浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
そうだ!母の日。
もうずいぶんあげてなかったな。。。
上さんのお母さんも、TONの母親も震災の後、続けて亡くなってしまったから。。。
仏壇にカーネーションの香りをあげることにしよう。とは思うけど。
目の前で直接受け取ってもらえる方がもっといいよな。。。
受けてくれる人がいると言うことは、幸せなことなんだ。
受け取ってくれて「わー!ありがとう」と言ってくれることは、自分自身が喜ばしいことなんだ。幸せとは人を介して人からもらえるものなんだ。
母にわたせないということがこんなにつまらないこととは。。。。。
浅草のそら
浅草のそら
100面カット五色水晶ブレス
浅草のそら 縁は異なもの。。。
昨日は40年来のお客様と言うのか趣味の友人と言うのか懐かしい友人が来店してくれた。
四十数年前になる。チネリのオールカンパモデルが部屋に無造作に置いてあるのを見つけ、同好のお方とわかり話題で盛り上がりすっかり打ち解けて、それが契機で当時の仕事のお客さんとなった。
お母さまが亡くなったと聞いては慌てて横浜に飛んで行ったり、結婚すると聞いては正月の慌ただしい中、新築して間もない殺風景の家を訪ねてみたり、彼も彼で暮れのごった返す浅草に内に来るのみを目的に軽自動車をカっ飛ばしてきてくれたり、正月の三が日に人波にもまれながら訪ねてくれたり、公私に関わらずいったり来たりしてきた。
覚えている方は少ないかもしれないが、JRが国鉄と呼ばれていた時代、鶴見ー新子安間で死者161名という貨物列車と旅客車の衝突事故が起きた。鶴見事故というがこの大事故で彼は実兄を亡くしていた。そんなことを事あるごとに話題となり、僕も総持寺に足を運ぶ動機にさせてくれたこともある。
二十歳前に横浜のとある自転車屋はTONのたまり場であった。
サイクリストたちの溜まり場は居心地がよく、仕事がない時は用もないのにしゃべり場に集まっていた。只、唯一楽しい仲間たちの中、波動の合わない奴がいた。
何か聞こうとしてもそんなことも知らないのかとばかりに上から目線で突き放す。
店員のくせに生意気だなぁと、当時は鼻っ柱の強い技術屋だったTONの反発心に油を注いでいたのかもしれない。大ゲンカはしないで済んではいたが近寄りたくもない相手だったのは確かなこと。
その彼が若かりし頃の昨日の彼だった事をつい最近、昔話をしていた最中に判明した。こんなことってあるの。。。
彼には伝えていない。
そのことと、この事がまったくイコールとならなかったのだ。
縁は異なものというけれど・・・ほんとなんじゃこらだ。