隅田川風情

浚渫した川底の泥を運ぶ。

だれもその気で見ない限り気づかない影のような仕事だけれど、感謝に思う。
そんな仕事がぼくも好きだ。

昔、技術屋を生業にしている頃、もう35年も前になる。
神奈川県の逗子に仕事で毎日のように出かけていた。
自分の担当する現場が逗子駅近くにあったためで、文字通り日参の毎日だった。

昼をまたげば、当然現場で昼食となる。
パン好きの青年は当然パン屋に入る。
駅近くのパン屋に何度か足を運んだ。
美味しい店で、寄り道をして買って帰った記憶もある。

時は現代に移り・・・
2~3日前に店の子・・・といっても同い年なのだが。
昔話になった。

青春の頃は、逗子の海にはよく行ったことや、渚ホテルが潰れたことなどなどと、年寄りのお茶飲み話なのだが。
そうこうしているうちに話は、彼女が逗子のパン屋の親戚筋で子供の頃はよく手伝いに行っていたという話となった。

「○○堂って言うんです」
今はなくなってしまったけれど、ちょっと有名なパン屋だったという。
「え!」耳を疑った。

まさしく、え!なのだ。

そうでしょうよ・・・だって、そこで買ってたんだもん。

こんなことあるんだねえ。

ありがとうろーそく


長さ35mm 24本入り 1050円 

高いと見るか・・・
安いと見るか・・・

この手の工作は手間がかかるので結構大変なのです。

製品になっていると、わからないですけれどね。

靴底

毎度思うことだけれど、僕の靴の寿命は短い。
せいぜい半年。
1年持てば御の字だ。

「気に入るとそればかり履く」
と、言う「着たきりスズメ現象」もあるとは思う。
でも気に入らないのは、靴底が片減りし過ぎてダメになることなのだ。

かかとの外側ばかりが極端に減ってしまう。
そのうち外側に足が取られ転げる。

そんなことで靴の屍を累々と作ってきた。

ほんの子供の頃、墓参りの帰り道のことだった。
いとことじゃれあいながら先を走っていると、後からついてくる母親と親戚の会話が耳に届いた。

「うちの子ガニマタだから」と自虐的にも聞こえる話し言葉に少なからず幼心に傷となった。

当時は意味もわからない言葉だったのに。
ただ、「ガニマタ」というイントネーション的に、あまり良い言葉ではなさそうであると直感したのだろう。

子供の耳は敏感だと言うことを親は気付かないといけないいい例である。

今年になって去年の夏頃から本格使用を始めた皮靴のかかとに穴が開いた。
またかと思いつつも、もったいないという思いと「ガニマタ」の記憶がフラッシュバックする。執念深い奴である。

この機会に少し調べてみようと思った。
靴の減り方には整体的な部分があるようで、歩く理想的な減り方と言うのもある。
かかと辺りと親指の付け根辺りの減りがあるのが「歩く」という行為において、体重移動の正常な減り方らしい。
http://www.tiger-japan.co.jp/h_report/008_report.html

が、僕の靴は極端に片減りだから、あまり芳しい状態ではない。

どうやら、靴の減り方の原因にはこの「ガニマタ」というキーワードが少なからず原因となっているようである。

他のサイトには「丹田に力の入らない歩き方をしている」とも書いてあった。

今度はへそ下一寸にも意識をしながら歩いてみようと思う。

赤い・・・玉


右がルビー
左がジルコン

ルビーの方の色は、今までなかった色です。
玉からの製作なので、2ヶ月以上かかりそうです。