町の変化

浅草の町は次々に変貌を遂げている感がある。
手を変え品を変えという言葉のほうがよいのだろうか・・・

僕がこの町に根を下ろして四半世紀が経つが、当時は三社祭りに担ぎ手が足りなくてよそからの援助が必要なほど、斜陽という言葉の似合う町となっていた。
昔の栄光ばかりが一人歩きしている町。

それが今はどうであろう・・・
バックパッカーが街を闊歩し
商店街の通りは信じられぬほどに活気が溢れ出した。

久しぶりに日曜日、六区フラワー通り、今の浅草六区通りを歩いた。

通りが整備されて歩行者に優しい。
優しいから人も留まる。
留まるから店も賑わい変化する。
変化するから人を集める。
集まるから、通りも変化する・・・
前向きなスパイラルとなっている。
そんな空気が町のオーラとなって感じる事ができる。

浅草出身の芸人の顔写真が街路灯にかざられている。

こんなに多かったのだ。と思う。
懐かしい。

「浅草ってね、芸には厳しかったけど、売れない芸人に優しい町だったんだよ」
「腹ペコだろこれ食ってきな」があちこちで言ってくれる町だったんだよ。
って萩本欽一・・・欽ちゃんが地元の「お上さん会」の招きで行ったレセプションの席上で語った言葉が忘れられない。

たとえ言葉半分と考えてもそんな空気が昔の下町にはあったんだよね。

今「喜劇役者」という肩書きを誇りとしている役者がどれほどいるのだろう。

笑われる芸人はいるけれど、泣き笑らいさせてくれる芸を持つ者がめっきり減ったのは寂しい。

町はきれいになって、活気に満ちていくけれど、
それにみあう文化の生きる町にならないとね。

ポテンシャルは充分すぎるほどある町なのだから。

仏像盗難に思う

仏像の盗難が相次いでいる。
そしてついに御用となった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903030140001-n1.htm

テレビを見ていても盗んだ言い訳に「信仰心がさせた」
という言葉に機敏に反応した。
自らの欲望を満たすための我心と利他心の信仰心を作為的に使ったのか・・・
面白いこという人だと思った。

と同時に
天台宗開祖の最澄が説いた「山家学生式」の一説が頭をよぎった。

国宝とは何物ぞ

宝とは道心(どうしん)なり

道心ある人を
名づけて国宝と為す

故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず

一隅を照らす

此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと

国の宝とは何かと問い、最澄は人の心であると言及しているのである。
ではどういう心を人には必要とするのか・・・

さらに読み進むと

悪事を己に向かえ

好事を他に与え

己を忘れて他を利するは

慈悲の極みなり

と結んでいる。
「忘己利他」の心は慈悲心から湧きいづるのである。
つまり慈悲心を持つものが国宝なのだと最澄は痛快までに説いている。

決して人々の安寧を祈るために仏像が必要なのでも
ましてや多くの祈りの心の沁みこんだ対象を掠め取ることが信仰心なのではないのである。

言い訳の片隅にも使って欲しくないことばであった、