
浅草のそら

昨夜は孫っ子の二歳の誕生日で囲んで遊んできました。
二年前はホギャホギャと生まれ何もわからなかった人がたった二年で自我が芽生え、好き嫌いを言うようになるのだから、驚異そのものだと思った。
母親のお腹の中で受精卵が十月十日で百万分の3グラムから3000グラム以上に育ち生まれる準備をしていく。命の驚異だ。
終始笑って過ごせたけど、子供、特に幼児にとっては終始争いの絶えない家庭と笑いの絶えない家庭とどちらがその子の人格形成にどう影響するだろう。ふと頭をよぎった。
さ、今日もがんばろうーかな。
左下の雲がはまき状に雲抜けしているんだよね。肉眼では結構はっきり見えていたのに写真ではそれほどはっきりと見えない。いつもは写真の方が肉眼よりディテールがしっかりすること多いんだけれど、こういう事もあるんだね。
昨日もおもしろい雲の動きでしたよ。
早朝はこんな感じで、小雨もパラパラ降ってきた。のに。。。
早朝、寿に行ったついでに雲の様子をパチリ。
ダイナミックな雲が浮かんでいた。今日は79回目の終戦の日。
僕の子供時代は戦争経験者ばかりの中で育ち年中その空気感の中に包まれていた。
横浜の本町辺りには空襲で焼け崩れ焦げたビルがまだ目についたし、防空壕がそこら中の崖面に空いていて、ぼくら子供達のいい遊び場、隠れ家になっていた。それが普通だった。
戦争の話しも兵隊さんたち、銃後の婦人たち子供だった人たち、様々な角度からの情報が氾濫していた。
戦中の話しはしたくない人が多かったような表現があるが、聞くのがうまかったのかTONには何のこだわりもなく話してくれたものだ。ただそれでもまだまだ聞き足りなかったと今は後悔している。そうして聞いてきた耳からの情報によって形作ってきた戦争観と学校で教えられる近代史観にいくつもずれを感じ育つにつれて容易ならないものになっていったのも事実だ。
そんななかの一つには、学生として教科書から学んできた終戦の姿、無条件降伏と教わってきたけど、軍は無条件だけど国としては無条件降伏ではない。全てが無条件に丸めこまれたいきさつも資料をつかんだ。近代史っていかにいい加減なのか。。。と思わされる。
靖国神社に毎月昇殿参拝させてもらってきたけど、この日は一度も伺った事がない。
きっと騒がしいのだろうな。と想像するとどうしても足が向かないのだ。むしろそっとしていたい。
浅草は変わらず騒がしい。