろう、どんな癖をもたれているんだろう、
生活のリズムはどんなだろう、等々思い描きながら製作する。

 玉の選び、ゴムのテンションや糸の本数などなど変化させる
たかが腕輪、されど腕輪なのである。

念をこめて作るって、自分なりには、そう考えている。

ゲストの喜んでくださる姿と同時に、
ドクドクとエネルギーが注入されるのを、実として感じた。

やっぱり、仕事ってお金じゃないなあ。

これでいいのかなあ

和歌山のお客様と電話で話をしていたら
なんだか話がずれる。
あれ?
何でだろう?

東京は、明日でお盆は終る。
和歌山のかたは、お盆に間に合えばよいという。

ん?
そうか…

日本の大部分は8月盆だったんだよね。

日本人として奥底にある感情としては
旧暦にそっての行事のほうが合点がいくことが多い。

お盆はその最たるものだろう。

明治新政府によって、太陽暦に改めた時点で
多くの日本の文化が改変された。

主要都市、特に東京は、政府のお膝元ゆえに
7月盆はいやおうなかったようだ。

仏壇屋にはありがたいことであるけれど
心情は、8月盆に軍配が上がる。

声を出したら言いのだろうが、勇気はない。
「もうそろそろ、文明開化の呪縛から逃れてみては?」って。

泣けちゃう

讃祷歌

仏教歌のひとつと言える。
一度でも聴かれたことのある方なら、仏教歌というといぶかしがるだろうほどに
その枠を越えて、日本人の美しかった心を歌い上げている。
全く新しい分野の歌と考える。

作者の心から零れ落ちる旋律を、自ら書きとめて
楽曲とした。

新堀智朝尼の生前中250曲近くを世に出され
風のように去って逝かれてしまった。
人の心の荒廃を嘆かれ、生涯を心の復興に捧げた。

駆け足で逝かれ、遺言のようにこの歌を遺された。
だから僕にとって、特別な存在なのだ。

最近知り合ったS師に楽譜をさしあげたところ
感動のままに
書き留め創作してくださった・・・散華。

一番好きな観音さまの歌も散華になっていた。

♪いとけなき子らに
 よみじを照らしつつ
 み手には乳びたれさせ給う 
 南無観世音・・・・・
 
 オンアロリキャ ソワカ

しばらく聴くことができなかった旋律が
目を通して、心に響きわたってきた。

モチベーション

昼食は、何年もの間、近くの立ち蕎麦屋で
ぱっと済ませてしまうのが日課だった。

昼食といっても、お店の混み具合は水物。
お客様の入り具合を見ながら合間に昼食となる為に
お昼にはまず食べられない。

若い順に昼食に入るから、自分の番は、2時3時は当たり前。
4時過ぎもありなんなのだ。

もう夕食?とよく聞かれるが
「いや昼食」と意地でも言うことにしている。

熱いそばはいらない。

ざるそばは、あんなチョロチョロの海苔だけのために、
100円も高いのは解せないから、
ここは至ってシンプルにもりそばが定石。

ちょんと汁を付けてズット吸い込む。
あまり噛まない。
一枚食べ終わるのに1分で済む。
そのかわり蕎麦湯を飲む時間が4分かかる。
しめて5分。

通ったときは2年間ほぼ毎日通った。

立ち食いの時は、そばをゆでている厨房越しのカウンターが
僕の定席。
そこで、来る日も来る日も、同じ作業を見ている。
そばうち作業を見ていると、面白いことがわかってきた。

見ていて、楽しそうにそばを打っている店員の
そばは、旨い。
リズムがある。
踊っているようにさえ見える。

何が楽しいのか、つい秘訣のひとつも聞き出したくて
声をかけてしまう。
そのうち仲良くなっていくから、僕の顔を見ると
念を入れて作ってくれるので、よけいにおいしく感じる。

反して、そうでない店員に当たると、半日気分が悪い。
形だけで打っている。

果たして、水っぽい。
腰がない。
要するにまずい。

これは本当に際立つ違いだと思った。

自分の仕事では、大丈夫だろうか?

いつも楽しむ仕事にしているだろうか?

水っぽい、腰のないそばを平気で出せる、高慢な姿勢に
なっていないだろうか。