朝から文化

いつものように朝は駒形橋から隅田川沿いをぐるっと一周してきた。

最近よく見かけるのは外人の観光客の姿。
一つはバックパッカーの姿。
一人ないし二人連れが多い。

近くに安い外人向けの宿が増えたのもその一助になっているのは明白なのだが,
それだけ浅草に何らかの魅力を感じて下さっているのだと解釈している。

今ひとつは、日本人ガイドの引率による少人数のグループ。
プロの通訳もいるだろうし、ボランティアも、はたまた企業の接待もいるだろう。
TON店長が気になるのは、引率の日本人の姿勢なのだ。

ひとっ走り終えると駒形堂の境内に戻ります。
駒形堂は、浅草寺に奉られる観音様が1400年の昔、隅田川、当時の浅草ノ浦から二人の漁師の網にかかり、陸に上がった重要な場所。

それゆえに近くは戦災、震災何度もの火事に見舞われながらも、再建され今に至っている、浅草寺にとっても重要なお堂。ついでに言えば浅草寺の戒殺の地でもある。

いつもここに到着すれば、何をおいても堂内の馬頭観音さまにお礼を言って手を合わせる。

と、背後に人の気配。
パチりパチりと写真を撮っている様子。
お礼も終って、境内に下る。振り向きざまにそのグループが外人のグループとわかった。

柔軟体操をしていると、一人の男性は手をポケットの突っ込んだまま鍵のかかった堂内を覗き込んでいる。

一人の女性はお堂に上がる階段でポーズをとっている。
5~6人の一人一人ものめずらしそうに階段を上がったり下ったり。
確かに西洋に住む人々には、こんなベンガラの堂なんて珍しくていかたないだろうから興味深々なのはわかる。

かといってそこが宗教施設である以上それなりの礼儀があることは、洋の東西を問うまでもなく同一なのだ。
そこがどういう場所かを理解しているとはとても思えない行動をとっている。

わからないならば、教えなければいけない。
教えなければ、他のどこへ行っても同じ孝道をとり続けるだろう。
それを、引率の日本人がコートに手を突っ込んだまま早く行こうとばかりに足を外に向けながらも静観している。

言えば良かったと後悔した。
あなたたちはキリストの家、つまり教会に入っても手をポケットに突っ込んだままなのですか?と。

宗教はその国の文化である。文化の中の文化である。
宗教の儀式から生活様式に変化したものは・・・というより、例えば日本の文化から仏教を除いたら言語としても、生活様式としてもいかばかりのものが残るだろうか。
仏教や神道が原点、つまり文化の種になってきたのである。

海外に足を運ぶものは、他国の文化を知るために海外旅行をしているのではないのだろうか。
(それはそのまま日本人の旅行者にも言えることなのだが)
他国の文化を理解せずして帰国するなかれ。というものである。

とすれば、その文化を教えるのは誰なのか。
そこに住む我々ももちろんそうなのだが、引率する旅行社、ガイドの人が宗教音痴ではこまるのである。

参勤交代の列を前に馬上で見物して、薩摩藩士に切り捨られた生麦事件も元はと言えば他国の文化への無知から来たもの。
今の世の中切り捨てるわけには行かないが、他国の文化、否、自国の文化のベースを実地で教えない引率は害をもたらすと言っても過言ではない。と思うのである。

日本人が日本人の文化を大事にする姿を美しいと感じた幕末の外人達の驚嘆を何かの本に書いてあったことを思い出した。

そこから汲み取ることは、今の日本人が日本を、日本の文化を守ってきた先人たちの遺徳に感謝する姿があれば、外人は日本の神様を前にしておいそれと覗き込んだり、ましてやポケットに手を突っ込んだまま見物する姿にはならないだろうと思うのである。

まだ大丈夫

枕端まで来ると、その横の商業施設あたりに見える。

もうちょっと行ってみるか。

スカイツリーが火事???

