浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
昨日、身内の質問からTONちゃん日記がいつから始まったのかを改めて反芻してみたところ今のブログ形式にする前の自分なりにcgiを駆使して日記を書いていた時代が2年ほどあるからトータルで20年続けていることに気づかされた。
20年かぁ。。。オギャーと生まれた赤ん坊が成人するまで書いていたということ。
よくもまあ続いたこと。
夏休みの絵日記なんて1週間続いたら恩の字で、明日から学校というその日になって一晩でみごと帳尻を合わせて書きあげていたわが身を顧みると、鬼籍いやいや奇跡に等しい。
まぁ最近は毒気が抜けてきてしまったわけではないのだが、お空の写真が日々の日記を飾っていることが多いが、これも自然に帰りたい。。。と欲するTONの潜在意識がなせる技と捉えてもらえたら嬉しい。
20年続くと心身、内外においての景色がずいぶん異なってきているのがわかる。
雷門前の空もずいぶん狭くなった。
高い建物と訳のわからない巨大なオブジェに挟まれるようになって窮屈そうに見えてしかたない。街中の建物も、店も人の様子も変化している。
昔、演劇の幕間に読む冊子の編集を手伝ったことがある。編集の先輩から物事を正面からのみ観るのではなく、視点を変えることが大事なんだと教わった。もっと穿って見ろとも。いやらしいほど穿ってみる新聞記者の友人には負けるが、それなりに視点を高くしたり低くしたり、横から上から斜めから裏から見る癖だけは養われたような気がする。
それが良かったか悪かったかはわからないのだがTONちゃん日記の継続には多少なりとも役に立ってるのかなと思う。
この先どうなるかは分からないけど、日記が書けると言うことは、好奇心が衰えていないバロメーターになっている。と自分勝手に解釈している。
しかし、この町は面白い。路傍の石にも訳がある。おまえ何でそこに立っている?と聞くとはい。私はこれこれこういうわけでここに立っています。と声なき声で応えてくれる。
1400年前に観音様が海中から拾われて連綿と今に至るまで大事に伝えられるそんな町。古墳時代の遺跡も見逃されているだけで、大正昭和の外来文化に沸いた浅草という一面がなかったとしてもおもしろい町なのだ。まぁ興味は尽きないだろう。。。