のどもと過ぎれば・・・

今日は、赤穂浪士討ち入りの日

ひたすらひたすら、忠義を通した武士の美学が、元禄時代当時の民衆の心をわしづかみにして放さなかったわけだ。
(討ち入られたほうは、何百年も悪人にされて、たまったものではなかっただろうが…)

これほど執念深いのが、わが民族の本質かと思えば

情報として耳にする程度だと、悲惨な事故事件も、
すぐに忘却の彼方に忘れ去るようだ。

震災しかり、津波しかり、JR事故しかり、飲酒事故しかり、
情報過多が原因かもしれないが…

2000年の三宅島噴火で全島民避難の悲しみからまだ6年しかたたないのに、
どれだけ意識に残っているだろうか。

ほんの時々の話題として、まだ帰島できない人々が
3割以上いらっしゃる程度のニュースを聞くに留まっている。

けれど、そこを故郷にしている人々には、
10年たとうが、20年たとうが、そこが故郷なのだ。

そして生活の場を求める以上、
そこには、生活の基盤がなければならない。

亜硫酸ガスの噴出する島で何の産業が起こせるのだろう。
考えると、いかに難関であるかが理解できる。
同じ都民としても事実を理解しないと…

英国マン島レースの三宅島版。
都知事が推し進めている。
心から期待する。
http://hochi.yomiuri.co.jp/column/nakajima/news/20060602-OHT1T00157.htm

ついでといってはなんだが、
箱根駅伝が正月行事となっているが、昭和30年代まで行われていた、
東海道ロードレースもエコ意識の象徴として、
復興しないものだろうか…

コーヒーのライブ

世の中こういう時代なのだ。

豆を挽き、蒸し、ドリップする。
進捗状況をいちいちディスプレーを通して実況してくれる。


これは画期的!
おりこうさんコーヒー自販機君だ。

そう。
世の中、判断は川下なのだよ。

ついでにいうならば、
蒸し時間の調整、
ドリップ温度調整、
注ぎ方まで、注文者がいじれたら、ロングテール時代にふさわしい
自販機が完成するだろうに・・・無理?。

タイムスリップ

仏壇のお届けに、横浜と藤沢の境まで出かけた。

横浜の清楚な住宅街であった。
ぼくの青年期を過ごした下町とは目と鼻の先でもあった。

もう30年も40年も経ってしまっているなあ・・・
と思いながら、浦島太郎を決め込んで車を走らせた。
案の定、あまりに変貌して道に迷うこともしばしばだった。

お届け先のお茶呑み話で、鎌倉街道が話題になった。
「ずいぶん変わったよ」の一言に
散々通った鎌倉往還の峠道に帰りしな向かうことにした。

そこは七曲という。
鎌倉への切通しのひとつになるのだろうか。
夜にもなれば狸も出そうな真っ暗な、文字通り峠道だった。
自転車で大船側からこの峠を越えると、「無事横浜に帰ってきた」といつもホッとしたものだった。

唖然とした。
30年の月日は、七曲の峠道をスロープに変えていた。

大船側に碑を発見した。

「鎌倉街道完成記念碑」だそうだ。

写真を撮っていると人が寄ってくる。
ものめずらしいのかなあ。

地元の80歳になるおばあちゃんに、懇切に説明をいただいた。
佐賀弁。まったく聞き取れない。

唯一、理解できたのは、54年住んでいる。という。
あ!身の上話ね。

ここもずいぶん変わったよ。とも話してくれた。

最後は、振り返り、振り返り別れた。

おたっしゃで・・・

人生摩訶不思議

もう十数年お付き合いしている貿易業者さんが訪ねてくれた。
もう70歳をとうに越えて年齢的に言えば
「おじいちゃん」と言われる御歳になるわけだ。

しかし、口が裂けてもいえない。
タブーである。

それよりも何よりも、実年齢よりはるかに若い。
全く歳を感じさせない。

着る物も、ぼくと比べても、はるかに若くセンスのよさが光る。
なにより、さりげなく着こなしている。

定年までは、某テレビ局でチーフプロデューサーをやっていたくらいだから、
芸能人にも知り合いが多い。
そして何人ものスターを世に送ってきた人だから、
彼にとってはごく自然な姿なのだろう。

最近、大病を患い、いろいろ思うことがあるようだ。

今日は、いつになく元気がない。
そのまま帰らせたくない気持ちになった。
「じゃあね」と立ち上がろうとしたときから、
昔話のモードのスイッチが入った。

人生のドラマは、聴いていて楽しい。
どのドキュメント番組よりドキュメントであるし、
一回しか生きれない人生を倍にしてくれているような感触をいつも感じる。

気がつくと2時間近く話し込んでいた。

子供の頃に観ていた番組を製作していた父親のような人と
こうしてコンビを組むのだから、人生摩訶不思議さを感じる。