仮屋根で見えません
浅草寺本堂の屋根の吹き替え工事。
仮屋根が残体を覆うまでになりました。
惜しいことに、中の進捗状況が見えないのですよね。
二天門の工事もそうだけれど、シースルーできて、日々の状況を共に感じ取れないのはちょっと残念です。
浅草のそら
諸行無常
仙台に住む叔母が亡くなったと姉から連絡が入った。
おまえどうする?と聞くから、「明日母を車に乗せて行ってくるわ」
と応えた。
叔母さんといつも言っていたが、正しくは祖母の妹にあたるのだから大叔母ということになる。
90歳をとうに越えているのだから大往生と言えば言えなくもないが、やはり寂しい。
青春時代は、熱烈な恋をして、恋人を追って阿武隈の山を越えて駆け落ちを企てた。
寸前に捕まえられ泣く泣く戻された武勇伝?をもつ血気盛んな女傑でもあった。
彼女を見ると竜馬の乙女姉さんとダブってしまう。
僕は幼年時代、あまりの虚弱体質に周りから心配されて、この家に預けられた一時期がある。
めっぽう男気の強い叔母ではあるが、同時にすこぶる情の深い人でもあった。
自分の子供と変わらず怒り愛し励ましてくれた。
田舎の水と空気と愛情に育まれて、数ヶ月の田舎暮らしではあったけれど、ものの見事に虚弱体質のキョの字も感じさせない悪がきになっていた。
母親が迎えに来たときそれが誰だか忘れるほど田舎に溶け込んでいた。
(単に薄情なだけかもしれないが)
もしそのまま田舎においておかれたならば間違いなく、別の人格の僕に成長していたことは間違いないだろうと思う。
そんな叔母も夫を先立たれてからは目の病気を患いついに失明し、30年来ひっそりと田舎家に暮らす身となっていた。
逝くことは、順番であるのだ(順番で逝ける事はある面、幸せなことでもあるのだけれど)、もうそこにいないのか・・・。諸行無常というけれど、なんだかとても不思議な思いに駆られる。
上野寛永寺の鐘楼
江戸の三大鐘楼のひとつ寛永寺の時の鐘
「花の雲 鐘は上野か浅草か」と芭蕉の句にもなったその鐘楼だ。

精養軒に用事で出かけてたまたまその前を通る。
改めて近辺を見渡すが、どう見ても境内地だな・・・
ここは。
明治の廃仏毀釈の嵐は、全国の寺院の領地を召し上げられた。
特に徳川の庇護の下にあった、大寺院を襲った嵐は大きかった。
浅草寺もそうであったし、ここ寛永寺も東叡山と山号にあるように西の比叡山に匹敵する広大な境内地と塔堂伽藍は召し上げられ公園地と化した。
浅草寺は、長い闘争の末に寺に僅かながらも取り戻すことができた。しかし、上野はそうはならなかった。
こだわるわけではないが、不忍池も公園内にある堂宇もそれらを見ていると、広大な東の比叡山を歩いている気がしてくるのにここは公園地。
時とともに変わりきたのだなあと・・・栄枯盛衰を感じざるを得なくなる。
バゴダ
四分一のスベ五鈷杵
京都の友人の職人に作ってもらった。
胴と銀の合金の配合値から四分一(しぶいち)と呼ぶ。
そこに金象嵌を施した。
スベ型の五鈷杵。
手にしっくり来る感じは何ともいえない。
浅草のそら
そういえば・・・白宝
いまさら新製品ではないのだけれど、
お客様に言われて気が付いた。
白いお線香の「白宝」をご紹介するのを忘れていた。
ユリの天然成分を使用して、かつ真っ白なお線香は念珠堂のオリジナルなのです。
1365円
忘れていたなあ・・・

