久しぶりに

靖国神社に行けました。

梅雨の気候がおっと押し寄せている最中。
じっとしていても汗が背中を伝う、不快指数100%の中、靖国の坂は修行坂となりました。

九段下駅から大鳥居までの歩道は、来社しない間にすっかりきれいになって見違えるほどになりました。

心配していた銀杏の足元もすっかりきれいに整備されていました。
きれい過ぎるくらいに・・・

行きがけには気づかなかったのだけれど・・・
ちょっとまて。

こんなに根を切っちゃって大丈夫なの?
しかも歩道のレベルとスペースに合わせるために・・・

過去に大木が根こそぎ強風で倒れたのも見たばかりだし・・・

人間の都合に合わせて植物をどこまで合わせたらいいのかな・・・

いつまでも心配が耐えません・・・

靖国神社の資料館、遊就館では
「神風」という企画展を行っていました。
http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/news/news_detail.php?article_id=0055

もちろん見逃すことはできません。

終身会員になっているので入館は無料。
此処は訪れるたびに何かしら教えられるのです。

「神風」と言っても特攻を中心にした展示ではなく、元寇の時代の資料展だったのでありました。遊就館をご存知なかたには話しが早いのですが、特別展を行う場所は、広い館内を一通り回ってこないと観られない最期のコーナーに位置します。

最近増えてきた若者や外人客の合間を縫うように歩き回り、目的の場所にまっすぐ・・・

・・・とはいかないのです。
素通りできるわけがないのであります。

目的の企画展の行っている最終コーナーまでに足が届いた時に、
朝から多少グルグル言っていたお腹が「もう持ちません」とついに泣き出したのです。

さて、これからというときに「持ちません」はないだろうと思いつつも、
しかたがない目の前にある一階のWC(資料館は出てしまう!)に駆け込んだ次第でありました。

お腹が落ち着いてから、も一度入館すればよいと考えたのですが・・・

甘かった。

終身会員でも入館は一日一回と決まっていたのを知ったのは、後の祭り。

次の機会におあずけということで今日のお参りはおしまいとなったのでありました。
ちょっと消化不良になったのは、お腹ばかりではなかったという落ちでした。

こんなのあり・・・

某郵便会社から出した小包が10日ぶりに突然手元に戻ってきた。

「帰ってきてもいいよ」とは一言もいわないのに送り返されてきたのだ。

お客さんの元にはとっくに着いているものと思っていたのに・・・

慌てて集荷センターに確認してみると、「留守で会えなかったから」「再配達依頼のはがきは投函してきた」

「まず相手がいないとき荷主に連絡しないのですか?」

「する局もあるし、しない局もある」「統一されてはいない」

「それってシステムとしておかしくないですか?」

急に申しわけなさそうな声になって、

「おっしゃっていることはもっともだから上申します」
「担当者に確認してお答えしすね」
となって電話が切れた。

一時間もして再び「○○局ですが・・・」と、今度は訛りの強い言葉が電話口の向うに響いた。
配達局からだろうと思った。

しかし、先ほどの担当者とは手のひらを返して、
「留守宅で届けられないから荷主に戻してどこが悪い」という態度。

「電話をするシステムにはなっていない」という。
「荷は配達先の責任だから送り主には確認しないでいい」

あのね・・・

と、電話している僕は営業中のお店の中・・・
怒鳴るわけにはいかない。

息をう~んと吸い込んで・・・っと。

「もしこの荷物が人の生死にかかわるほどの重要な荷物だったらどうするの?」「受け取り側にもなんらかの不都合と言うものだってある」「荷の責任は手元に届くまで配送した方なのだ」「個人情報に触れるから細かい連絡先は送り状にかけないのだけど荷主はいくらでも連絡のしようがあるのだ」「せめて返送するならその時点で電話一本できないの?」etc.etc.・・・うだうだ・・・・

過呼吸にならぬように、落ち着いて落ち着いて、しかし、淡々とまくし立てた。

ついに相手は音を上げたのか
「次々に新しい荷が送られてくるんですよ」本音を出した。

って、一つや二つの荷物構ってられないって言いたいの・・・?
実際頭が下がるくらいに丁寧な局もあると言うのに、そんなところ一つのために全体のイメージが落ちてしまう。これは大いなる損失だろう・・・

あーこれはダメだと電話を切った。

人の振り見てと言うけど、自分も胡坐をかいた商売をしていないかと省みた。

絵般若心経

江戸時代に作られた経を絵に当てはめた絵心経。
識字率100%の現在から見るとなんとも滑稽に思えるかもしれないが、華のお経般若心経を弘めるために、当時は真剣に考え編み出し普及したのだろう。

そう思うと、なんと自由本邦な発想、奇想天外な布教の仕方・・・
当時の信仰者の貧しき者への熱い心に、気づくと心が揺さぶられている。