もう送り火

早くも東京近辺はお盆が終ってしまった。
月遅れのお盆で動いているところから見るとなんとも変な感触を受けるようだ。

かくいう僕とて同じ思いなのだ。

明治8年の太陽暦導入は日本文化に多大なる影響を与えた。
明治政府のお膝元である東京はその意向を強く受けながらも新暦に従った。
山梨県はそれより早く条例化して新暦で盆を行なうようになった。

首都圏は7月盆が多いが、都市部を離れればまだまだ農業を主体としていた当時は、その意に反して旧暦や月遅れの形がそのまま残った。

日本の文化行事は旧暦を中心に行なわれていた。
永く続くにはそれなりの根拠があったのだと思う。
自然体として人の情の発露でなければ、いづれ淘汰たされていただろう。
が千年を越えて面々と引き継いで継続してきたということは何らかの自然現象と情的なものとが合致していたからこそなのだと思う。

頭の中だけでこねくり回してこうだと規律されたものでは、よくて形ばかりのみが残っていくことになる。
精神性を伴わないものは、形骸化し、いづれ朽ちてしまうのではないのかな。
ちょっと心配だ。

一昨年も同じようなことを書いていた・・・
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/e/10218168.writeback

とにかくもう送り火だ。

ウォンテッド

おたずね者(猫)

年齢:ほぼ10ヶ月。
容疑:親子でめだか食い逃げ。

     by TON

看取る

念珠のお直しを承った。
先代から伝わった念珠と言うことで、そうと年季が入っていた。
むくろじゅの素朴なスタイルだった。

これは何ですか?と尋ねられるので、お釈迦様と円の深い実ですとお答えした。
マガダ国が他国から攻められたとき、国民が一心にむくろじゅで作った念珠で念じなさいと言われた逸話のことであった。

しっかりメモをとられ、大事なものだったのかと再認識してくださったようだった。

「制作期間はどれくらいかかりますか?」
と再度聞かれるので、
2週間くらいと応えたけったけれどちょっと混んでいるからなあと心に湧いてきて即答しかねたとき、「何かご使用になることがおありですか?」と尋ね返してみた。

「はい。妻が一週間後に他界するもので・・・」
末期がんだった。
以前、がん患者の集いに毎週通っていた頃のことが頭に浮んだ。
痛みに対して、モルヒネを打てばよいのだけれど、当時はなかなか打ってはくれなかった。もちろん患者の体を考慮しての病院側の判断だったのだろうけれど、患者も看取る家族もせめて痛みだけは・・・終末医療の現場のものすごさを聞かされていたことを、ふと口にした。
「今は痛みだけはとってくれるみたいだけど、ご家族の気持ちは複雑ですね。」

一瞬、お客様の顔がパーッと明るくなるのがわかった。

きっと今まで深刻さに蓋をしてこられたのだろう・・・
危うく目から汗をこぼす所だった。
かろうじて鼻からのどに送り込んだ。

自分ならどうだろう・・・
いつか看取る側になるか、看取られる側になるかわからないけれど。