思わぬ贈り物

八月の終わりごろに来店されてブータン布製手作り経本の話をして行かれたラグーナ出版の方から小包便が届いた。

ちょうど1ヶ月。
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/a/11245415.html

新しい商材との出会いということもあったけれど、精神科医に通う患者さんによる患者さんのための出版社と聞いていただけに、興味津々だった。

取引条件のお手紙だけかと思っていたのだが(見本本を1冊くらいはとは期待していたけど)、こんなに送っていただいた。

ありがたく頂戴し、昼休みに目を通してみた。

「綜合失調症」02年までは精神分裂病と呼ばれていた精神疾患である。
精神病の分野は遠い世界に感じていた。

いただいた本を読んでいると、まださわりしか読んでいないが、全国に31万人超の患者数があって行き場のない7万人の患者数が入院していることを知った。
人口の0.7%に及ぶ。

足を踏み入れられない世界と思ってのは無知からくるものだった。
実は心の表裏のようなもので、綱渡り的に正常?通常に見えるだけなのかもしれないとさえ思えてきてしまうのだ。

せっかくの御縁だもの。

もっとよく研究してみようと思わせてくれた。

本翡翠揃い

本翡翠の12mm玉の三色での製作です。

男性にはもう一玉親玉を足さないといけないでしょうね。
緑は、実に濃い色あいです。

さぁ、何かな・・・・

さあ、これは何でしょう?

はがきのようですが・・・・・?

ちょっと厚みがありますね・・・・?

なんだろう・・・・・?

ではではそうっと・・・・開けてみましょう。

びよ~~~ん。

なんと!飛び出す絵葉書でした。

雷門と富士山と新宿副都心とアサヒビールと東京タワーと新東京タワー。
が、飛び出して見えます。

観光のお客様の多い浅草ですから・・・・
こういうのもいいでしょ(^^;

海外の人はこういう風景があると思うかな・・・・

としたら・・・・雷門がどでかいゾ。

象牙の念珠

12mmの象牙をただ通しただけなのですが、素材の温かみで救われます。
象牙はずいぶん取り扱いましたが、本当にいい素材だと思います。

生老病死

身内に不幸があって熊本に出かけることとなった。

ちょうど台風15号の通過と重なって、空の便は欠航、新幹線も折り返し運転だという。
友引があって一日ずれるだろうから、それでも2日しか猶予がない。
ちょうど一ヶ月前にも入院していた身内を見舞いに出かけたばかり。
東京ー熊本約1200Km。
店を長期にわたりあけるわけに行かないし、時速100kmで12時間。+α。
それがボクのいつもの移動パターンとなる。

さすがに疲れた。もう車はこれで最後にしよう。
今度行く時は飛行機。

そう決めていた。

が、人生は考えているようにはうまくかない。

アテニしていたのに飛ばないんだもの。
ブルートレインもないし・・・・

遠くに住んでいると、こういう場合にどうしようもなく困る。
上さんを何とか親族との別離に行かせてやりたいし、

そこで再び車での長距離ドライブと言うことになった。
途中通行止めも覚悟で出発。

厚木を過ぎるとすぐに現象となって顕れた。
事故による通行止め。

予告なしで止まった。3時間。

急に解かれた。またその先で事故。今度は1時間半。

さらに進むと災害による通行止め。復旧見込み無し。

さすがに高速を降りた。

降りたら降りたで迂回ルートがまた身動きできない。

0時に高速に入ったのに沼津で再び高速に入った時には、お昼になった。

まだ90kmそこそこ。まだこの12倍の距離を移動しないといけない。

通夜当日というのに・・・・

亡くなった母親が来なくていいよと言っているのかと思うほど、次から次に難題を吹っかけられる感じだった。

それでもその先は、睡魔との葛藤に勝利して、何事もなく無事0時過ぎに目的地に到着できた。

お釈迦様は生きるというテーマを掘り下げられた。28歳の時に。
そこに苦を見いだし、人の過分なる欲を原因としさらに抜苦の道筋を悟るに至ったわけだ。

人の心の問題として事象に対する捉え方。

生、老、病、死、の四苦
怨憎会苦や怨憎会苦などの四苦を含めた八苦。

考えると、まさしくこれらのことに振り回されているのが自分だなといまさらながら実感してくる。
でもね、生老病死の四苦って、若いときにはあまり実感がわかなかった。

基本的過ぎて。
わかったようで骨身に沁みて・・・というか、自然に心が沸いてという間隔には程遠かったわけです。

むしろ怨憎会苦や愛別離苦や五陰盛苦と言った、心のそこから沸きいずるものの、打ち消しがたいものへの苦悶が背中合わせだった気がする。

年齢も関係してくるもなのかな。
60歳を前にして、身内の病や死をもってしてようやく教えられるとは。

お釈迦様の感受性の鋭さを今更ながら驚愕するTONなのであります。