またあいましょう。。。

昨年からお世話になったお客様の訃報が続く。

30年を越えて陰に陽にお付き合いして頂いたお客様との離別。

お客さまいう単語では言い表せない。友人、恩人、師匠、、、なんだろう、親戚のおじさん、おばさんとでも言うのかな、少なくともお金の行き来だけのお付き合いではないのだから。

イチロー、ジロー、サブローさんとTONの心の中であだ名していたお客様も、去年の暮れ16日にイチローさんがお亡くなりになって現世ではお会いすることはできなくなった。世話好きでイチローさんのファンが店に訪ねてきてくれるほどだった。お寺や神社の話題で盛り上がることはできなくなりましたね。

今日は一緒に善光寺や比叡山に旅させていただいたり、共に観劇に行ってみたり、うまいコーヒーには目のないTさんが正月の松の内に亡くなられたことを告げに奥様とお嬢さんで来てくださった。
彼にもどれほど励まされてきただろう。実のお姉さんもすでに鬼籍に入っているが姉弟そして奥様で笑顔を数え切れぬほどいただいてきた。
幾ばくかの経済的結果は仕事である以上必要だが、それだけでは仕事は続かない。そんなつながりなら最後は怠惰になって雲散霧消するのがオチだと思っている。
うさぎやのどら焼きがTさんのトレードマークだった。

今日の手土産は奥様によるがTさん、一緒に来てくれましたね。

また会いましょう。

浅草のそら

隅田公園は桜ばかりが花じゃないよ。梅が可愛く咲いてました。

河津桜も満開、、、とは言えないまでもよく咲いていました。

浅草のそら

昨日のを忘れてました。もっと暗いや。

浅草のそら  紀元節

我東を征ちしより茲に六年なり。皇天の威を賴りて、凶徒就戮さえき。邊の土未だ清まらず、餘の妖尚梗しといへども、中洲の地に復風塵無し。誠に皇都を恢廓めて、大壯を規り摹るべし。今運此の屯蒙に屬)ひ民の心朴素なり。巢に棲み穴に住む、習俗惟常となれり。夫大人の制を立つるは、義必時に隨ふ。茍も民に利きこと有らば、何ぞ聖の造に違はむ。且山林を披き拂ひ、宮室を經營りて恭みて寶位に臨みて元元を鎮むべし。上は天靈の國を授け給し德に答へ、下は皇孫の正しきを養ひ給し心を弘めむ。然して後に六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と為さむこと、亦可からずや。夫の畝傍山の東南の橿原の地を觀れば、蓋し國の墺區か。治らすべし。

これが我が国の建国の詔です。
戦後生まれのTONには辞書を片手に意味を調べないとちんぷんかんぷんだが、戦前の先輩たちはスラスラと暗唱できるのだろう。国の始まりを教えられていない今の教育現場ってなんだろうと思う。国の歴史を忘却した民族は滅びると著名な歴史学者が言う。その兆候が見られる昨今の日本はいずれニッポンになるのだろうか。