浅草の空 79回目の終戦記念日

早朝、寿に行ったついでに雲の様子をパチリ。
ダイナミックな雲が浮かんでいた。今日は79回目の終戦の日。

僕の子供時代は戦争経験者ばかりの中で育ち年中その空気感の中に包まれていた。
横浜の本町辺りには空襲で焼け崩れ焦げたビルがまだ目についたし、防空壕がそこら中の崖面に空いていて、ぼくら子供達のいい遊び場、隠れ家になっていた。それが普通だった。
戦争の話しも兵隊さんたち、銃後の婦人たち子供だった人たち、様々な角度からの情報が氾濫していた。
戦中の話しはしたくない人が多かったような表現があるが、聞くのがうまかったのかTONには何のこだわりもなく話してくれたものだ。ただそれでもまだまだ聞き足りなかったと今は後悔している。そうして聞いてきた耳からの情報によって形作ってきた戦争観と学校で教えられる近代史観にいくつもずれを感じ育つにつれて容易ならないものになっていったのも事実だ。

そんななかの一つには、学生として教科書から学んできた終戦の姿、無条件降伏と教わってきたけど、軍は無条件だけど国としては無条件降伏ではない。全てが無条件に丸めこまれたいきさつも資料をつかんだ。近代史っていかにいい加減なのか。。。と思わされる。

靖国神社に毎月昇殿参拝させてもらってきたけど、この日は一度も伺った事がない。
きっと騒がしいのだろうな。と想像するとどうしても足が向かないのだ。むしろそっとしていたい。

浅草は変わらず騒がしい。

8月14日

孫ちゃんがようやく退院した。
と言っても一日遅れ。女の子なのにとにかく大きかったからね。
母子ともに苦労しました。御苦労さま。

学生時代くらい(≒1975年)までの新生児って、しわくちゃで欲目で見てもお猿さんの域を超えていなかったよね。親や親族は可愛い可愛い、ほらこんなに可愛いよって見せられるのだが、「ん~~~そうねぇ」がうその限界だったのをよ~~~く覚えている。

最近は栄養が良いと見えてみんなまともに産まれてくる。

よくTVドラマで出産のシーンがあるが、「産まれましたよー」ってかわいい赤ちゃんを見せるのだが、丸々太ってどこが新生児だよって突っ込みたくなったものだが、今は本当に可愛いまま生まれるようだ。嗚呼時代は変わる。。。

不思議なことで、自分に第二の人生のような生き方を勧めてくれたTさんという恩人が、と言っても年下なのだが、ちょうど10年前の今日帰らぬ人となった。
消息不明で長い事知人を見つけては知らない?と聞きまわっていたのだが、ひょんなことから彼女ががんを患って闘病の末に旅たった事を知ったのはつい最近の話しだ。
「機織り牛」昔に流行った動物占いなのだが、せっせせっせと黙々と機を織る牛さん。それに助けられると言うTONの星なのだ。がどういうことかTONの人生には三人の機織り牛に助けられてきていた。
一人が肉親である実の姉。さんざん苦労をかけた。
二人目がこのTさん。
三人目が今のかみさん。
その人格的影響と実質的な援助を受けてTONの今があるのだ。

今日のこの日を忘れまじとこの日を選んでくれたのだろう。

誰の代わりに来たのかな。。。

糸トンボが生きれる環境が残っている事に驚き。
自然は脅威だと思う。人間が勝手に「この環境では動植物は厳しいと言わざるを得ない」なんて・・・とても言えないのだ。それともトンボに乗っかって誰か来てくれたのかしら。