店頭で日向ぼっこ。
栄養がよいのか、一週間でこんなに大きくなりました。
食べ過ぎの声も…
ちょっと見えないかなあ。
写真の真ん中に白く横切る線が「めだか」その人(魚)です。
蓮ちゃんも、お日様の光を浴びて、少し元気を取り戻しました。
まだまだ油断はなりません。
お店の前で日向ぼっこをしています。
応援してあげてくださいね^^
くれぐれも釣り上げないでね。
店頭で日向ぼっこ。
栄養がよいのか、一週間でこんなに大きくなりました。
食べ過ぎの声も…
ちょっと見えないかなあ。
写真の真ん中に白く横切る線が「めだか」その人(魚)です。
蓮ちゃんも、お日様の光を浴びて、少し元気を取り戻しました。
まだまだ油断はなりません。
お店の前で日向ぼっこをしています。
応援してあげてくださいね^^
くれぐれも釣り上げないでね。
久しぶりに日本橋に出る。
浅草からは、目と鼻より近くに位置しながら
文化の違いをありあり感じる。
世界の銀座だけのことはある。
そんな一角に山梨県会館があり、
山梨の職人さんたちが集まると言うので、
梅雨の合間の真夏日、涼しいお店をあとにして、のこのこと出かけていった。
以前は、鉄道会館(大丸)の中の都道府県会館の一つが、
独立したのだろうと思った。
この日本橋の一等地に山梨県を紹介するためだけの会館を運営する。
すごいね。公共団体は。
パンフレットも数多く置いてあるので、立ち読み好きの中年は
なかなか帰るに帰れない状態になってしまった。
山梨の産業はすべて網羅されているようで、
ワインテイストもできるコーナーもあったり
なかなか、居心地のよい空間である。
富士登山の手引き書まであった。
また「登りたい虫」が出てくる時の為に、
資料をもらっておくことにした。
あんこ好きのbooが目を留めた竹炭どらやき
山梨とは、まったく関係なし!
炭ーー!
今日はどうしたものか、ぜんぜーんお客様が少ない。
雨のせいにはしたくないが、少ない。
おかげで、念珠堂の倉庫の整理に汗を流すことができた。
おかげで、懐かしいものを発見した。
「歌マンダラ 讃祷歌 31回公演」
10年前の公演のパンフレット。
この公演の直前まで新宿のお寺まで練習に3年通っていた。
師の理想に共感したこともあったが
何より旋律の美しさに、魅了されつづけたためである。
さらにさかのぼること8年前(通算18年)にコラムで紹介されていた
讃祷歌と呼ぶ聞いたこともない楽曲に興味を示した。
讃美歌?祷り?さんとうか?山頭火?
?が4つも5つもついてしまう
試聴テープを依頼するも、期待はしていなかった。
まもなく送られてきた。
しかし、一度、耳にして魅了された。
感動した勢いで、感想をしたため、ポストに投函していた。
ある日、お店に電話が入った。
新堀智朝尼ご本人からであった。
はがき一枚の感想文に、作者がわざわざ連絡をくださった。
「こんなにストレートな感想を書いてくださってありがとう」
開口一番、か細くも芯のある声だった。
興味がわいた。
新宿参宮橋の小さな庵に、訪ねるのはまもなくのことだった。
お付き合いすればするほど
どれほどの教訓を与えてくださったかろうか。
早々に彼岸に渡られてしまったことを心から惜しむ。
パンフレットには、96年5月と記されている。
それまでの8年間、実際、歌ったのは3年間ほどだったろうか。
歌の世界には程遠いが、プロの声楽家と曲がりなりにも(大曲だが)
肩を並べて歌う機会を与えてくださり、歌の楽しさを伝授していただいた。
新堀智朝尼。
天才的仏教歌作曲家。
日常生活中、仏前でお勤め中、場所にかまわず、
自然と口からこぼれ出る曲を書き留めていかれた。
亡くなるまでの僅かな期間に240曲を越える曲を書き留めて逝かれた。
音譜一つ書いたこともない、一尼僧が著し続けた業績は大きい。
文字通り「天賦の才」と思っている。
宗派宗教を超えて、歌の世界で融和させようと試みてこられた。
「十年、世に出すのが遅かったわ…」
僕にポロリと、口に出されたことのある言葉だった。
今思えば、ご自分の死期を感じておられたのだろうか。
世の乱れを心から悲しみ、
女学生のような笑顔に似合わぬ、痛烈な(大人社会への)警告、
宗教界への警笛を鳴らし続けられた姿。
70才を越えてなお世界を飛び回られた。
そんな姿を、死の直前まで、間近に接することができたことは、
見えざる宝だった。
次の一歩を出す迷いを感じるとき、師の言葉を規範としている自分に
今も気付く。
朝から嬉しいお客様。
PDSD(心的障害)という不可解な病に職も辞し
長く苦しみ(無理解の苦しみという副産物付きの病)続け
病に屈することなく
持ち前の頑張りで克服された。
