風景は変わりいく

京都では、その昔、今は当たり前のように風景に溶け込んでいる京都駅前のタワー建設でひと悶着があったと聞く。

それは、よくわかる。
古都に近代的なタワーがどう映るか、多くの人に危惧を与えたのだ。

今、京都タワーを地元の人に尋ねてみれば、「御東さんの御灯明」と答えが返ってくる。

烏丸通りに面する東本願寺の巨大なローソクだと解釈している。

はて、じゃあこの風景は、何と理解したらいいのだろうか・・・

そうだな・・・

もう少し古風なつくりならば、ちょっと高い五重塔もしくは蘇った浅草十二階(凌雲閣)とでも解せばよいのだろうが。

僕には見る時刻によって、風景に溶け込んでも見えるのだが。

ここからの眺めがいい。
やっぱり。

修行

紐房の研究中。

ぐるぐる正絹紐を四つ編みの下で巻いてっと・・・

手を動かしていると、時間の経過を忘れるから・・・
お客様を無視してしまうから店ではできない。
と重いながらも、つい手を動かして何か手先で創っている。

高校時代、弓道部に所属していた。
矢を射るのは飯より好きだったけれど、それ以上に熱を入れて道具創りに熱中していた。
弦に油を切らさないための手のひらサイズのわらじ作りは、弓をやる人ならお手の物と思うが、そのうち雪駄代わりの本格的なわらじも作っていた。

道着を針と糸を駆使して自作し悦に入っていた。

中でも夢中になっていたのが、矢を入れるための矢筒を自作すること。
そういえば、矢筒は荷造り用の紙紐を懸命に巻いていた。
ちょうどこんなふうに。

念珠づくりが本職になった今、短期を起こすこともなくこつこつ巻いていられるのもこのときの修練?が今に生きているのだろうか。

三つ子の魂だ・・・

今にして思うと、自分の預かり知らないところで、天命と言うのはちゃくちゃくとその方向に向いて動かされている気がする。

人は、そういう捕らえ方をする人を運命論者というのかも知れない。
でもね、そう思ってしまうのだから・・・

しかたないだろう。

今日一日

並木通りあたりも

東武浅草駅あたりも

神谷バーあたりも

江戸通りあたりも

雷門前も

三角地帯も

嵐の前の静けさ。

ランナーの到着を待っている。

テレビでは、始めと終わりしか実況されないが、彼らの健闘をもっと僕らの前に露出して欲しいと思う。
いつも感動させられる。


ちょっとおまけ。

マラソンだ

明日は、もう東京マラソン。

自分もマラソンとまでは行かないけれど、毎朝6kmのジョギングを3年続けているうちに、いつか苦手だった長距離の醍醐味を知るようになって、子供の頃のトラウマから50にして抜け出した。

それなりにランナーズハイという、「どこまで走っても疲れない」「何処までも走ってみたい」という境地も味わうことができたし、マラソンには他者よりは、多少なりとも理解をもつ者と思っている。

それでもしかし、このコース設定にはいまだに不満を持っている。
何より、事故を心配している。

というのも、
TONの店の位置する場所は、雷門を頂点にした折り返しを含む、並木通りと江戸通りの三角形地帯になる。

我々は、魔のデルタ地帯ともいう。

要するに、交通規制が引かれる数時間、後片付けなどあって4、5時間、陸の孤島と化すのだ。

ここには20軒を越す商店がある。
そこに住む住人もいる。
じゃあ緊急事態が発生したらどうするか。
小さい消防車が一台デルタ内に駐留する。
でも救急車はない。

三角地帯の中にいる人は外に出られないのはもちろん、外の人間も中に入ることはできなくなる。
だってランナー達がぐるっと囲んで、有明ゴール地点目指して白熱した走りをしているのだから。

「いいじゃないのお祭りなのだから」
そう・・・・お祭りなんだから。係わり合いを好まない都民という人種が、このときはお祭りを中心に一つになれる・・・なろうって言えそうな大きな催事なのだから。

たぶん自分もその考えに不快感は覚えない一人だ。
お祭りなんだから。
お祭り好きはねそうなのよ。

しかし、少しうがって、冷静に見つめると、とんでもない危険さも内包していることに気づく。

これってある種の全体主義じゃない?

動くまでは、雨をやろうが鞭で叩こうがびくとも前に進まないのに、いっぺん動き出すと、舵取りができないほどに前に猛進していってしまう。

これでいいのだろうか・・・・・

大きな声では言えない話になるが、
この三角地帯から外の世界に出ることができなくなると以前に書いたことに矛盾するのだが・・・

「全く動けなくなる」

と言うのは言い過ぎで、車の通行はもちろん難しいが、実はちゃんと抜け道はある。
けれど、地元の者しか、知らない抜け道ルートだ。

そこまでちゃんと案内してくれるものだろうか。

第一回目のマラソンの後、苦情の声を大会関係者に伝えさんざん討論の末、渋々ながら一点の光明を灯せた。
地下鉄改札の場での規制線は張らないという約束だけは言質を得ることができた。

マラソン人気の中でこうした少数意見が省みられないことが、僕には日本人のいけいけ主義に不安を感じる一人なのだ。

さて明日はどうなっているかな。