浅草のそら

仕事がらと言うこともそうだし、町の冠婚葬祭の婚を除いた冠葬祭はお手伝いが回ってきて特に葬祭は切っても切れない間柄である。
昔は極力逃げて回っていたし、涙にくれる場所は仮病を使ってでもスル―が原則だった。が、年齢もそれなりになってくると責任が付いて回り通夜も告別式も参加の憂き目にあう。今は決して避けるほどのことはないのだがそれでも・・・・井上揚水の歌詞のように避けたいのが本音だ。
だから今は極力チャンネルを微妙にずらし感情をこっちに置いて客観的に観察することにに徹している。
今日は老齢のご夫婦で先にご婦人が先に旅たたれた。
式の最中はずーっとご主人を追っていた。ポーカーフェースで貫きとおされていらっしゃって最後まで公衆の面前では終了するのかなと思って見ていた。
式の最後出棺の場になり喪主の言葉を聞いていた。
話の前後は忘れたが「彼女は頑張ってきました」相手を慰労する言葉が出た途端相形が崩れた。

感情の出どころは相手をかばうときその隙をパーンと突いて出る。もんだなぁ。。。

そう。たぶん故人が頑張る姿が走馬灯のように巡り巡ったのだろう。
死という購いきれない出来事に涙を誘うのではなく、他を思いやった出来事に感情のコックが開いたのだろう。。。

長いおつきあい

初期の頃の白檀プレートだった。

もうずいぶん年季が入っている。玉も板も。よほど身につけていないとここまで黒くはならないよ。
玉を見ればいかに大切にして凝られたかがよくわかる。正絹紐は消耗品だけどそれでも奇麗な使い方だと理解できる。
お守りとして仏様を彫ってご自分の守護仏を自覚されてということで世に出したのだけれど、物に心をこめてくださることが、つまりはご自分の身に帰ってきているのだと僕は信じる。

大事に使ってくれてありがとう。

何十年も経っている腕輪とは誰が信じるだろう。

念珠に造詣の深い方なら、天竺菩提樹の経年変化さを見れば理解できると思う。が、木玉は手入れ次第で恐ろく姿を変貌させるのだ。
そう考えるといかに愛情をかけて持ち続けてくださっているかが理解できるというもの。

そんな彼、N氏とは子供のころからのお付き合いということになる。
TONが気付いたのは中学校の純朴さを感じるそんなときからだが、念珠をこよなく愛してくれる少年だったのは覚えている。高校、大学、社会人となり一貫して心の持ちようは変わらない。大したものだと思う。

当時でも入手困難だったと思うが、翡翠(ジェード)の翠の強さは並ではない。やっぱり翡翠は石の王様だね。。。

ブログをひっくり返せば何処かに記載しているだろうな。と思って時間のある時に調べてみたくなったしだい。

つい最近たまたま保存していた翡翠を屋久杉に組み込んで仮製作していた腕輪を彼に見てもらった。どうやら心に留めてくれていたようだった。

自分が気に入らない玉はそもそも入手しないが、お気に入りはそれをわかってもらえる方でないと「売約済み~~」と口に出してしまう癖がTONにはあるものだからどうして手元に残っていたかはまぁまぁ想像できる。まあその口だろう。

でもいい色でしょ。
今日N氏の問いかけから、この腕輪の話になり彼なら可愛がってくれると瞬時にお嫁入りを勧めることとなった。

N氏の足が画角に写りこんでた。