その途上で念珠と出会い、当店と出会った。
「お蔭様で」
と、いらっしゃるたびに、感謝の辞をいただくが
それは、ご本人の粘り強さに他ならない。
(ちょっとお手伝いできて嬉しいとは思う)
「家で作ったんだよ」
と、浅黒く、見るからに日の下で焼けたのであろう、
健康的な顔に笑みがこぼれていた。
「ホー!」お芋だ。
これまた元気そうな土付きじゃがいも。
出合った頃の姿とクロスオーバーして胸が熱くなった。
思うと自分も
小学校5年の頃、無理解の中にいた。
判で押したように、4時間目の授業が始まると
決まって猛烈な苦しさに襲われた。
「すいません。気持ちが悪いんで、保健室行っていいですか」
恐る恐る手を上げると
「またか」の表情だけで全てが伝わってきた。
クラス全員の奇異と同情の眼に送られて、
保健室で天井見ながら泣いていた。
「何でこうなんだろう…」
そのくせ、昼休みになるとケロって直っている。
そのまま病人らしくしていれば、
幾ばくかの友人には、
同情し続けててもらえるであろう悪知恵は、
当時は、まったくなかった。
人一倍給食を食い、昼休みには走り回っていた。
「どこが病人なんだ」しごく当然の思い、
誰の眼にも映っただろう。
しかし、
来る日も、「先生、すいません」が続くのである。
「理解して」と願うことに無理がある。
そのうち、クラス中から揶揄されるようになった。
あとは、どうなってしまったのか、よく覚えていない。
PDSDを知ったのは、
40年経って、
図太いオヤジになった、今頃なのだ。
特効薬もあるという。
けれど、まだ無理解の土壌があるかと思うと
やりきれない思いも、あるにはある。
::END
トップページがお盆特集に新しくなりました。
6月に入ると、いつもならお盆提灯が登場するのです。
けれど、今年はサッカーに頑張ってもらいたい!と
期待をよせてサッカーブレスが巾をきせてしまっていた。
眠い眼をこすりながら(実際は2時からおきていたのだが)
対ブラジル戦を必死に応援していたが
虚しく敗退した。しばらく、立ち上がる気力も失せてしまっていた。
そうか・・・
応援メッセージの入ったページは書き換えないと、いやみになるなあ
重い心も1日たって、少し元気を取り戻し
今だとばかりに、手をつけた。
http://www.nenjudo.co.jp/
いよいよ新人(魚)が加わる。
店頭に水蓮があるせいか、蚊に注意しないといけない。
そこで、ディフェンス陣として新たにメンバーが加わる。
名を、「レインボーめだか」というらしい。
アルバイトさんに買ってきてももらったのだが、
以前の悪夢があるので、元気だったことでホッとした。
めだかの嫁入り道具一式です。(オスもいるのでお婿道具も)
新居です。
ちゃんと生きてくれよ。
ねこガードもしないとね。
水温を合わせるために蓮ちゃんと対面中です
おかげさまで、
「オーダーの念珠堂」として覚えてくださる方が
確実に増えている。
「浅草念珠堂(実店舗は念珠堂)なら、
細かいオーダーに応えてくれるみたいだよ」
「そういう細かいことは(変わったことは)あそこ行けばいいよ」
と、同業者からも推薦を得て、ネットはもちろん、
実店舗の店にも、遠くは、広島や九州、青森のほうから、
尋ねてきてくださる。
浅草で下車されれば目の前なのに
どういうわけか、上野から歩いてこられる方も少なくない。
1キロも2キロもあるというのに、
他のお店をリサーチされながら、歩いてこられるんだろうが
申し訳ない思いにさせられる。
上野からここ雷門までには、60軒も同業者がひしめく
仏壇のメッカなのだ。歩いてきても飽きることはない。
(自分も何度お客の顔をして、往復したかわからない。)
念珠堂をオーダーの店に、特化しようとは、
もともと思ってはいなかった。
なのに何でオーダーの店に…
細かい仕事は、確かに好きだけれど…
出来たものを、販売させていただいたほうが、数倍楽なのに。
思い当たることは、ひとつある。
「自分が納得出来なければ、先に進めない」という偏屈さだ。
だから、
「自分が楽しめないものは、人にも勧めたくない」
となってしまう。
「納得しない以上、納得したものを作るしかない」
となる。当たり前のことなのだ。
当たり前と考ええているところが、すでに偏屈なのかもしれない。
我ながら、この頑固、辟易するときもある。
けれど、決して嫌いではない。
使い方によって、コントロール次第で、
お客様の側に(少しだけ)、
近くに立つことが出来ると、信じているからだ。
原発ならぬ、「頑固」の臨界点を超えぬよう
日々、努めている。
早く自動制御に切り替えないととも思う。
ちょっとおかしい。枯れてない?