インターナショナル?

友人が三社祭りの山車のミニチュアを西参道商店街で見つけたよという。
買い物帰りに店に寄って立ち話をしていった。

江戸期の勉強をしていると山車の話しが出てくる。
僅かな文献にしか顕されていないので、興味は尽きないテーマである。
現物は地方に流出していった以外は、震災と戦火に全て灰となった。

三社祭りに山車?といぶかる向きもあろう。
神輿一色になる現在の三社祭りからは想像だにできないからしかたないことだからしかたないことと思う。

けれど江戸の文献を紐解くと、三社祭りは神輿以上に山車の華やかさを競うかのごとく祭りの風景だったようだ。
町会ごと絢爛豪華に仕立てられた山車が6基も7基も列を作る。
その豪華さは京都の祇園祭を髣髴する。

例えば明和8年にはこのような山車が出たと浅草寺の日並記に記されている。
壱番 諏訪町 武蔵野の山車
弐番 西仲町 同断
参番 材木町 牡丹之花山車
四番 花川戸町 桜花之山車 
五番 山之宿町 綱引船人形之山車
六番 田町壱弐丁目 諫鼓の山車
浅草見附(浅草橋)から御蔵前、諏訪町、並木町、仲見世、本堂前で参詣し芸能を演じ、随身門(二天門)を出て各町会に戻るという按配だったようである。

残念ながら明治以降は下火になり、ついに記憶にも留めなくなってしまった。

山車の模型。しかも一之宮と聞けば、すっ飛んで行かざるをえないではないか。

西参道は、子供時代を思い出す懐かしさの残る商店が軒を連ねる。
そんな中の一軒の店に目的のものが店奥に展示してあった。
ただ、ちょっとデフォルメしすぎかなとも思ったが・・・

それを前に店主のご老人と勧められるままついつい座り話になった。

昔の職人が三社様の神輿庫の虫干し時に開扉していた時に書き写したものから起こした模型なのだとか。
もう職人がいなくて作り手がないんだとか。

80歳を有に超えている主人は、だんだんと主題からそれて、お茶のみ話に興じた。
ぼくは僕で小学生のころ古銭集めに夢中で、足しげく通っていた水戸黄門みたいな古物商のおやじを、店の匂いとあいまって思い出していた。

「中国の人多いでしょ」ぼくが何の気なしに問うた質問に大きくうなずき反応した。
とにかく多いという。

店に入ってきて大声で騒いであれやこれやと仲間内で喋り捲っているよ。と。
「で、何が欲しいの?」と中国語で聞くと、ぎょっとされるのだそうだ。

「戦争中ぼくは北京にいたからね」
会話程度はおおかた理解できると言っていた。
わからない振りして聞いていると、中国人同士で「お前まけさせろ。とかなんとか勝手なこと言ってるよ」
だって。
まさか中国語で一喝されるとは夢にだに思えなかっただろうから、驚くのもむりはなかろう。

この年齢以上の方々は、好むとこのまざるとにかかわらず海外に出兵していた方も多いはずだ。
僕の知り合いにも大陸生まれがけっこう多い(大陸育ちには豪快な人が多かった)。
故郷は満州と言うことである。
何年も駐屯していただろうし、中には、大陸で諜報活動をしていた方も知っている。

彼らはいつ戻れるとも解らない外地において、慣れない水を飲み、その空気を吸い、人肌に触れ、同化していた。いやがおうにも言葉も人も文化をも記憶しただろう(せざるを得なかっただろう)。

今の日本人より、よほど地に足の着いたインターナショナルの地盤にいたと言えよう。

まじまじと、店主の顔を見ていた・・・

地球的損失

昔お世話になった方の奥様が寝たきりになっていたことをひょんなっことから知ることとなった。

事故(交通事故だろうか)で7年間寝たきりで下のお世話もご主人が続けているという。
やり手のご主人は家に戻る時間さえ惜しんで飛び回っていた。

それに輪をかけた活動的な奥さんは、全国を飛び回っていた。
我が家は夫婦ともども世話になった。

まったく性格の違う二人にかわいい女の子が生まれた。仕事の重要さをわきまえながらも、わが子の世話をご主人がかって出ていたのが傍目からも感心させられていた。

そういえば彼の言葉に感心したことがあった。

物を大事にすることを旨にしていた彼だった。
人は彼をケチとも節約家とも読んでいたが、いつだったか何故ケチなのかを聞いたことがあった。

一面的にはもちろん金銭的な理由。
必要以上の消費は神様への冒涜であるという。
さらに私の無駄は地球的規模でとらえなきゃいけないという。

水を節水する。エネルギーの無駄使い。地球的規模で考えなさいと。
必要以上の飲食、地球的規模で考えなさいと。
地球的損失でしょ。というのだ。

これには参った。一本とられた。

日本がバブルに沸いていた、消費が美徳の時代の話である。

あ。この人は尊敬に値する人だなと直感したのだった。
あれから20年以上か・・・

そんなことを思い出しながら彼の今を考えていた。

倒れた当初は途方にくれたという。
しかし今は、奥さんの下の世話をしながらも、
生きていてくれるだけでありがたいという。

ビックベービーになっても、生きていてくれることが自分の励みになるという。
そんな感想をもらしていたという。

思い出しながら、
そばにいた上さんの顔をちらっと伺った。