昨日は股関節の痛みが気になって一周年の記念ランを休んだおかげで、今日は走り出しから調子が良い。

走り始めは駒形橋からになるのだが、ここで体調の良し悪しが大体わかる。
なんて考えながら橋を渡ろうとすると、きな臭いにおい。一種独特の化学繊維や何かの混ぜこぜの匂いは間違いなく火事の臭い。

あたりを見回すが何も見えない。
遠望するスカイツリーに目を向ける・・・と、あれ?

燃えてる?

さかんにスカイツリーの足元から黒い煙が噴出して、風にたなびいているではないか。
よもや。

今日はコースを変えてみようか。とさえ考えた。
野次馬根性からではない。

とりあえずいつものコースを行って、それからでも遅くはないか。
というにして走り出した。

香りとメモリー

お客様に手紙を書いている間、家族の寝息だけでは寂しくて、NHKをかけていた。

佐野元春のザ・ソングライターズという番組がオンエアされた。
何気なく顔は伏したまま目だけ上目遣いに向けていると、海外のどこかのメディアで見たことのある番組構成で、またパクリか・・・とまた筆を走らせた。

「ゲストはさだまさしさんです」の声にまた上目遣い。
さだまさしは、数少ない上さんと共通したお好みのスター(というのか)。もう一つのお好みは、嵐。
まあさておき、お好みの影響で、手を休め顔を正面に向けて、しばらく画面に集中し始めた。

シンガソングライターが曲を生む時の逸話やヒントを聞き出していく。聴衆の大学生たちと実際に曲を創っていくワークショップ形式で進めている。
面白い構成だなあ・・・
さだまさしも偉くなったもんだなあ・・・など番組と関係ないことをブツブツ独り言口。上さんは爆睡していてちょうど良かった。最近は独り言までチェックされるのだからたまったもんじゃあない。

手はおろそかになったまま。

その中の話で、詩を書く作業の話をされた。
詩は体温をつたえるもの。相手の体温にリーチすることが大切なんだということだった。
風景を感じるか、色を感じるか、においを感じるか・・・
と曲創りの奥行きを知った。

曲創りに匂いか。
乾いたアスファルトに雨が降った時の立ち上る匂い。
ただいまと帰って玄関の戸を開けたときに香る匂い。
匂い、香りは曲創りに欠かせないということ、そして感じない曲は創れないということは、お香を販売するものとしてはなんとも面白い世界だと感じた。

脳のメモリー部分である海馬にダイレクトに届くのは匂い、香りなのである。

幼い時に歩いた海岸通りの汐の香り。
中学のキャンプで初めて炊いた飯盒から溢れる湯気の香り。
親しい人との別れに号泣し、目から鼻をつたう涙の匂い。
新緑の野山の青臭い香り。

あの時のことを思い出せと言われても、過ぎた過去は映像としてなかなか思い出せない。匂いに思わず幼い日の情景がフラッシュバックすることはそう珍しいことではないだろう。
匂いって人の感性の中でも、メモリの奥底にしまってある記憶を起動させるプログラムなのだと改めて思わされた。

芸術家たちは体験的にそれを駆使するのだ。

ビルマ翡翠大玉腕輪

本翡翠といえばビルマ翡翠。
玉(ぎょく)=翡翠ということで、古来より王の石とされてきた護符の石。

一時、ビルマ(現ミャンマー)からの採掘量が減っていい石が手に入らなくなりました。もうビルマもだめかなと思い出した頃、おや!っと思う、グリーンの強いきらめく石が流れ始めました。

でも気をつけて欲しいことがあります。
最近は、石の染色技術が上がって何でも染めることができるようになってきたことで、恐ろしいばかりに玉石混交の石が流通する時代になっています。

翡翠には、黒やラベンダーなど様々な色あいがありますが、TON店長はやはり、グリーンが好き。
つい程度の良い玉にめぐり合うと、無理をしてでも入荷してしまいます。

天然だから出なくなると本当に流通しなくなるんです。これが。

過去の鉄は踏みたくないという恐怖観念がどこかにあるのかも知れません・・・

ちなみに、
この玉で78000円です。